神は、滅びを望み賜うた
ーーー聖櫃パーシヴァル。
パーシヴァルは約2300年前に、とある成り行きでレイスにその命を奪われた青年だった。
ゼロスはその死を嘆き、自分の一部をその青年に与え、消えた命を蘇らせた。
レイスとの間に交わされた“死の契約”を、唯一破棄された存在でもあった。
と言うか、ゼロスの一部を受け渡され、寿命はもとより普通の人間の様に、ちょっとしたことで死ぬはずが無いよね。
そんな訳で、パーシヴァルは例の1件以来、ずっと生き続けていた。
ただ……かつては、それは敬虔なゼロスの信者であった彼が、何故ここまでゼロスを敵視するのかは、全くの謎である。
ハイエルフの里で過ごしていた彼はとても穏やかであったし、俺の話を聞きに来ていた時も、静かに微笑んでいた。
ーーー……ずっと、その復讐心を胸に秘め続けたという事なのだろうか?
ふと、レイスがふわりと浮き上がり、俺の枝に腰を掛けたので、俺は声をかける。
「どしたの? レイス」
「ふん、ポヨポヨのくせに、なかなか良くわかっている。……レイスも……当然気づいていた!」
「……」
気付いていなかったんだね……。
分かっていたふりをして、意地を張る姿も素敵だよ、レイス。
ポヨポヨマスターは、じっとそんなレイスを見つめ、何も気づかなかったように、また話を始めた。
「シヴァの一族は、表向きには老若男女合わせ、9名で成っています。シヴァを筆頭に、パール、カーマ、カーリー、ガンガー、サラス、ラクシュミにガネシャとガルダ。……シヴァとガルダだけが男ですね。ーーーただ、パールは、シヴァ本人と見て、間違いはないので、実質は8名です」
ゼロスが尋ねる。
「シヴァ本人って、……女装してるってこと?」
「はい。一族の者にも“姉”と呼ばせていました」
「……パーシヴァルに、そんな趣味が……。……知らなかった」
呆然と呟くゼロス。
ゼロスは、意外と創造物の事を見ていない。
「いえ、聖女の住居が男子禁制の為、形だけでも女を装っていると言うことのようです」
あ、そういう理由だったんだ。
俺はポヨポヨマスターの説明に深く頷いた。
ーーー……勿論分かっていたよ。
「一族は、数百にも及ぶ神々からの祝福を受け、個の力だけで歴代の勇者に匹敵する強さとなっております。……とは言え、勇者も祝福を受け、随分と強化されている様ですが。そしてその強さに加え、ダンジョンから回収した“転移装置”を使っての、召喚も可能になっています」
ポヨポヨマスターの話に、ルシファーが鋭い視線を送った。
「……随分と神器を荒らされてるな、ダンジョンマスター? “自称”も付けとくか?」
「……っ、……僕は、ダンジョンを作った時“祝福”なんて想定していなかった。気付いた時にはこうして捕らえられ、オート制御の設定すら触れない状況になっていた……。そんな物があると分かってれば、もっと高レベルに設定したさっ!」
ルシファーの嫌味を含んだ言葉に、ポヨポヨマスターは悔しげに言い返した。
そのポヨポヨマスターの言葉で、ラムガルの表情がピクリと動いた事に気付いたのは、多分俺だけだったと思う。
マスターは沈痛な面持ちで言った。
「奴らの力はこの僕から見ても強大です。……そして原因は不明なものの、シヴァは激しい怒りと憎しみを、ゼロス様に向けている。……否、それ程の力を手に入れたのも全て、その憎しみからの執念と言っても過言では無いでしょう」
ゼロスの表情に憂いが浮かぶ。
なぜ憎むのか? ーーー……こんなにも、自分は皆を、聖櫃を愛しているのに。
マスターは、少しの沈黙の後、体を震わせながら言った。
まるで、禁忌にでも触れるかのように。
「ーーー……落ち着いて、……お聞き下さい。……その、……奴は、憎しみに取り憑かれたパーシヴァルは言っておりました。……“ゼロス様の大切な物を、全て奪う”と」
……マスターはその報告に、なぜそこまで怯えているのだろうか?
ーーーザァッと、少し強い風が吹き抜けた。
その風が収まった頃、ゼロスから創生以来初めて、仄暗い殺気が立ち昇った。
……ゼロスはこれまで、いろんなものを奪われた。そして今さっき、それを全て赦そうとしていたはずだ。
なのに今、ゼロスからアビスの時ですら、発せられることの無かった“怒り”と、そして他者を傷つけようとする負の感情が、その身体から迸っていた。
一瞬にして、場が凍りつく。
ポヨポヨマスターが、その空気の中、息も絶え絶えに、言葉が漏れる。
「ゼロ……ス、様……。お待ちっ……落ち着いて……っ!」
その喘ぎを無視して、静かな感情の籠もらない口調で、ゼロスの口から言葉が発せられた。
「ルシファー、人間達は兵を集め、“聖域”を目指していたんだよね?」
「……あ……、……っ」
身の引き裂かれそうなその空気の中で、息をすることすらままならないルシファーが、苦しげに息を吐き出した。
ーーー……初めてだ。
初めて、ゼロスか本気で怒っている。
一体何をそんなに怒っているのはわからないけど、これはレアだ。
ーーーっ誰か、写真かビデオを!
俺が慌てて辺りを見回していると、ゼロスが背筋も凍る、涼やかで怒りに満ちた表情で言った。
「よく、知らせてくれたね。良くわかったよ、マスター」
「っは……、……い……」
「パーシヴァル達は、僕の大切なものを奪うって言ったんでしょ? なら、人間達が兵を立てているのは、僕を討とうとするためじゃないね」
そう言うと、ゼロスはふと俺の方に振り向いた。
「パーシヴァルはね、僕の大切なものを、奪うそうだ。これまで奪い続けて、……最後に僕の1番大切なものを、奪う気なんだよ」
そう言って、じっと俺を見つめるゼロス。
……。
……えー、と。
……1番大切なものって、もしかして俺の事?
ーーー全身に、鳥肌が立った気がした。
もう、悶絶するしか無かった。
まずい。嬉しさのあまり舞い上がりそうだ……ゼロスが、俺の為に怒ってくれてる? ……あぁ、もう俺ね、今ここでこのまま立ち枯れても、悔いはないよ。
俺が葉脈の先まで脈打つ、爆発しそうな鼓動を抑えようともがいていると、殺気を立ち昇らせたまま、ゼロスが微笑んた。
「もう原因究明とか、呑気なこと言ってる場合じゃないね。ーーー大丈夫だよ。アインスは、僕が絶対に守るから」
ああ!
……ゼロスが……ゼロスが尊過ぎて、鼓動が……っ……。
もうね、あれ言っていいかな? “ーーー俺の為に争わないで”って!!
そうか、少女漫画の主人公はこう言う気持ちなのか。
俺は息も絶え絶えに、枝を震わせた。
ーーー……ありがとう、こんな枯れ果てた樹なんかに、こんな素晴らしいトキメキを与えてくれてーーー……。
「ほんとに大丈夫? アインス」
「大丈夫だよ」
俺の悶絶に不審を感じたのか、ゼロスの眉間にシワが寄ったので、俺は素知らぬふりをして答え、そよそよと枝を揺らせた。
俺はまだ、変なおじさんにはなりたくない。
俺の枝から、レイスが飛び降りて言う。
「ゼロス、アインスはレイスも守る。愚か者共を滅ぼそう!」
「そうだね。なるべくならしたくなかったけど、仕方が無いね」
先程まであれ程渋っていたゼロスは、キッパリとそう言った。
ルシファーと、ポヨポヨマスターの顔に恐怖が浮かぶ。
……そう言えばレイスも、以前俺の樹液を吸ったゴブリンを爆発させた事があったね。
そしてこの聖域が出来たんだった。
いつもは言葉数の少ないレイスが、スラスラと指示を飛ばす。
「ラムガル、魔物共を叩き起こして来い。ルドルフは聖域の獣の指揮をしろ。ルシファー、亡者共を出せ。その魔核を使い潰すつもりで構えておけ」
いつの間にか、レイスの背後にルドルフが立っていた。
「おまかせ下さい」
ラムガルとルシファーも、跪いた。……否、跪くしかなかった。
「神獣共よ。フェンリルを残し、ゼロスと共に行け。ハイエルフ共は聖域に入り込んだ者を、根こそぎ始末しろ。スリーマンセルの陣形を崩すな。レイスは、フェンリルとともに、アインスを守る」
突然、俺の枝に負荷がかかり、そこで神獣たちが頷いた。
レイスの素早くも、的確な指示。
いつものゼロスなら、困ったように笑いながらそれを止める。
ゼロスはいつものように、困ったような笑顔を浮かべながら言った。
「わかった。じゃあおいで、神獣達。ーーー僕達で、あの子達を殲滅しに行こう」
レイスは微笑み、2柱の声が被った。
「「アインスは、僕達/レイス達 が守る」」
ーーーそれはかつて、聖剣と魔剣を創り出した、幼い二柱が言った誓いの言葉。
俺は2柱を抱き締めたくなった。
……そして同時に、以前ゼロスが言った言葉を思い出した。
“ーーー寵愛は、世界を滅ぼす”
俺は2柱に呟くように言った。
「ありがとう、ゼロス、レイス。」
ーーーそして、ごめんね。皆。




