神は、アヌビス神を創り賜うた
伸芳から数え、6人目の転移者を世に送り出したゼロスが、ポツリと呟いた。
「……アインスから聞いた、近未来的な発明家を送り出してみたけど、この世界には合わないね。レイスのマナの影響が強すぎる。融合させようと藻掻いていたけど、75年の寿命じゃ短すぎた」
今その命を散らせたのは、ターニャという名の、灰色の瞳が美しい女性だった。
ターニャはロシアという国の極寒の地で狼に襲われ、逃げ込んだ森で迷い、寒さでその命を落とした大学生の記憶を持つ転移者だった。
大学で工学を学びつつ、発明家を目指していたターニャは、この世界に科学の知識をもたらし、様々な技術を伝えた。
中でも挙げられる偉業といえば、物流の為の“道”を作った事だろうか。
エンジンを積み込んだ“鉄船”は大陸を繋げ、竜骨と呼ばれる“飛行機”は鉄船を遥かに上回る安全とスピードを確保した。それに魔道列車と呼ばれる“鉄道”はこの世界の大陸中を既に網羅したのだった。
ターニャは、その他にも多くの事業を手掛け、様々な伝説を残したが、自身の研究に没頭するあまり後世への伝達は、若干疎かだったというウッカリな子でもあった。
ゼロスが肩をすくめながら言う。
「……そもそも、アインスから聞いていた“近未来”は不完全な想像図でしか無かったから」
……まるで俺を責めるような、その物言い。
俺は愛しくなって、思わず微笑みながら謝った。
「ごめんね」
途端にゼロスは、慌てた様に手を振りながら言う。
「っアインスのせいじゃ無いよ。ただ結果への感想を言っただけで」
その姿が可愛くて、俺は葉を揺らした。
その時、一人の天使が舞い降りてきて、ゼロスの立つ枝の一段下に跪いた。
「ティーガテイ。どうかした?」
以前天使達は、ゼロスに“個性”を記憶させられて以来、こうして自分の考えに沿って、指示されなくてもこうしてゼロスに何かを伝えに来たりする。
髪型も、みんな昔は伸ばしっぱなしだったのに、最近では各々に結い上げたり、カットしたりと、お洒落もしている。
このティーガテイは、前髪を切りそろえ、後ろに編み込んだ髪で、2つのおダンゴを作っていた。
ティーガテイが頭を下げたまま言う。
「はっ。実はここ最近、ダンジョンマスターが行方をくらましております。各所のダンジョンは、オート制御により作動しておりますが、ここ二十年更新された形跡がありません」
「……たった二十年でしょ? 気にすることはないと思うけど」
そう言うゼロスに、ティーガテイは顔を上げ、縋るように言った。
「いえ、マスターを知る者達に当たっても、皆その行方を知らないと申しました。それに、薬酒瓶の開封を約束していたと言う、バッカスとの約束を果たされぬまま、音信が途絶えているとの事です。……これは異常事態であると考えられます」
ーーー……ティーガテイは、マスターの事が大好きだった。
何時もマスターには、その想いを躱されてしまっていたが、諦めず、一途に追いかけ続けていた。
どの位好きかと言うと、マスターと仲の良い者達を調べ上げ、仕事を部下に押し付け、その間自分は草葉の陰からその行動を監視し続ける程度には好きだった。……確か、ストーカーとも言われるね。
ゼロスは首を傾げた。俺に言う。
「……ふむ。……アインス知ってる?」
「知っているよ」
「!? マスターは無事なのですか!? 一体何処に!」
途端にティーガテイが身を乗り出し食いついてきた。
俺は少し言葉を詰まらせる。
「……無事だよ。至って元気だ。……だけどどこに居るのかは、……出来れば言いたくないんだ。何故なら、マスターと行動を共にしている子に、以前お願いされてしまったんだ。“自分の事を、誰にも話さないで欲しい”と」
俺は意志が弱いから、ゼロスやティーガテイに一生懸命に頼まれたら、きっとその場所を教えてしまう。
だけど、彼が俺に唯一望んだその願いを、俺はなるべく叶えてあげたいとも思うんだ。
ゼロスはそんな俺の思いを察してか、困った様に笑った。
「マスターは元気なんでしょ? だったら問題ないよ。アインスには先約の約束があるみたいだし、探したいなら僕達で探そう」
「!」
俺の言葉で、暗く沈んでいたティーガテイの顔に、喜びが満ちた。
ゼロスはそんなティーガテイを愛しそうに撫で、レイスの肉を取り出した。
「探し物を見つけるには、“犬”だね!」
ーーー……こうして、アヌビスが出来た。
アヌビスは、黒くスッと美しい細長い犬の顔に、しっかりとした人間の男の身体を持っていた。
そして、その身体には黄金の首輪と、ぴっちりとしたボディースーツ、それに腰布を纏っている。
ゼロスが嬉しそうに説明をしてくれる。
「アヌビスはね、魂の匂いを嗅ぎ分ける事ができるんだよ。そしてその戦闘能力の配分比率は、……スピードに全振りしたんだ!」
……この際、戦闘能力は必要ない気がするけど…。
ゼロスはいつか来るレイスとの戦いに備えて、戦闘面も気にするようになったようだった。
アヌビスが、ふと俺の枝の隙間で眠る1匹のリスを目ざとく見つけた。
ラタトスクは、プー……と鼻息を立てながら、不防備にお腹を上にして眠っていた。
アヌビスがそっと自分の腰布を千切った。
「……服は、ちゃんと着ておきなさい」
そう言ってアヌビスは、ラタトスクにそっと布を巻き付け、そして満足げに再び、ゼロスとティーガテイに向き直った。
俺はアヌビスに言う。
「……アヌビスは、優しいね」
「お腹を出していては、風邪を引いてしまいますので。……それに、能あるものであれば、キチンと着衣すべきです」
ゼロスが自慢げに笑う。
「アヌビスの腰布は凄いんだ。いくら破いてもすぐに再生する。それで乱れた風紀も守るんだよ!」
かつて、一粒の砂粒に意思が宿って以来、4万5千年近く真っ裸で過ごしていたゼロスは、そう言った。
俺は一応尋ねてみる。
「……俺も服を着ていないけど良いのかな?」
アヌビスは当然とばかりに答えた。
「アインス様は、樹でございますので」
……ラタトスクはリスだけど……。
その線引きがわからず、俺は「それなら良かった」とだけ答えておいた。
◆
ひと通りのアヌビスの紹介説明が終わった時、ゼロスはティーガテイに言った。
「アヌビスと共に、マスターを探しておいで。そして、もし困っていたら、手伝ってあげると良い。この前あげた、天使の軍団も使っていいからね」
「ありがとうございますっ!」
ティーガテイはそう言うと、一度深く頭を下げたあと、高く空へと飛び上がった。
◇◇
黒い雲の立ち上る火山の火口に、一人の男が立っていた。
そこは火竜達の巣。神獣を除き、世界最強の炎を操れる魔物達の住処だった。
ーーードッ……
男は火口に、獄炎の魔法を放った。そして言う。
「い出よ。炎の神“フレイヤ”」
突然、山が揺れだし、マグマが溢れ出した。
男はマグマを避けず、まるで水の中を進むようにじゃぶじゃぶとマグマ進む。
そして再び火口を覗き込んだとき、火の玉が舞い上がり、弾け、美しい女の形を成す。
茜色に揺らめく女は言った。
『……人間か。……私に何用か?』
「誇り高き女神フレイヤよ。ーーー俺に下れ」
女は目を丸めた。そして笑う。
『何事かと思えば。……貧弱な人間如きに私が下れと? 私が下るは始まりの神のみだ』
男は女神の嗤い声に舌打ちをした。
「ーーー……神が、何をしてくれる?」
『なに?』
「神はお前達を創った。しかしその力を高め、存在を確立させるのは俺達人間や、魔物達ではないのか? それ無くせば、お前達は精霊や畜生にも劣る影でしかない。フレイヤよ。誇り高き女神よ。ーーー……それを甘受できるのか?」
『……』
フレイヤは炎の事しか興味がない。男の言う事などどうでも良かった。
男は白けた目で首を傾げる女神に言う。
「俺がお前の力を更に高めてやる。俺なら出来る。俺に下れ」
つまらなそうに話を聴いていたフレイヤの目が光った。
『ーーー……難しい話は聴きたくはない。だが、私の力を高める? 出来るのか? これまでに無い炎を私に見せると、お前はそう言うのか?』
男は頷いた。
フレイヤが目を輝かせながら笑う。
『良いだろう! お前の力を見せてみろ!』
「どんな炎が望みだ?」
『ここに居る火竜を滅してみろ。ーーー……但し、“炎”でだ』
火竜には、炎は効かない。炎を餌としているくらいなのだから。
フレイヤのムチャ振りに、男はニヤリと笑う。
「良いだろう、滅してやる。ーーー……もしそれが出来たら、俺に下れ。いいな?」
フレイヤは新たな炎の為に、二つ返事でそれに頷いた。
『ああ、神に誓って約束は守ろう』




