閑話
世界の片隅の、とある店。
そこは、地下にある、滅多に客の来ない、隠れ家的な店だ。
ーーーだけど、たまに、その扉が開かれることもある。
ーーーチリン チリン……
「こんにちはマスター。席空いてる?」
一人の客がその扉から顔を覗かせた。
グラスを磨いていたマスターが、にこやかに挨拶をする。
「おや、こんにちは。カウンター席しかありませんがどうぞ」
途端、客は嬉しそうに顔を輝かせ、外に声を掛けた。
そしてその客のあとに続き、ゾロゾロと連れの客が入って来た。
「良かった。みんな、大丈夫だって」
「きゃー!! マスター逢いたかったぁー♡」
「ちょっと、押さないでよっ。ああ、マスターこんにちは」
「相変わらず薄暗いわね。照明変えたほうがいいんじゃない?」
「……私は、落ち着いていて好きだ」
「もうみんなったら……。マスター、やかましくしちゃってごめんなさいね」
「ふ、マスターはそんな事気にしないだろ」
流し目でそう言ってくる客に、マスターは困ったように笑う。
「ええ、そうですね……」
マスターは客の一人に首を傾げながら尋ねた。
「……少し、雰囲気が変わりましたか?」
「やっだー! マスターやっぱ分かる? 実はね、前髪切ったのよ」
その答えに、若干納得行かない様に沈黙したあと、マスターは頷いた。
「……なるほど、だからでしたか」
7人の客は、それぞれカウンターにの席につき、楽しげに話を始めた。
マスターはそんな客の会和を邪魔しないよう、タイミングを見計らい声を掛ける。
「皆様、何をお作りしましょうか?」
「あ! 私カシスオレンジ」
「焼酎ロック」
「あんた渋すぎ。私とりあえず生」
「私もー」
「……ウーロンハイ」
「えーなんにしよー、なんにしよー」
「早く決めなよ、あ、私、カルーアね」
「えー、えー、じゃあ、私ねー……マスターのお・す・す・め♡ マスターに酔いたい気分♡」
「畏まりました。では、ほうじ茶で」
「やぁーん♡ せめて紅茶にしてぇ!」
客達の注文を慣れた手つきで仕上げ、それぞれの前に並べ終わったとき、客達はグラスと湯呑を高々と掲げ音頭を取った。
「ーーー……じゃあ、みんな、おっつかれサマー!!」
「「「「「サマー!!」」」」」
「マスター、生おかわりっ」
「早っ! あんた早すぎ!」
「いーじゃん。あたし達だけなんだし」
「そーそー、無礼講」
「……」
“あたし達だけ”と言い切った客を前に、マスターは空気になる。
空気は空中から、そっと生ビールと、生ハムチーズを差し出した。
客達は、飲み物を片手に盛り上がり始める。
「えー、じゃあせっかくだし、恋バナしよー!」
「えー……だけど、恋人いる人いるの?」
「「「「……」」」」
「じゃ、じゃあ、好きな人とか、気になる人とか!」
「人じゃないけど……」
「いい、いい。気にしないっ!」
そう言った客に、別の客が高々と挙手をした。
「それなら、ハイ、ワタシー! 私はねぇ、……マ・ス・ター♡」
そこに在るのは空気だけ。
どうやらマスターは、お花でも摘みに席を外しているようだ。
客は黄色い悲鳴を上げつつ悔しがる。
「あーぁん! もう!」
「じゃあ次、貴方ね」
「えっ……」
「時計回りっ! みんな言うから、早く言いなさいっ!」
「えっ……えー……、勇者様……」
「「……ちっ」」
「え!? 今舌打ち聞こえたけど!?」
「普通過ぎ。面白くなぁーい。まだマスター好きとか言ってる方が面白いって」
「じ、じゃあ、貴方は誰が好きなのよっ」
客は自分の告白を“面白くない”の一言で片付けられ、ぷりぷりと怒りながらバトンを投げた。
「私は断然ラムガル君だなー」
「なんで? 顔怖くない?」
「だってラムガルくんあー見えて、チョー完璧主夫だよ? マジ一家に一台ってゆーか」
「あー、分かるっ! それにラムガルくんって身体を自在に変えられるじゃん。あー、も一回、ガルムになってくんねーかな? マジ貴公子だったんだけどっ! あ、マスター、梅酒ロックね」
「畏まりました」
「こっちも生2つ! 枝豆ある? 手が汚れるから、皮剥いといて」
「……畏まりました」
マスターはゴム手袋を嵌め、プチプチと枝豆をガラスの容器に剥き始めた。
「ホント、姿変えられるとかチート過ぎ。あのスペックで王子フェイスとかされたら、神過ぎるから!」
「でも神といえば、ラムガルくん、信仰厚すぎない? マジ、マザコンレベルってゆーか」
「アイター、それ言っちゃったか! ……もぉーなんか、一気に冷めたわ。よし、マスター、ワインボトルで、あとウィスキーと氷!」
「ちょー、チャンポン!? ウケるんだけどもっ」
「じゃあ、次あんたね!」
「私は……ウィルくんかな」
「「誰それ?」」
「覚えてないの!? 初代ドラゴンライダーのウィル君だよ!」
「あー」
「ウンウンいたいた」
「あの俺様感、なんかもう、直球ストライクだったー。も一回復活してくんないかな?」
「えー無理無理。だってルシファーケチだもん」
「ホントにね。ちょっと調子乗ってない? 嫁持ちとか、マジふざけんなって」
「「「……」」」
「な、なによ?」
「あんたもしかして……」
「ルシファーのこと好きなわけ?」
「なっ、ち、ちがっ……ちょっと可愛いなー、とか思ったくらいだしっ!」
「おーおー、飲め飲め。所詮ここで酒飲んでるうちは、叶わん想いだからねー」
「だから別にっ……もーーー! 次の人っ! ……て、あんた好きな人なんて居るの?」
「……天の邪鬼」
「……そういやあんた、戦闘狂だった」
「……強さもさることながら、最後のあの笑顔が胸にささった……」
「ちょーっっ! こいつが一番乙女モードだよっ! どう言うこと!?」
「アハハハハハ」
「では、最後は貴方だ」
「えっ……私は別にっ……」
「言っちゃえ言っちゃえ!」
「……私は、……ゼロス様を……」
最後の客がそう告白した瞬間、その場が凍りついた。
「「「「「「……」」」」」」
「……な、何よ?」
さっきまでふざけ合っていたのが嘘のように、客の一人がその肩を掴んだ。
「……職場恋愛とか、ありえないからね? 空気読みなよ? マジで」
「そう、絶対、駄目よ? 暗黙の了解でしょ?」
「……え」
肩を掴まれ、目を白黒させる客に、他の客が叫んだ。
「っだってそれ言ったら、私達だってゼロス様に決まってるじゃないぃぃぃーーーー!!!」
「もうただでさえあの神的存在感が後光さしてるのに、美青年に成長して、もう目が潰れそうなんですけど!!?」
「ってか、神的じゃなくマジで神だから。……私はちっちゃいほうが良かったな。ゼロキュンマジ天使☆的な!! ……じゃ無くて神!」
「うん……。ゼロス様と比べるなら……マスターごめんね。……しゅん」
「はい。ぜんぜん気にしてませんから。寧ろ良かったです」
突然別の意味で盛り上がり始めたその場を切り上げさせるよう、手を叩く音が響いた。
「はいはいはいー。……てゆーかさあ、職場恋愛どころか、私らに恋愛とか本当に無理だから! だって時間なさ過ぎでしょ。まぁ、愛され過ぎでもある訳なんだけどさ」
「うんうん。愛が重いよねー。せめて部下欲しくない? したら、もうちょい時間できるのに」
「あ、それいーね! あたしらめっちゃ働いてるしさ。ちょっと奏上してみる?」
「賛成ーー!」
客の一人がそう言って、大きく手を挙げた時、ドアベルの音が響いた。
ーーーチリン チリン……
その音と共に、店に入って来た客が、カウンターに居並ぶ客に声を掛けた。
「やぁ、僕の天使達。ここに居たんだ」
一瞬だった。
客達はカウンターを離れ、その美しい翼の羽を、雪のように舞い散らせながら、一切の狂い無い動作で新たな客の前に跪く。
「「「「「「「はい、ゼロス神様」」」」」」」
客はカウンターに散らかるグラスと湯呑を見て、眉をしかめる。
「……マスター、僕の天使達に、あまり変な物は飲ませないでね?」
マスターは、客に恭しく謝辞を述べる。
「申し訳ございません」
客はため息を付きながら、小さなキューブをマスターに差し出した。
「まったく……。マスター、これ、レイスから預かって来たキューブだよ。なんか、ティターン達を大きくしたり、小さくしたりする為のキノコなんだって。この前から、なんか妙にキノコにこだわるよね……?」
「は、はい。ありがとうございます」
マスターかキューブを両手で受け取ると、客は注文はせず、カウンターの客達に声を掛けた。
「じゃあ天使達、ちょっと経過の観察をするから、僕とおいで」
「「「「「「はい」」」」」」
ーーーチリン チリン
そうして客達は、嵐の如く去って行った。
客のいなくなった店で、マスターはグラスと湯呑と食器を片付ける。
黙々と、無言で。
ーーーカチャカチャ……
ーーーキュッキュッ……
ーーーパタン……
マスターは食器を戸棚に仕舞い、きれいに整頓された店内で、呟くように言った。
「ーーー……聴いてますよね、アインス様」
あ、俺?
「聴いてるよ」
「あれ、なんですか?」
「天使達に自分の経験を元に、恋心を入れたんだって。それから、“個”の感情もね。……そしたら、なんかOLみたいになってしまったんだ」
「おーえるってなんですか?」
俺が答えようとしたとき、再びドアベルが鳴り響き、扉が開いた。
「よう! マスター! 酒の匂いがしたから来たぜ」
「こんにちは。バッカス様」
「そういや、この前漬け込んだ、ハーティーの精油の酒はどうだ?」
「見てみましょうか。……そうだ、ついでに天使様の羽がいっぱいあるんですが、これも漬け込んでみます? 天上のエキスが出るのか、はたまた、疲れ果てたおーえるのエキスが出るのか……」
「おもしれーな! やってみようぜ」
マスターは頷き、客と共に新たな瓶を仕込み始めた。
……ソーマが完成するのは、そう遠い未来では無いのかもしれない。
ーーーそう、ここは世界の片隅、世界樹の根元にある小さな店。
そこは、地下にある、ラムガルだけが入店を拒否られている、隠れ家的な店だ。
次章、“個の尊厳”へと移ります。
意思を確立し始めた八百万の神々や天使達が、出てきます。
そして、いよいよ天界戦争の勃発の章となる予定です。
よろしくお願いします(*´艸`*)!




