番外編 〜ヘンリーとグレース〜⑥
男は、ゾンビや骸骨を切り捨てながら墓場を駆け抜ける。
しかしその数は凄まじく、その肩を掴まれ引き摺り倒される。
「ぐっ、離せぇ!!」
ーーーパシャ
俯き、土に顔を押し付けられる男が身を捩った時、何かがその頭に当たり、ドロリと液体が頭皮を伝った。
男は地に落ちたその液体と破片を見て、困惑しながら呟く。
「……生タマゴ?」
その時、亡者達の壁の向かうから、モヒカン老婆の声が響いた。
「ひゃっはぁーーーーっ! 汚物は消毒だァァァァーーー!!」
ーーープシューーーーーーーッッ
男の頭に白い物が撒き散らされた。
……あれは……、シェービングムースだね。
男はそうとは気付かず、自分を抑える亡者の隙をつき、腕を抜くとそのまま殴り飛ばした。
数は多いが、一体自体の力はさほど強くはない。男はふたたび剣を構え、道を切り開いた。
男は、取り囲んでいた亡者の壁をとりあえず抜けきり、自分の剣の異変に気付き、驚愕した。
長年使い込んだロングソードに、ふわふわのタオルが巻き付けられ、そのタオルを粘着テープでベトベトにとめられていたのだ。
「な、なんだ? これは……」
男は驚愕しつつも、そのテープを外そうとするが、繊維に絡んでテープは取れない。
「……」
若干イラッときた男は、カバンからナイフを取り出し、それを切り裂こうと試みた。
「……」
カバンの中で、刀身が抜かれたナイフも同じ状態で発見された。
しかも、空になった鞘には、小さく千切られた粘着テープが詰め込まれている。
「……。……ちっ」
男はイラッときた。そして舌打ちをすると、力任せに粘着テープごと、ふわふわのタオルを引きちぎった。
そして男はまた走り出す。
背中にデカデカと落書きされた“BOO!★”と言う文字には、かけらも気付かずに。
◆
男は生卵とトイレットペーパーの弾幕を避けつつ、何とか屋敷の玄関に走り込んだ。
そして扉を押し開けようとした時、声が聴こえた。
「合言葉を言え」
「……は?」
見れば羊の蝶番が、ニヤリとその表情を歪ませている。
「……合言葉を言え」
「くっ……、それを言わねえと通さないってか!」
男は懐に手を突っ込むと、キャンディーを取り出し、羊の口に突っ込んだ。
「通してくれっ! 俺はどうしても行かなきゃなんねえんだ!」
男の必死の懇願に、羊の蝶番はぷっと包み紙だけを吐き出すと、口をモゴモゴと動かしながら言った。
「……合言葉は、“ない”。沈黙こそが正解だ。通るがいい」
ーーーギィ……
扉がひとりでに開き始めた。
男が身を滑り込ませようとした時、羊の蝶番が言った。
「キャンディーの礼だ。いい事を教えてやる。“密室には入るな”」
「……? 屋敷に入るのに、密室は駄目だと?」
「ああ、この扉は開けといてやる。密室には入るな」
「……わ、分かった。そうしよう」
男は困惑しつつも頷き、屋敷に入って行った。
屋敷の中は、蜘蛛の巣と埃にまみれた廃屋。
かつては栄華を極めたであろうその彫刻や絵画などの芸術品はひび割れ、破れ、無残な姿と成り果てている。
男は剣を構え進む。
ちなみに剣の鞘は捨てた。
いつの間にか、剣の鞘の内側に“ぷくぷくシール”が貼り付けられていたのだ。
内側だから取れないし、ぷくぷくと厚みがあるため、引っ掛かって剣は収まらない。男は苛立ちに任せ、それを投げ棄てた。
男が部屋を進むと、その先に、薄汚れたエレベーターがあった。
「……これで最上階に行けるのか? ……妖精は、確かこの屋敷の最上階と……」
ーーーチーン……
男がエレベーターに歩み寄ると、不思議とエレベーターがひとりでに開いた。
「!?」
男は思わず乗り込もうとしたが、ふとその足を止めた。
「……いや、あの羊が言っていた。“密室には入るな”と」
男はエレベーターから1歩下がり、辺りを見回す。
そしてホールの隅に、螺旋階段を見つけた。そしてその隣に“トイレ”の文字と、壁に溶け込むようにある扉。
「……」
男は無言で扉に歩みを進めた。
確かにあれほどの泥水を啜っていれば、お腹の具合がよろしくないのは容易に想像できる。
男はトイレの扉を開けると、突然女の泣き声が聞こえてきて、男は舌打ちした。
「ちっ、泣き女か」
それはダンジョンに出るモンスターの一種、悲恋の末に湖に身投げした女の幽霊。
その姿を見た者を、手当たり次第に水の中に引き摺り込むという。
扉の中の手洗い場の奥の扉の下から、じわじわと水が染み出している。
扉の奥から、すすり泣きの声に混じって、か細い声が聞こえてきた。
「私、花子。……遊びましょう……?」
「っ」
扉のドアノブがカチャリと開いた瞬間、男はトイレを諦め駆け出した。
そして、一目散に階段を駆け上がる。
階段の13段目毎にマドハンドに足を掴まれ、壁にかかった貴婦人の絵はけたたましく笑う。
男は必死に駆けた。
その時、ふわりと男の前に、黒いマントが舞い降りた。
その影が立ち上がったとき、男はその美しさに驚愕する。
三角の山高帽子を被った、白髪の美少女。
「っ!?」
少女は言った。
「……レイスは……ウィッチ!」
「!? ……そうか、お前も化物か!」
男は少女に剣を向け、駆け出した。
◆
一方その頃、女も墓地をひたかけていた。
「なっ、なっ、なっ、何なのよぉ!!!? いやあぁぁーーーっ!」
「まぁてぇぇぇえーーーっ!」
その後ろからは、付かず離れずゾンビやスケルトンが追いかけてくる。
女の姿は哀れにも、下着姿に生卵とトイレットペーパー塗れ。
生卵はゾンビ達に今尚投げつけられているせいだが、服は川の老婆に剥ぎ取られた。……やはり、脱衣婆婆だったようだ。
必死の思いで屋敷の扉に辿り着くと、その扉は開いていた。
しかし、突然その扉が喋る。
「Trick or Treat! 合言葉を、言え」
「……? なに? そんなの知らないわよ。気持ち悪い」
女はそれだけ言うと、屋敷に入っていった。
羊の蝶番は言う。
「知らないでは無く、無いが正解だ」
だが、その言葉を聴くものは最早居なかった。
女は屋敷の中でエレベータを見つけ、それに乗り込んだ。
「ジルは何処に行ったのかしら? ……まあ良いわ。上の階から探しましょう」
女は九階のボタンを押した。
間もなくエレベーターは上昇を始める。
やがて9と書かれたボタンが青く光り、心地よい音が響いた。
ーーーチーン……ッガタン
エレベーターは停止したが、扉は開かない。
「?」
女は首を傾げた。
「ちょ、どういう事? 壊れたっていうの?」
ーーーギリッ……ブチブチッ……
突然、エレベータの天井の上から、駄目な音が聴こえた。
「えっ、嘘!? ウソウソウソッ!! ちょっと開いてっ、お願いぃ!!!」
ーーーブツン
何かが切れる音と共に、エレベータが轟音を立てながら、落下を始めた。
「ギャァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーー……」
……凄まじい轟音を響かせ、やがて悲鳴とともにその音は消えた。
◆
一方、階段の踊り場では、斬りかかってくる男にウィッチがワンダーワンドを向けた。
「ウィッチは、……魔法で何でもできる!」
その途端、ワンダーワンドから白い光が溢れ出し、幾千の刃が創り出され、男に狙いを定め、ノータイムで男に降り注いだ。
「っ!」
ーーー串刺しだ……
そう男が覚悟し、目を瞑ったがその剣はいつ迄経っても男を貫く事は無かった。
恐る恐る目を開けてみると、そこには黒い髪のドラキュラ伯爵が、マントを広げ、その剣を全て防いでいた。
「……?」
男は困惑し、その壮絶な光景に目を見開く。
ドラキュラ伯爵が、額に汗を浮かべ、幾千の剣を防ぎながら男に言った。
「……Trick or Treat?」
「……え?」
意味がわからず、男は言葉を詰まらせた。
そんな男に、ヴァンパイア伯爵は困ったように微笑みながら言った。
「……ごめんね」
そしてマントで防いでいない方の手で、ポケットから油性ペンを出すと、その額に“LOVE”、鼻の下に“鼻毛”を描いた。
「……え?」
更に困惑する男。
「次、レイスもっ!!」
ウィッチが言った。
剣が消え、再びワンダーワンドに光が灯ると、今度は幾万の毒蛇や毒虫がボトボトと落ちてきた。
男は慌ててそれを払いのける。
「ちょっと! ちゃんとTrick or Treatって言わなきゃ駄目だよ!?」
ヴァンパイア伯爵がそう叫んだ瞬間、男に飛びかかろうと口を開いていた毒蛇が消えた。
ウィッチがポンと手を打ち、男に指を突き付ける。
「Trick or Treat?」
その瞬間、間髪入れず誰かが叫んだ。
「キャンディーを渡せっ!!」
いつの間にか、そこにはカボチャ男がいた。
男は慌てて、懐からキャンディーを取り出し、ウィッチとかぼちゃ男に投げつける。
ーーー……コイツ等はヤバイ。
亡者には感じなかった底無しの恐怖を、男はその二人から感じ取った。
ウィッチがそれを受け取り、ヴァンパイア伯爵に言う。
「……伯爵。キャンディー貰った」
「うん。良かったね」
「オレも貰ってしまった……」
「良かったじゃない。じゃあ、僕達はまた上に戻ろうか」
ヴァンパイア伯爵がそう言うと、他の二人も頷き、闇に溶けるうにその姿は消えた。
「な、……何だったんだ……?」
ーーー男は知らない。
その一粒のキャンディーが、2度目の頂上決戦を防いだ事を。
男は再び、階段を登り始めた。
「妖精は、二人はこの屋敷の最上階に居ると言っていた。……待ってろよ……」
その時、ふと階段から見える廊下の影に、見覚えのあるスカートが揺れた。
「……グレース?」
男は引き寄せられるように、階段を登ることをやめ、その影を追って廊下へと駆け出した。




