神は、寵愛を、聖櫃に仕舞い賜うた
パーシヴァルは身を起こすと、仰向けに伸びているガラフに声を掛けた。
「ガラフ! 起きろ。聖杯探索はまだ終わってはいないぞ!」
その声に、ガラフがハッと目を覚まし、慌ただしく騒ぎ出した。
「っは! あ、痛てぇーーー! パーシーっ、俺腕に穴開いてるんだが!? ……って、あれ? パーシーはなんでそんな平気なんだ? ってか、傷口全部塞がってるじゃねえか……、良かったなぁ!」
「! 本当だ。……どう言う事だ?」
ガラフの指摘に、パーシヴァルは自分の体を見回し驚いている。
ガラフは身を起こし、ふと、ジャンヌに目を向け尋ねる。
「……ゼロは?」
ジャンヌは俯き、唇を噛みしめた。
それを見たパーシヴァルが、その答えを引き継いだ。
「帰ったそうだ」
「ああ……そうか。……そっか! 良かったじゃねえか! なっはっ……」
ガラフがそう笑った時、その頭に何か小さな硬いものが落ちて来た。
「いてっ! 何だ?」
地面に転がったソレを見れば、それは、見覚えのあるポーションの小瓶だった。
「?」
三人が、不思議そうにその小瓶を見つめていると、やたら疲れたような男の声が響いた。
「ーーーシオンは、1本で良いと言ったはずだからね。余分なものは返すよ」
髪は乱れ、目の下に隈を浮かべる、やつれ果てたマスターだった。
その姿を見留めた途端、ガラフが牙を向き吠える。
「ッテメエ!」
マスターはその吠え声で、少し元気を取り戻したのか、ニヤリと嗤いながら、小馬鹿にするように言った。
「ふん、余分なものまで貰っちゃ、僕の流儀に反するんだ。僕は貰ったものは、常に100倍返しが信条だからね。……試しに喧嘩でも売ってみる?」
「くっ、こんなモンっ……」
嘲笑うマスターに小瓶を投げ返そうとするガラフを、パーシヴァルが止めた。
「……やめておけ。今は、少しでも回復をしておくべきだ。……もう、立ち上がるだけでも辛いのだろう?」
「……ちっ」
ガラフは、舌打ちをしながら、小瓶の蓋を開けるとそれを呷った。
ーーーパアァーーー……
「へ?」
途端、ガラフの傷が、優しい光と共に全回復した。
マスターが嗤いながら言う。
「あははっ、ポーションごときで全回復!? はっ、人間はなんて雑魚いんだろうね。リミッターが低過ぎるよ!」
「なんだと!?」
怒りを顕に怒鳴るガラフ。
……っと言うか、あれ、中身、エリクサーとすり替えてたよね。
さっき、“100倍返し”とか、叫んでたし、そういう事だよね……。何という、ツンデレなのだろうか。
マスターは、ガラフの怒鳴り声を、受け流しながら言った。
「さあ、もう本気で駄目かと思ったけど、何とかこの世界(と僕)は、生き残る事ができた。このダンジョンで唯一残ったあの扉をくぐれば、聖杯がある。真の騎士よ。最後の探索の扉を開くといい」
マスターがそう言った途端、3人の前方に、美しいレリーフを施した扉が現れた。
「「「……」」」
三人は、無言で唸きあい、その扉へと歩き始めた。
◇
扉の向こうは、小さな礼拝堂の中だった。
そして、その祭壇の前は5個のゴブレットが並べられていた。
ーーーひとつは、まるでトロフィーのように美しい黄金とエメラルドの杯。
ーーーひとつは、伝説の鉱石、ミスリルで作られた白銀の杯。
ーーーひとつは、シミの浮いた、素焼きの土の杯。
ーーーひとつは、ハーティー模様が浮き上がる、ガラスの杯。
ーーーそして最後のひとつは、漆黒の杯だった。
3人の後から、ゆっくりと礼拝堂に入ってきたマスターが言う。
「やっとここまで来たね。さあどうぞ。あれが聖杯だ」
「って、どれだよ?」
じろりと睨むガラフに、マスターは首を傾げた。
「さあ? 真の騎士様ならわかるんじゃない? そう言う話なんだもの。……そして、その聖杯を手に取れば、王様になれるんだったよね」
マスターが嗤いながらその様子を見つめる中、暫しの沈黙の後、突然ジャンヌが踵を返し、入ってきた扉に歩き出した。
「「!」」
パーシヴァルとガラフは慌てて振り向き、マスターがその背中を呼び止める。
「待ちなよ! さっきの戦いで、ダンジョンは殆ど壊れてしまったんだ。その扉から1歩でも出ると、ダンジョンの外まで飛ばされるよ」
ジャンヌは立ち止まり、チラリとマスターに視線を送りながら言った。
「私は、仕える主君を失った。そして今後、私が忠誠を誓うべき主君は現れない。主君なき私は、もはや騎士ではない」
そしてまた、ジャンヌは扉へ向かい、ゆっくりと歩き出した、背中越しに、3人に言った。
「“ただの村娘”は、“真の騎士様”のお出ましを、外で待つさ」
その後ろ姿に、パーシヴァルが駆け出した。
「……待てジャンヌ!」
「パーシヴァル殿、止めないでください。私は……」
「止めはしない。俺も行こう」
「?」
パーシヴァルの言葉に、ジャンヌは首を傾げる。
パーシヴァルは、ジャンヌの隣に立つと、すっと背筋を伸ばし、笑いながら言った。
「俺はもともと、騎士になど興味はなかった。俺は、この家名と、ジャンヌに恥じぬようにと、ずっと虚勢を張ってた偽騎士なのだ。俺にも、あれを選ぶ権利は無いだろう」
ジャンヌはふっと口元を緩め、パーシヴァルと共に歩き始めた。
そんな二人にガラフは、慌てて声をかける。
「っ! おい、パーシー!?」
パーシヴァルは、そんなガラフに気付かないふりをする。
「なあ、ジャンヌ、ただの村娘になったのなら、一度、口説いてみてもいいか?」
まるで開き直ったような、いい笑顔を浮かべるパーシヴァルを、ジャンヌはじとりと睨み、溜息をついた。
「……パーシヴァル殿……」
「って、大将が行くなら俺も行くぜ!? 待てよ、お前らっ、ちょっ……」
聖杯に背を向けて、慌てて二人を追おうとするガラフに、マスターは眉を寄せながら声を掛けた。
「ちょっと! せっかくここまで来てどういう事?」
ガラフは、二人がすでにくぐり抜けた扉を、チラチラと見ながら頭を掻く。
「……だってよお、俺がなりたいのは騎士であって、王様じゃねえし」
マスターは、しかめっ面でガラフをじっと見つめたあと、溜息をついた。
「……。はぁ、ああ、そう。じゃあ行きなよ。バイバイ!」
面倒臭そうに言いながら、野良犬でも追い払うように手を振るマスターに、ガラフは笑った。
「おお! クソまずいポーション、サンキューな!」
ーーーパタン……
そして扉は、なんの迷いも躊躇いもなく、呆気なく閉じられた。
マスターは誰もいなくなった祭壇の前で、つまらなそうに独り言を言った
「あーあ、……せっかく、偽の毒杯の準備をしたのに、無駄になっちゃったじゃない。……ま、本物を取ったとしても、脱出不可能な、虚無の隔離空間に放り込む仕掛けをしてたんだけどね? ゼロス神様は、“世界を統べる王”の住居は指定してなかった訳だし……」
そして、キューブを捻り、石壁に、去っていった騎士達の姿を映し出した。
三人は、死闘を超え、ボロボロの埃まみれの姿で、楽しそうに話をしながら、街へと続く草原の道を歩いていた。
空は青く澄み、風が草を波打たせる。
映像は、彼らの声を伝えてきた。
『ーーージャンヌは、どれが聖杯だったと思う?』
『さあ? 騎士では無いので、分かりかねますね』
『そうか。ーーー……しかし、あのグラス、我が家にあったグラスに似ていて、思わず望郷の念を抱いてしまったぞ。どうだジャンヌ、俺の領地に来てみないか?』
『……』
『奥手だと思ってたら、いつの間にか、随分攻めるようになったなぁ。……なぁ、パーシー、ボールス達にタコ殴りにされるぞ?』
『……。やかましい。邪神が言っていたのだ。“恋はいつも戦い”だとな』
『……んなこと言ってたか?』
『言ってたはずだ。……。いや、いつ言った? ……?』
『知るか!』
『……まあ、いい。ガラフは、どれが本物だと思った?』
『聖杯か? そりゃ、真ん中の、きったねーゴブレットだろ』
『……随分言い切るな。何故そう思った?』
『ほら、マリーが言ってたろ。“騎士は貧乏であれ”って。婆ちゃんも、念を押してくれてたしな』
『“貧乏”では無いだろ。“清貧”だ』
『似たようなもんだ! そもそも俺の勘が当たってるとも限んねえしなっ! 今となっちゃ、もう何も分かんねーよ。なっはっはっはっーーーっ!』
楽しげな騎士達のやり取りを見て、マスターはげんなりと、嫌そうに溜息をついた。
「腹立たしいけど、当たってるよ……。ホントに目だけは良いな。あの馬鹿騎士は」
そして、祭壇に鎮座する聖杯を、じっと見る。
「……ホント、バカで命拾いしたね」
マスターは、少し嬉しそうにそう言うと、その身を光の粒へと変えた。
◆
聖域で俺は、枝に腰掛け、光る文字で空中になにか設計図のようなものを書き出し始めたゼロスに、声を掛けた。
「おかえり、ゼロス。突然大きくなって、ビックリしたよ。一体どういった心境の変化だい?」
俺の言葉に、青年の姿をしたゼロスは、ニヤリとしながら言う。
「ふふ、恋を知ったからね。もう大人でしょ?」
「……」
……俺は、そんな子供らしい考えに、癒やされた。
そして、一心に空に光を描き続けるゼロスに、俺は尋ねる。
「……ジャンヌちゃんには、もう会いに行きたいと思わないの? あんなに大騒ぎしてたのに、……もう好きじゃなくなったの?」
「……? うん。別にもう、会う必要はないでしょ。それに、ジャンヌのことなら、今だって大好きだよ。心から愛してる」
ゼロスは俺の質問に、不思議そうにそう答えると、また光の文字を描き始める。
俺はぽつりぽつりと話し続けた。
「……3人の騎士達、結局聖杯は見つけられなかったんだよね」
「へえ、そうなんだ。ガラハッド辺りが見つけると思ってた。そして、パーシヴァルに献上するかなとか、予想してたけどね」
ゼロスは書き上げた設計図に、首をひねりながら、俺の話に片手間で応える。
……もう、ゼロスは彼らとの時間を忘れてしまったのかな?
俺は、葉の音にかき消されそうな声で聞いてみた。
「彼らの事は、もう、気にはならないの?」
ゼロスが顔を上げ、俺を見た。
「さっきからどうしたの? アインス。そんなの気になるに決まってるよ。特にパーシヴァルは、僕の分身だ。僕の心そのものが眠っているんだから、その存在が“聖櫃”と言っても過言じゃない。勇者と同じくらい、気になる存在だ。それに、ガラハッドは僕の教えをよく守って、真面目だし、ジャンヌは、ーーーうん、そう。普通に愛してる」
ーーー……。
「……。……そうだね」
俺は、頷くと、静かに葉を揺らした。
ゼロスは少し首を傾げた後、また、自分の描いた設計図に目を向け、それの修正を始める。
ーーーこうして、ゼロスの恋心は失われ、その恋は、文字通り“失恋”に終わったんだ。
ゼロスは賢い。
神が恋なんかで盲目になれば、世界は簡単に滅びることを、ちゃんとわかってた。だから、さっき言っていた通り、最後に想いを伝えた後、ゼロスは“神”として、あるべき選択をとったんだ。
少し大人っぽくなったゼロスが、本当に、少し大人っぽく見えた。
俺は空を見上げ、芽を閉じる。
ーーー酸っぱいなあ。
俺は、もはやゼロスが感じることの無い、このやるせない程に酸っぱい想いを、この幹の中に、そっと仕舞っておくことにした。
その時、空の上からレイスの、気持ち弾むような声が聴こえてきた。
ゼロスはその声に、手を止める。
「ゼロス! もう、人間の所にはいかない? だったら、また戦いをやろう! 楽しかった!」
「……だから、僕は戦いは好きじゃないんだってば、レイス」
「……でも、レイスまたやりたい。……お願い、ゼロス」
「はぁ……もう、しょうがないなあ。じゃあまた、そのうちね。後、レイス強いから、ハンデつけてよ?」
「うん!」
俺は、そんな、お兄ちゃんと妹の、仲の良いやり取りを見て、幸せな気持ちになった。
ゼロスが大きくなっても、この2柱はちっとも変わらない。
幼いままの姿のレイスは嬉しそうに、魔剣アロンダイトを取り出し、素振りを始め、ゼロスは、大人びた、困ったような笑顔を、その顔に浮かべた。
そう言えば、この件をキッカケに、“邪神は、真実の愛を前に無力になる”なんて噂が流れはじめたんだ。
……邪神じゃないのに、可哀想に。
……あ。
近くに居た、ラタトスクの尻尾が風圧で切断された…。
慌てふためくレイスに、泣き叫ぶラタトスク。
そして、そんな二人を宥めながら、落ち着いて治療を施すゼロス。
俺は思った。
ーーーまあだけど、もう少し、レイスが大人になるまでは、その噂は真実でいいかもしれないね。
これにて寵愛編終了です。
ブクマや、評価いただき本当にありがとうございます!
恋心を“理解”したゼロスは、一体何を創っているんでしょうか……(笑)
とんでもない物が出来なければ良いのですが。
※因みにゼロスは、コツコツとレイスの入れ物を頑張って創ってるだけなのです。寄り道しつつも、着々とやらかしつつ、頑張ってるだけなのです……。




