神は、寵愛を与え賜うた⑨
「まことの騎士のみが、見つけ出す事のできる聖杯……」
ジャンヌがポツリと呟いた。
蜃気楼の断崖に、聖杯が隠されていると言う噂は、この3年の間に一番有力な情報として扱われていた。
その時、ジャンヌ達の背後から歓声が上がった。
「やっと出たぜっ!!」
「聖杯は、オレのもんだっ!!」
「!?」
ジャンヌ達が驚きの余り、目を見開き固まっていると、次々と、冒険者の様ななりをした騎士達が、蜃気楼を目指して走っていく。
「っガラフ! ジャンヌ! 俺達も行こう!」
パーシヴァルが声を上げた。
「あ……」
ガラフが、戸惑う様な妙な声を上げる。
そして、同時に高い声が言った。
「おじちゃん! マリー、もう大丈夫だよっ! ありがとう、おじちゃん」
「あっ、おいこら暴れんな!」
もぞもぞと動く幼女に、ガラフが怒鳴った。
そして、着地に失敗した幼女は尻もちをつく。
「いてて……。えへ、マリー平気だから!」
そう言いながらも、なかなか立てずに地を這う幼女マリー。
そんなマリーを、パーシヴァルはどう声を掛けたものかと迷っている。
他の騎士達は、どんどん駆けてゆく。
ガラフがパーシヴァルに言った。
「お前等は行ってくれ」
「!?」
「俺は、マリーと約束したんだ。送ってやるって」
「しかし、騎士の任はどうするつもりだ。聖杯探索の任は」
ガラフは再びマリーを抱き上げ、肩に載せた。
「任は全うするさ。だがな、ここで投げ出しちゃ、俺の騎士道に反する。強きを挫き、弱きを助ける。それが、俺の騎士道だ」
そう言って笑うガラフに、パーシヴァルは言葉をつまらせ、ジャンヌは笑った。
「ははっ、確かにな! パーシヴァル殿。すまないが、私もガラフと少女を送り届けてきます。なに、闇が迫るまで時間もある。必ず追いつきます」
そう言う二人を見て、パーシヴァルはため息を付いた。
「……わかった。俺も行こう」
「「!」」
「お前達の言う通りだ。騎士道を忘れて探索を続けた所で、聖杯が見つかるはずなど無い。神は我らの善行を見ておられるのだから。……それに、今日が無かったとしても、まだチャンスは2日もある。そうだろう? ジャンヌ」
ジャンヌは突然話を振られ驚いたが、嬉しそうな笑顔で答えた。
「っはい!」
そして、5人は“蜃気楼の断崖”に背を向け、街の方へと歩き出した。
◇
やがて、闇が迫り、街に明かりが灯り始めた頃、ジャンヌ達はマリーの家に到着した。
「アンおばあちゃんっ! ただいま!」
マリーは足を引きずりつつも、元気に薄汚れた古物商へと入っていった。
「おや、マリー。おかえり。遅いから心配していたんだよ」
「うん、途中でコケちゃって……アンお婆ちゃんに頼まれてたお花、潰しちゃったの」
「おやおや、大丈夫かい? 怪我はしていない?」
「うん。足怪我しちゃったんだけど、おじちゃんにお薬貼ってもらったの。もう、平気だよ」
それを聞いた老婆は顔を上げ、3人の騎士と少年を見た。
そして、嬉しそうに微笑み言った。
「これはこれは、お客様かと思えば。マリーを助けてくださって、有難うございます」
その言葉に、パーシヴァルが首を振った。
「いえ、少女を、助けたのはこのガラハッドという男。我々は付き添ったまで」
「まあ、謙遜なさらないで。あなた方は共に、誇り高い騎士様なのだから。……何かお礼をしないと」
そう言って老婆が立ち上がろうとした時、テーブルの上の花瓶が倒れた。
ーーーカチャンっ!
テーブルの上を転がる花瓶は割れはしなかったものの、中の水を撒き散らした。
「あーあ、大丈夫か婆さん」
「すまないねえ。足が悪くて……。ああいいよ。その花は元々枯れてたんだよ。マリーや、布巾を持ってきとくれないかい?」
「はーい!」
幾分か足の良くなったマリーは、元気に答えると店の奥に入っていった。
「マリーがお使いを頼まれてた花って、それか?」
「……そう、アタシの娘夫婦が生きてる頃、よく花をいけてくれてたんだよ。……もう帰って来ないって分かってても、花があると、あの子らが近くに居るような気がしてね。だけど、足が悪くてアタシ一人じゃ花も買いに行けない」
老婆はそう言うと、ため息を付きながら、首を振った。
その時、ガラフが思い出したように言った。
「あ! そうだ、婆さん。これはどうだ?」
そう言って差し出したのは、紙で出来た紫色の薔薇。
ガラフは転がった花瓶の水を服の裾で拭うと、そこに、折り紙の薔薇をさした。
「まあ……なんて……」
驚く老婆に、ガラフは言った。
「枯れない花だ」
老婆はその花瓶をそっと抱きかかえ、微笑んだ。
「ありがとう。貴方は、本当に素晴らしい騎士様ね」
その時、マリーが布巾を持って戻って来た。
「あれ、……アンおばあちゃん、その花……」
「この騎士様がね、私にくれたの。だから貴女はもう、花を買いに行く必要がないのよ」
老婆はそう言い、布巾を受け取った。
「さあ、貴女はもうお帰りなさい。この方達をお連れして。この方達なら、きっと、“鍵”を持っているはず」
キョトンとする4人の前に、マリーが進み出した。
そして、嬉しそうに笑いながら、言った。
「おばあちゃんに、お花を届けてくれてありがとう! “金貨”を頂戴。おじちゃん」
「「「「!!?」」」」
マリーの言葉に、4人は目を見開く。
「金貨って……お前……」
うわ言のように、口をパクパクとさせながら言うガラフに、マリーは口を尖らせながら言った。
「“蜃気楼の断崖”に行きたいんでしょ、おじちゃん達! 速くしないと、“今日の扉”が閉まっちゃうよ!」
「! ガラフっ! 早く金貨を!」
パーシヴァルが、やっとマリーの言葉の意味に気付き、ガラフに叫んだ。
ガラフがグリフォンの刻まれた金貨を差し出すと、マリーはポケットから、メッキの剥げた懐中時計を出し、それをパカリと開けた。
そして金貨を受け取ると、その金貨を懐中時計の蓋に嵌め込み、パチリと再びそれを閉める。
途端、懐中時計から眩しい光の筋が漏れ始めた。
マリーが微笑む。
「……ありがとう、おじちゃん。1つでも見落とせば、この鍵は揃わなかったの。この試練は、騎士への戒律の中で、その心を問うもの」
マリーの口調や、その表情は、もはや幼女のそれではない。
「騎士のあるべき心とは、誠実である事、そして、清貧で、寛大で、礼節をも併せ持つ事。更には己の高潔な信念を曲げず、いつ何時でも、崇高な行いが取れる。そうであった時、初めてこの鍵は揃い、扉が開かれる様になっていたの。ーーー……あの時、私を見捨てないでくれて、ありがとう」
マリーの優しい微笑みに、ガラフの顔が歪んだ。
「そ、そんな大層な事なんもねえ。俺はただ、普通に……」
恐る恐る首を振るガラフを見て、老婆が口を開いた。
「普通に、それが出来る。それが素晴らしい事なのですよ。どうか何時までも、その真を見る事のできる心を忘れないで。聖杯は、真の騎士だけが、見つけられるのですから」
ーーそして、全てが光に包まれた。
◇
光が収まったとき、ジャンヌ達は赤い剥き出しの岩肌がそびえ立つ、荒野に居た。
あたりを見回し、ジャンヌは驚いた。
断崖の反対側に、六つの揺らめく画面が浮かんでいたのだ。
画面の向こう側には違った風景が映し出され、その向こう側には騎士たちがこちらに向かって必死に駆けてきている。
だけど、その距離は縮まらず、延々と、息を切らせながら走り、一人、また一人と脱落して行く。
その内の一人と目が合って、画面の向こうの騎士が、驚きの叫びを上げた。……とはいえ、その声はジャンヌには聞こえないのだけど。
ただ、その口は、間違いなくこう動いた。
“お前ら、どうやって、そこに?”
ジャンヌはその騎士の必死の形相に恐怖すら覚え、ゼロの手を無意識に握りしめた。
その時、突然、背後から声が掛かった。
「おめでとう! 初めての到達者だね」
「「「!?」」」
3人の騎士は、同時にそちらを振り向いた。
そこに居たのは、空に浮かぶ一人の若い男。
白いシャツに、黒いベスト、それにエプロンを着け、手には銀色に輝くキューブを握り締めていた。
男は周りに、四角い青く輝く結晶を浮かべながら、不気味なほどに、優しげな笑顔を浮かべていた。
驚愕で声が出ない騎士達を押し退け、マリーが飛び出した。
「マスター! ただいまっ!」
信じられない事に、マリーは空高く舞い上がり、マスターの腕に飛びつく。
マスターは、そんなマリーを優しく受け止め、言った。
「やっと傷の手当をしてもらえたんだね、マリー。お疲れ様。後で一緒に、ホットミルクでも飲もうか」
「うん! マリーのはね、蜂蜜いっぱい入れてね」
「勿論。じゃあ、先に行っておいてくれるかな? 僕もすぐに行くから」
「はーい! マスターも早く来てね」
マリーはそう言うと、身体を光の粒子に変え、空に弾けて消えた。
マスターはその光を見送った後、ふと思い出した様に言う。
「おっと、そろそろ日の光が消える頃だね」
マスターは六つの画面の前に飛び、愉快そうに笑いながら、優雅なお辞儀をした。
そして、画面の向こうで驚く騎士達に言った。
「ーーーそれでは、愚かで愚鈍な、偽騎士の皆様」
画面の向こうの騎士達が、なにか叫んでいる。
マスターは、ニヤリと笑いながら手を上げた。
「ーーーさようなら」
ーーーカシャン
マスターが銀のキューブをひねった瞬間、その画面は消え去ったのだった。
神々の戯れを前に、八つ当たりをしまくるマスター……。
また“こいつキモい”とか言われるんだろうなと思いつつも、悪の花を咲かせます!




