神は、寵愛を与え賜うた④
〈ジャンヌ目線〉
ーーーゼロに武器を持たせてはいけない。
それが、この砦における、暗黙の了解となった。
夜の明かりが灯る食堂で、兵達が酒を酌み交わす。
蔵に閉まった酒樽を開ける事は滅多にない。……それこそ戦勝の後ですら、開けることも無かったくらいだ。
ーーーだが、今日はもう、飲まずにはいられない……。
それも、この砦の兵達の暗黙の了解だった。
ゼロは食堂の柱の隅に腰を掛け、弦の切れたリュートを弄っている。
昔、砦を去った一人の兵士の忘れ物だった。
私は、酒を飲みながらパーシヴァル殿とガラフの広げる地図を共に見ながら、下らない話に加わっていた。
「ーーーだからよぉ、俺はやっぱり聖杯は、グリプスの地下にあると思うわけだ」
「しかしグリプスは、“歴史の道標”を隠す為、邪神が造ったというダンジョンだろう? 主神ゼロス様が、そんな呪われた所に聖杯を隠すか?」
「じゃあ、どことと思うんだよ?」
「ーーー……幻の空島、“楽園”とか?」
「なっはっは! そりゃ“この世界”じゃねえだろ。“あの世”だぞ!」
「ふむ。……ジャンヌはどう思う?」
私は、パーシヴァル殿に話を振られ、思案する。
「さあ……。神の聖心を私などが図れるはずもないですが、最近出現しだしたダンジョンなのでは?」
ガラフが空になったジョッキをテーブルに置き、言った。
「それなら、やっぱ国取り合戦だな。ダンジョンを多く抱え込んだ国が有利って訳だ。ボールスはどう思う?」
ガラフはそう言い、一人黙々と酒を飲んでいた兵士、ボールスに声を掛けた。
ボールスは、無口で、剣の腕もあまり良くは無いが、物資の流れをよく読み、世界情勢などにも詳しく、斥候達を纏める、この砦のブレインだった。
話を振られたボールスは、無言で地図に指を置き、その指で地図上すべてをくるりと囲んだ。
「全部?」
ガラフが訝しみながらボールスに聞く。
ボールスはジョッキを口元に当てたまま答えた。
「最近、“蜃気楼の断崖”と呼ばれるダンジョンが現れた」
「蜃気楼? 知らねえな」
「噂では、黄昏時にそれは蜃気楼のように現れ、日の残光と共に消えるらしい」
「一体何処に現れる?」
「各国何処でも。特に決まった場所はない。同時刻、世界の端と端で、複数同時に現れたこともあると聞く。……だが、運良くその蜃気楼を見かけた者はいても、その入り口を越えられたと言う者は、未だ誰もいない。神託にあった、“まことの騎士”だけが、そこを越えられるんじゃないかと一部で噂が立っている。ま、オレも、その説を推す派って事だ」
ーーー……“まことの騎士”。
私は、自分のジョッキの酒を煽った。
未だに騎士にすらなれていない、この現実を忘れてしまいたかった。
ーーーポロン……ポポポポロン、ポロン……
その時、突然聞こえてきた軽快なメロディに、皆が顔を上げた。
私はその音を奏でる主を見て、言った。
「ゼロ、直ったのか。……弾けるのか?」
ゼロは頷き、リュートを奏で始めた。
聞いたことのない曲。
だが、それはまるで魂を揺さぶるような、胸が高ぶるメロディ。
皆いつの間にか、手を叩いて歌い出していた。
その歌詞はみんな滅茶苦茶だが、不思議と初めて聞くリズムをなぞる事ができるのだった。
中には、踊り出す者すらいる。ーーー……まあ、ガラフなんだが。
「ゼロ! オメェ最高だな! おら、ジャンヌも踊れよ!」
巨体を揺らすガラフに、私は苦笑を浮かべなら首を振った。
「私が踊るのは、戦場だけだ。上手いじゃないか、ガラフのくせに」
「なっはっはーーっ!! んだよつまんねぇな!」
それでも、足を組みながら、ゼロのリュートの旋律に合わせ、手を叩いた。
皆と同様、私もそうせずには居られなかったのだ。
夜更けまで、その軽快なリズムは続く。
しかし、それは突然起こった。
ーーー……フッ……
「「「っ!!?」」」
突然、食堂を照らしていた全ての灯りが消えた。
パーシヴァル殿の鋭い声が響く。
「な、なんだ!? 皆、無闇にその場を動くな!! 壁際の者は灯りを確認しろっ」
しかし、そこかしこから、誰かがぶつかったり、グラスの割れる音が響いてくる。
私も身を低くして、役に立たない目を凝らしながら、あたりの気配を探った。
だがそんなあがきを嘲笑うかのように、怪奇現象は続く。
ーーーバリンッ バリンッ バリンッ!!!
「ギャッ!!!」
「な、なんだ!?」
突然、窓という窓のガラスが割れ、食堂内に降り注いだ。
運悪く、この破片を浴びた者の悲鳴が聞こえてくる。
……そして、漸くやっと、窓から入る月明かりに目が慣れてきた頃、私は目に映る光景に、更に頭を混乱させた。
ーーー何だ? あれは。
ガラスがすべて割れた窓の向こうに、頭から白銀の角を生やした少女が、こちらを見ていた。
目元を隠す黒い仮面をつけ、細い身体には白い胸当てと、大きく広がる夜の闇に溶けてしまいそうな漆黒のスカートを纏っている。純白の毛皮を、マントの様に肩にかけ、そして、背中には……
白骨の、片翼?
わけが分からない。 あれは何だ? 何が起こった?
混乱する中、私の前に滑り込む影があった。
……ゼロだった。
ゼロは細い腕を広げ、まるで私を庇うような姿勢で、窓の外の化物を睨む。
しかし、ゼロのその顔にも、言いしれぬ困惑が浮かんでいた。
化物の口が動き、低く、震えるような声が響いた。
「ーーーゼロ。諦めろ」
「!?」
ゼロの目が見開く。
あの化物は、ゼロの事を何か知っているのか?
「……諦めろ。そして、レイスの手を取るといい。レイスが、ゼロの心残りないよう、全てを跡形も残さず壊してあげるから」
化物はそう言って、誘うように、ゼロに手を伸ばした。
「ーーー……ゼロ。さぁ、この手を取れ」
「っ!」
ゼロはそれを激しく睨み、大きく首を振る。
化物は差出していた手を降ろすと、感情の無い声で言った。
「そうか。ーーーだがゼロ、いくら逃げようと無駄だ。待っているだけでも、何も手には入らない。……今のままのお前では、何度やり直そうと無駄だ」
そして、また化物は手をこちらに伸ばす。……ただし、今度は掌をこちらに向けて。
「ーーー……そうだ。もっと足掻いてみせろ。ゼロ」
化物がそう言うと、その手に銀色の光が集まり始めた。
ーーード……
一瞬だった。
“その光が何か……”、そう思う暇もなく、銀の光は、闇に溶けてしまいそうな黒い稲妻を纏いながら、その掌からゼロに向けて放たれた。
ゼロが歯を食いしばり、睨みながら、その光の砲撃を受け止めようと、細い両腕を前に伸ばす。
ーーー私の意識は、そこで途切れた。
◇
私はふと、綴じた瞼の向こうに、眩しい光を感じてその目を開けた。
紫紺の雲がたなびく、暁の光。
食堂にあった椅子に掴まり、私は体を起こした。
「……一体、何だったんーーー……」
呟き、見回した辺りの光景に、私の言葉は途切れた。
ーーー砦が、無くなっていた。
私達が守ってきた、巨大な岩を積み上げられた砦は、……瓦解し、跡形も無く、消え去っていた。
ーーー……この、食堂の一室を遺し、石壁の瓦礫すら形を残さず、細かな石粒のゴミと成り果てていたのだった。
「ゼロっ!!」
私は少し離れた場所で、倒れたゼロの姿を見つけ、飛び起き、駆け寄った。
そして、その身体を動かす事なく、まず脈を取る。
ーーー生きてる。
その事実に、涙が出そうになった。
それから、ゼロの体を調べていく。土埃にまみれているが、幸いにも怪我はない。
ーーーいや、何故これほどの衝撃の中で、怪我がない?
私は、意識なく眠るゼロを抱き上げた。
軽い。
見かけ通りの、子供の体重だ。
私は、言いしれぬ不安を感じながら、眠るゼロに問いかけた。
「ゼロ。……お前は、何者だ?」
……そしてお前は、一体、何と戦っているんだ?
ゼロは当然答えることなく眠り続け、やがて日が高くなる頃、漸くその目を覚ましたのだった。
◆
ーーー聖域にて。
レイスが凄い勢いで飛んできた。
そして、俺の幹にすがりつくように、飛び乗ってきた。
「アインスっ! アインスっ!! ひっ、人がイッパイ居たっ。緊張したっ! レイスッ……う、上手くできてた?」
気持ち荒い息を吐きながら、レイスは仮面を取るのすら忘れ、俺に言う。
俺はレイスに言った。
「うん。レイスはとてもカッコよかったよ。上手に話せていたよ!」
俺の褒める言葉に、レイスは少し照れたように下を向いた。
だけど、その仮面の下から見える口元は、嬉しそうに笑っている。
……そう、レイスは、本当に頑張った。
あんなに沢山の、知らない人々の前で、よくたった1柱で話せたね。声を震わせながらも、最後まで頑張って言い切ったんだ!
凄いよ、レイス!
俺は幹を感動に震わせながら、レイスを見つめた。
ーーー……そして、“まるで本当の邪神みたいだった”、という言葉は飲み込んだんだ。
「そんなんじゃ駄目だよ。諦める?」
「……嫌だよ! 諦めたくない。好きなんだ」
「だったら逃げちゃだめ! 恥ずかしくっても、待ってるだけじゃダメだよ!」
「……でも、」
「ーーー……大丈夫。一生懸命の恋は、かっこ悪くなんか無いよ! ……ね?」
ーーー世界の片隅で、そんな、兄と妹の、平和なやり取りがありました……。




