神は、寵愛を与え賜うた②
ジャンヌ達の軍勢は、強かった。
全てを合わせて、漸く2000を超えるかというその戦力差でも、的確な陽動と戦略、そして何より、兵士一人ひとりの強さが歴然となり、あっという間に敵兵を退けたんだ。
引いていく敵兵を前に、パーシヴァルが叫んだ。
「ジャンヌ! 深追いはするなよ! 行けっ!」
「はっ!」
ジャンヌは短く応えると、馬を駆り、5名の部下と共に駆け出した。
「隊列は崩すな!」
「「「「「はっ!」」」」」
森に逃げ混んだ残兵を追い、感覚を研ぎ澄ませ、茂みや木陰に隠れる者の首を刎ねていく。
その勢いと緻密さは、敵兵から、“首狩り魔女”と呼ばれて恐れられる所以でもあった。
ーーーだけどジャンヌは、駆けながら、ふとおかしなことに気付いた。
後ろに、後を追ってくる部下達の気配が消えていたんだ。
慌てて馬の綱を引き、歩みを止めさせる。
「ブルル!」
馬が抗議の声を上げた。
「ーーー……すまない。だが、これはどういう事だ?」
静まり返った森の中、ジャンヌは剣を構えたまま馬を降りた。
敵の気配は無いが、味方の気配も無い。
ーーーガサリッ
「!!?」
突然目の前の茂みが揺れた。
ジャンヌはそちらに剣先を向けるが、そこから出てきた者の姿を目にした瞬間、その剣を慌てて投げ捨てた。
ーーーカラン……
丸腰になったジャンヌが呆然と呟く。
「……何故……、何故、聖獣がこんな所に……?」
茂みから出てきたのは、黄金の角を持つ、白磁のように滑らかな毛皮を纏った鹿だった。
鹿は、“付いて来い”とでも言うように、小さくその輝く角を振ると、森の更に奥へと歩き出した。
「ーーー……ここで、待っていろ」
緊張した面持ちの馬の鼻面を撫で、ジャンヌは鹿の後を追った。
茂みを抜け、小川を超え、岩壁を登り、鹿はどんどん進んで行く。
ただ、時たま立ち止まり振り返る様子は、ジャンヌを待っているかのようだった。
やがて、ジャンヌはひらけた草原に到着した。
鹿は、草原の真ん中に顔を埋め、再び顔を上げると、じっとジャンヌを見た。
そして、今までの足取りとは打って変わって、力強く地を蹴ると、凄まじい勢いで、森の奥へと消えて行った。
ジャンヌはわけがわからず、鹿が顔を埋めていた、草原の中心へと歩む。
「……一体、何だったんだ? ……!!」
ジャンヌが草原の真ん中に辿り着いた瞬間、ジャンヌの身体が、驚きのあまり震えた。
そこには、薄汚れ、泥に塗れた10歳程の黒髪の少年が、眠るように倒れていたんだ。
ーーー……俺は、レイスに聞いた。
「どういう演出?」
「……ゼロスが過去に、神であることを打ち明けた瞬間、ジャンヌは畏れ入って話すらまともに出来なくなった。神であることを初期の段階で明かすのは、バッドエンドルート。だからゼロスは、“傷付いた人間”のフリをしている」
「……なる程」
……ジャンヌは、慌てて、草原に倒れた少年の脈をとった。
そして、その鼓動の確認ができると、ホッとした様に肩の力を抜いた。
「……生きてる。しかし何故こんなところに子供が? 気高い聖獣が、人間を助ける等、有り得ない話だが……」
ジャンヌが眉間を寄せ思案していると、少年の長い睫毛がピクリと揺れた。
そして、ゆっくりとその目が開く。
「!?」
ジャンヌは驚いた。その少年の、あまりに美しい、その吸い込まれそうな瞳に。
しかも、泥にまみれてはいるが、その肢体、その顔立ち、言葉では言い尽くせないほどの美しさを持っていたのだから。
「……こんな、美しい物が、この世に存在したのか……?」
思わず呟いたジャンヌの言葉に、少年は不思議そうに首を傾げた。
ジャンヌは慌てて、身を起こそうとする少年に手を差し伸べながら言った。
「あ、すまないっ! 妙な事を口走ってしまったな。子供、お前はこんな所で何をしていた? もしや敵国の少年兵などという事は……ーーー、……無いな」
ジャンヌは、線の細い少年を見て、首を振った。
「迷子にでもなったか? 町まで送ってあげよう。どこの町がーーー……」
先の言葉を取り繕うため話続けていたジャンヌの言葉が止まった。
身振り手振りをしながら、口をぱくぱくとする少年。
「お前、もしかして、喋れないのか?」
少年が頷いた。
ーーー……俺は、ふとレイスに聞いた。
「ゼロスは、“人魚姫”の結末を知っているのかな?」
「……大変! 残り、あと1回になってしまう」
「……。取り敢えず、見ておこうか」
ジャンヌは頭をポリポリと掻きながら言う。
「そうか。それは困ったな。……文字はかけるか?」
少年はその言葉に、大きく目を見開き、頷いた。
そして、何故か人差し指を空に掲げたが、一瞬なにかに気付いたように身体をこわばらせ、慌てて手を降ろす。
それから、手近に落ちていた小枝を拾って地面にカリカリともじを書いてみせた。
ーーー……今、空中に神の文字を書こうとしたね? ゼロス……。
「そうか。なら、子供。お前はどこから来た?」
少年は困ったように首を傾げる。……聖域とは言えないもんね。
「年は?」
少年は首を振った。……3万歳を超えてるとか言えないもんね。
「……記憶が、無いのか? 参ったな。……名前は?」
ジャンヌが肩をすくめながら聞くと、少年はカリカリと、一生懸命文字を書き始めた。
ジャンヌは少しホッとするが、その名を見て、また身をこわばらせる。
その地面に刻まれたのは、“ゼロス”と言う文字。
「っ!?」
ーーー……俺はレイスに聞く。
「神であることを、初期に明かすのは、バッドエンドルートなんじゃなかったのかい?」
「うん。明かしてはいけない。でも、自分を見て欲しいから主張もしたい。……それがもどかしい恋心」
「……そうか。レイスは恋に詳しいね」
「ん。悍ましき未来、“アオハル”への対策の一貫。レイスはいずれくる未来への為に、既に手を打ち始めている」
「レイスは本当に勉強家だね……」
ジャンヌは困ったように首を振って言った。
「全く、最近の親は何を考えているのだ? こんな名前を、子供につけるとは。世界を跨げど、共通の、絶対神様の名だ。おいそれと呼ぶことすら、憚られる名だと言うのに……」
その言葉に、少年は少し悲しそうな眼差しでジャンヌを見つめる。
ジャンヌはその眼差しに、若干の罪悪感を感じ、言葉を詰まらせる。
「……っう"……。しかし、私にはその名は呼べん。……し、仕方が無い。これから、お前を“ゼロ”と呼ぶ。……それで良いか?」
“ゼロ”は、頬を紅潮させながら、満面の笑みで頷いた。
「はぁ……。お前の笑顔は心臓に悪い。さあ行こう。ゼロ。取り敢えず、私達の砦で匿ってやる。こんな所に放っておいたら、獣のみならず、怪しいおじさんにも連れて行かれ兼ねんからな」
ジャンヌはそうボヤくように言うと、屈み込み、背中を見せながらゼロに聞いた。
「歩けるか? ゼロ。無理なら私が背負って行くが」
ゼロは恥ずかしそうに俯くと、首を振った。
そんなにゼロに、ジャンヌは微笑みながら、その短く、ふわふわと跳ねる黒髪を撫で、言った。
「そうか。強い男だ」
「っ」
ゼロは、言葉も無く俯き、赤面した。
ーーーこうして、ジャンヌは不思議な導きにより、不思議な少年ゼロと出逢ったんだ。
◇
「ジャンヌ!」
「ジャンヌ!! 無事だったか!!」
ジャンヌが砦にたどり着いた瞬間、パーシヴァルとガラフの声が響いた。
「はっ、御心配おかけしました。このジャンヌ、無事砦に帰還致しました!」
そう言って、目の前に膝を突くジャンヌに、パーシヴァルはホッと息を吐いた。
「お前の部下から聞いた。まるで神隠しにでも遭ったかのように、忽然と前を走るお前が消えたと」
ーーー……なんてピッタリの表現なんだ。
「神隠し? 私はそんな記憶はありませんが……」
「……? ジャンヌ、その子供はなんだ?」
思案するジャンヌに、ガラフが聞く。
ジャンヌは慌ててゼロを紹介した。
「あ、そうだ! 森の中で、この子供を保護した。名前はゼロ。何があったかは分からないが、どうやら自分の名前以外の記憶を失っていて、声が出ないようだ」
「! 敵のスパイ……な、筈無いか」
ガラフは一瞬、その怪しすぎる素性のゼロに眉をしかめるが、まっすぐ自分を見つめる、美しい眼差しに、その可能性を直ぐに捨てた。
そして、いつもの豪快な笑顔を浮かべながら、ゼロに言った。
「大変な目にあったな、ゼロ。だがここに来りゃもう安心だ。むさいヤローしかいねーが、意外と気の良い奴らばっかだ。自分ちを思い出すまでは、ここに居ればいい」
そう言って笑うガラフに、パーシヴァルが眉をひそめた。
「ーーー……馬鹿なことを言うな、ガルフ」
「ん? 駄目なのか?」
「良いに決まってるだろう! だが、ジャンヌは、むさく無い。訂正しろ」
ニヤリとそういうパーシヴァルに、砦の兵たちが声を上げてそうだそうだと、野次を飛ばしながら笑った。
ジャンヌとガラフは、困った様に笑い、ゼロは、嬉しそうにその様子を眺めていた。
寵愛編、長くなりそうです……。
トキメキに任せて、何が創られるのやら。




