神は、鬼を地獄にいざない賜うた
「……で、……出来上がりました……」
震える声で、ラムガルがそう言った。
手には、黒と金が交互に重なるボーダーの羽織が大切そうに掲げられている。
レイスはそれを無造作に掴み取り、出来を見る。
「……。……まあ、こんなもので良いか。編み込んだゼロスの髪のマナが失われるまで、リリマリスの風の加護が働き続けるから、これを羽織れば、その者は風穴には吸い込まれることは無い」
ーーー……レイス、それは多分尽きることはないんじゃないかな……?
レイスはその、砂子を散りばめたような美しさには微塵も興味を示さず、効果のチェックをしただけのようで、確認が済むと、それを無造作に天の邪鬼に突き出した。
「着るといい、天の邪鬼。……だが勘違いするな。これを着たところで、お前は微塵も強くはならない。力とは、己の心で鍛えるものだ」
「っ……」
ーーー天の邪鬼の、羽織に伸ばした手が途中で止まる。
そしてそのまま随分長らく、羽織を見つめていたがとうとう天の邪鬼は、その羽織を受け取ることは無かった。
レイスはボーダーの羽織を、つまらなそうに俺の洞に投げ込むと、空になった手を天の邪鬼に差し出した。
「これからレイスはまた、あの水の溢れる大地へ戻る。強くなりたいのであれば、お前も来るか? 但し、そこでは、お前のような弱者は、気を抜けば一瞬で死ぬ。ここのように生温い場所など何処にもない、という事だけは、覚悟しておくといい」
天の邪鬼は項垂れたまま、じっとレイスを見つめ、そして言った。
「ーーー……行かない」
天の邪鬼は、そう言って、レイスの手を取ったのだった。
◇
わしが、あの天の邪鬼を風穴に吸い込んでから、2年の月日が流れた。
やつを吸い込んで以来、鬼共の襲来は嘘のように止み、穏やかな日々が続いている。
村は徐々に栄え、わしのかつての故郷に似せた町並みが物珍しいのか、人も集まり増え始めた。
そしてわしは、今日も街の真ん中に建てられた、大きな武道館にて、皆に刀術を教えていた。
「ノブマサ様! 本日もありがとうございました!」
日が傾き始めた頃、そう言って声を掛けてきたのは、20を少し回ったという若者、タケル殿だった。
タケル殿には、幼少期、わしは多大な面倒をかけた。
やがてわしも何とか地に足を付けられる程度になった頃から、刀術を周りの皆に教えているのだが、タケル殿は、なかなかに刀の筋がいい。
かつてのわしならば、笑ってタケル殿を褒め上げただろうが、この身体はまだ15歳なのだ。
わしは身を引きながら、タケル殿に言った。
「タケル殿、“様”はやめてくれぬか? タケル殿にはかつて、事あるごとに世話になった恩があるのだ。それに、年齢とてタケル殿のほうが上だろう」
するとタケル殿は、それは晴れやかな笑顔で答えた。
「そうだな、かつては貴方を弟分としてみていた時期もあった。だが貴方は、最早俺なんかの弟分には収まらない。それに、刀の道を志す様になってからは、貴方に教えを乞うているんだ。刀の道に、年齢など関係あるはずが無い。そうだろう?」
「う、……むう」
曇りのない目で、そういうタケル殿に、わしは押し黙った。
かつてわしのいた乱世にも、これ程まっすぐした目を持つ者は、正直な所おらなんだ。
皆多くを得ようと、画策ばかりを凝らし、純粋に力を求める者が負けを見る、そんな泥にまみれた世界だった。
確かにこの世界にも、汚い者はおる。だが、これ程までに純粋な者がおるのだ。
「俺は、貴方と居て、この刀の道を極めたいと思う様になった。だから、どうか、せめて“師範”と呼ばせてくれ。そして、俺の事は“タケル”と呼んでほしい」
わしが黙っていると、タケル殿は有無を言わせぬ物言いでそう言ってきた。
わしは思案し、やがて観念して言った。
「わかった。タケルよ、共に刀の道を極めよう」
「おう、よろしくな! 師範」
タケルが、嬉しそうに言ったその時だった。
「っ」
残像すら残したままの勢いで、突然タケルが吹き飛んだ。
「っ!?」
ーーードォオォォォーーーーン!!
一泊遅れ、タケルが吹き飛んだ、まさに25間(約50㍍)も先から轟音と、土煙が上がった。
ーーー何が起こった?
わしは土煙に向かって叫んだ。
「タケルっっ!!」
その時、背後の上空から、信じられない声が聞こえた。
「久しいな、伸芳」
わしはそちらに目をやり、信じられないものを見た。
そして、幻であるだろうその者の名を呼んだ。
「……天の邪鬼?」
ーーー馬鹿な。
ーーーありえん。奴は二年前、風穴にて仕留めたはずだ。
わしは、空に浮かび、不敵に嗤う桃色の頭髪の鬼に目を見張った。
天の邪鬼のその姿は、わしの2年前の記憶には無い、大きな傷跡があちこちに刻みこまれている。
そして、かつてより細くなっているようなのに、無駄な物が落とされ、より引き締まったせいで、その身体は逆に、一回りも大きくなったように感じた。
どのような妖術を使っているのか、空中に静止したままの天の邪鬼は、土煙の収まりつつある、タケルが落ちた場所に目をやった。
「しかし、相変わらずここの人間は柔らかいな。あれで死なんとは、流石は神の加護と言った所か」
そう言い天の邪鬼は、手首をぷらぷらと振った。
瞬間、わしの頭に血が登る。
「貴様っ!! タケルに一体何をした!?」
「何って、殴っただけだが?」
飄々とした口調でそう言う天の邪鬼に、わしは苛立ちを感じた。
「殴っただけであそこまで人が飛ぶものか! おのれまた、怪しい妖術を使ったか!」
「相変わらずだな、伸芳は。せめて魔法と言え。ーーーそして、お前は相変わらず、……何も変わっちゃいねえなっ!!」
そう言うやいなや、天の邪鬼は凄まじい勢いで、こちらに拳を振り下ろしてきた。
わしはソレをとっさに身をひねって避ける。外れた拳は、そのまま大地に突き刺さる。
その圧に、大地が大きく抉れ、弾けた。
「な……」
「かっかっかっ! なんだ、尻餅なんかついて。カッコイーじゃねーか」
無様に尻をつくわしを、天の邪鬼は愉快そうに笑う。
しかし、今はそんな事など、どうでも良かった。
ーーー何だ? この力は。
こやつ、本当にあの天の邪鬼なのか!?
再びゆらりと拳を上げる、その鬼の姿に、わしはようやく我に返り、飛び起き、跳ね上がる様にその場を離れてから、腰に携えた刀に手を掛け構えた。
「何だ? その構え」
「……答える必要はない」
これは、わしが奴を風穴に吸い込んだ後に極めし技、“居合切り”だ。間合いに入った者を切り裂く、待ちの技。
但し、わしはこの世界にある“マホウ”という妖術を組み合わせ、その間合いを全方位3杖(約10㍍)迄広げる事に成功した。
そして、わしのこの“居合斬り”の間合いに入った者は、例え羽虫1匹とて逃がしはせん“必殺技”へと、昇華させたのだった。
「まあいい。あの時の礼はたっぷりしてやる」
そう言って天の邪鬼は、刀を構えるわしに向かって、歩みを進めた。
……後5歩。……3歩、2歩、1歩……。
ーーーザンッッ!!
わしは、奴が間合いに入ると同時に、刀を振り抜いた。
刀から発せられた舜速の波動が、大地すら切り裂きながら天の邪鬼に迫る。
瞬きの万分の一の刹那、わしは天の邪鬼を仕留めた。
ーーー……筈だった。
「ほう、新しい技か?」
……これは夢か?
天の邪鬼は、わしが居合斬りを放つ1秒前に立っていた、わしの間合いの2歩外に立に、ニヤニヤと口元を歪めながら、わしを見ていたのだ。
何故……、と一瞬考え、直ぐにわしはそのカラクリに気付いた。
ーーーなる程。わしは、愚かにも、幻を伐せさせられたということか。
わしは振り抜いた刀を、ゆらりと構え直す。
「幻術を使うとはな。何があったかは知らぬが、少し見ないうちに、多少頭を使った打ち合いが出来るようになったと見える」
「はあ? 幻術だ? 伸芳よ、お前は少し見ないうちに、随分賢い頭になっちまったようだなぁ」
「何だと!?」
小馬鹿にするような天の邪鬼の物言いに、わしは刀を強く握り締めた。
「目まで腐ってしまったか? ただ避けただけだろう」
ーーー何を言っている? 必殺の斬撃だ。避けられるはずが無い。
「かっかっか、随分と速い斬撃だったの。まだ冬眠から目覚めたばかりの蛇の方が、マシな動きをする」
ーーーあやつは、わしを挑発しておるのだ。
幻術を見せ、わしを怒らすよう戯言を抜かす、そう言った見え透いた作戦。
「本気でかかってこいよ。なあ、伸芳。俺を退屈させんじゃねえよ」
分かっておる。……分かって……
「……はっ、腰抜けが」
「ーーーっ! っぬかせぇええぇぇえ!!!」
分かっておっても、己を抑えることが出来無かった。
湧き上がる怒りという激情を刃に乗せ、わしは天の邪鬼に向かって、斬りかかったのだった。




