神は、トラベラー〈異世界人〉を召喚し賜うた②
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目覚めたとき、わしは白い空間にいた。
右も左も下もすべて白い。ただ、高い空だけは、輝く緑色をしておった。
ーーーここは何処じゃろう?
わしは起き上がり、ぼんやりと己の手を見る。そして身体を見下ろし、着物を着ておらんことに気付いた。
「なんじゃ? わしの着物はーーー…… 」
そうだ。
わしは着物を着ておった。重い鎧をまとい、山を駆けていたのだ。あの幼子と共に!
「若っ!!」
「ここには、江之助は居ないよ」
「!!?」
突然掛かった声に、わしは身構えそちらを見た。
そこに居たのは、白い布を身体に巻き付けた、面妖な格好をした黒髪の若者。……しかし、これは何と表現すれば良いのか、……この世のものとは思えぬ程に麗しい…。
わしが思わず、その天人のような姿に見惚れていると、若者は笑顔で、わしに声を掛けてきた。
「こんにちは、伸芳。突然の事で驚いてるね。僕はこの世界の神、ゼロスと言う」
この世界? ここは筑前では無いのか?
わしは事が読めず、目の前の神と名乗った若者に問うた。
「神? ではここは高天原と言う事か? 信じ難いが、確かにここは筑前では無いし、ゼロス殿からは唯ならぬ何かを感じる。……ゼロス殿が、まことに神と言うならば、どうか頼む。わしをあの筑前の山中に帰しては貰えぬか? わしは、若を……江之助様をお守りせねばならんのだ」
わしは目の前のゼロス殿に、膝をついた。しかしゼロス殿は眉をひそめ、憂いを浮かべた面で首を振った。
「残念だけど伸芳は、毒蛇に噛まれ、その生を終わらせた。もうかつての世界に行くことも、江之助に会うことも二度と叶わない」
ーーーそんな……。
わしはその言葉に絶望し、目の前が暗くなった。
「伸芳は、まだ若い。まだやり残した事だってある筈だ。この世界でもう一度、やり直してみないかな?」
ゼロス殿は、わしの肩に手を置きながら、優しくそう言った。
しかし、
「ーーー無い」
「え?」
「無いわ! 江之助様をお守りし、いずれ我が主君とする事だけが、我が唯一の願いにして道であった! ここには江之助様はおらん。守るべき主無くして、何が侍か!? しかも、たかが小さな蛇ごときに負けた、愚鈍なわしにこれ以上生き恥を晒せだと? もはや鬼畜にも劣る無情さよ。……なぜ、わしをせめてあのまま死なしてはくれなかったのか……」
わしは、この身体が砕ければとすら願いながら、白き大地を思い糞に拳を叩きつけた。
噛み締めた唇から、叩きつけて裂けた拳から、血が滴る。
ゼロス殿は、そんなわしを憐れみ、見下ろしながら言った。
「あー……、えっと……。実はーー……、実は、そう。伸芳に助けてほしいんだ! それで、無理矢理申し訳無くも、こちらに引き寄せてしまったんだよ」
ゼロス殿は、その麗しい面に憂いを湛えながらわしに言った。
「こ、この世界には、魔王と言う、とても強い力を持った人類の敵が居る」
「マオウ?」
「そう、そしてこの世界には、魔王を倒す勇者と言う存在が居る」
「……ならば、ユウシャにマオウを成敗させれば良いのでは? わしに頼みなど……」
「そうなんだけどっ、今この世界の勇者と魔王は、戦えない事になっているんだ。だけど……えっと、その、小さな島がね、魔王の手に落ちそうになってるんだ……。 そこを守って欲しい!」
……小さな島。
わしの生まれた地も、小さな島であった。
先祖の植えた、松の巨木が並び立つ浜辺の地。小さけれど、そこに住まう人々は皆、慎ましくも逞しく生きておった……。
ーーーそこに、マオウと言う名の鬼が出たと言うのか。
わしは面を上げ、ゼロス殿に言った。
「……なる程。愚鈍なわしに果たせるかは分からぬが、今一度、この命を掛けてみよう。相分かった。その役目、このわしが賜わろう」
わしの言葉に、ゼロス殿は微笑んだ。
そして言う。
「良かった。とても辛い役を引き受けてくれてありがとう。この世界に慣れてもらう為に、その身体は一度幼い赤子へと変える。そして、魔王に狙われている島で成長し、いずれ来る大災害を止めて欲しい」
「赤子に? 一体何故?」
「だっ、大災害が来るのは直ぐじゃないんだ。そうだな……18年後くらい? それまでに、この世界の事と、この世界にある力の使い方を学ぶと良い。記憶はそのままだから、体を鍛えて刀術をもう一度極め直してもいいね」
ゼロス殿はそう言うとわしに近づき、鎖骨の間を細い指で突いた。
「ーーーそれともうひとつ、この身体には特別な力を与えた」
「特別な力?」
「そう、その力の名は“風穴”。お前の意思で、その質量やエネルギーに関係なく、全てを吸い込み彼方へと消す力だ。使い方によってはとても恐ろしい結果を招く事もあるが、僕は伸芳を信じている。上手く使うといい」
わしは己の拳を固く握りしめ、言った。
「相分かった。だが、わしは、己の信じる武士道を貫くまで」
ゼロス殿は、嬉しそうに笑うと、わしを幼い赤子の身へと、転身させた。




