番外編 〜ルシファーの花嫁 悪役令嬢と、悪魔のプリンス20〜
少しヒンヤリとした、秋の風が吹き抜ける穏やかな午後、私は自宅の庭のバラ園で、レイルと紅茶を飲んでいた。
明日ここを発つ。レイルはそう言った。
「……行ってしまうのね」
「うん。400年後のモンスター・スタンピードは間違い無く起こるし、学園に預けたあの設計図だけじゃ、正直不安だからね。……万が一、400年後までに完成出来ませんでした、とかだったら目も当てられないよね」
「……確かにね」
正直、この時代の人々の力や技術は決して高くない。魔人ガルシアの時代から後300年をピークに、その力量は緩やかに下がり続け、アビスの襲来で壊滅的なダメージを受けたのだ。
私は一口紅茶を啜った。
「それにね、人の事ばかりじゃなく、僕は自分をもっと高めてみたいと思ったんだ。……ほら、これを見て」
レイルはそう言って、革の巾着から、ちょうど掌に収まるほどの薄く青みがかった水晶玉のような物を出した。
「ルシファーに作ってもらったんだ」
「!? ずるいわっ! いつの間に!?」
「いや、……マリアンヌも貰ったじゃない」
そう言って、レイルは私の胸元を指さした。
私の胸元には、小指の半分ほどの小さく繊細な小瓶が、ペンダントとしてぶら下がっていた。そしてその中には、小さな美しい雪の結晶が、クルクルと回りながら煌めいている。
「……。……良いわ。続けて」
「この玉は、魂の輝きを測るための測定器だよ。これに触れた時、この玉の中に光が生まれれば、それはルシファーいわく、“拾い上げられる魂”、なんだって」
私はレイルの持つ玉を覗き込んだが、玉の中にはまだ光は無い。
「流石に魂を操る魔法については聞き出せなかったけど、“仕事を手伝う約束も、魂を拾い上げられなかったら無理だよね?”って聞いたら、速攻で作って寄越してきた。……この玉が光り始めるまでは、一生懸命レイルを生きろってさ」
そう言って、レイルは、玉を見つめた。
私はため息をつきながら言う。
「……というか貴方、その魔法まで狙ってたの?」
私は呆れてレイルを見た。
「まあね。これからの僕は、“僕”の望む、万象の答えを集めるんだ」
誇らしげに、胸を張りながらレイルは言った。
そうだった。レイルはルシファーと会って、やっと自分を見つける事ができたんだった。
「そう。……所で、ルシファーと例の契約書は交わしたの?」
「いいや。 ーーーまあ、あれだよ。男同士の約束に、紙切れなんて要らないんだよ」
私はそれを聞いて思わず笑った。その物言いが、あまりにルシファーに似ていたから。
「ところでさ、僕が眠っていたあの夜、どうだった?」
私はその一言に、ビクリと身体を震わせた。
「ど、どうって? い、意識はございませんが?」
「やだなあ。僕にまで嘘つく必要はないんじゃない? 七割の魂で、あれほど記憶が残ってたんだ。全ての魂を受けて、記憶が残らないわけないじゃないか。当のルシファーは、何故か意識も記憶もないって信じてるみたいだったけどね」
「……その可能性があるって、ルシファーには言ったの?」
「言うわけないよ。ルシファーが単なる馬鹿で気付いてないって可能性はあるけど、もう何十人もの花嫁を迎え受けてるんでしょ? それなのに、そう信じてるなんて、花嫁達が何かしらの理由で、それを隠し通してるんだろうと思って。なら、僕が言うのは野暮ってものでしょ」
「……相変わらず、鋭いわね。……野暮なことをしない貴方が、人の色恋沙汰に首を突っ込むわけ?」
「言うようになったね、マリアンヌ。だけど、一応本来、僕の役目だったんだ。気になるんだよ。ーーー……トキめいた?」
レイルはそう言って、ニコリと笑った。
私は観念して、紅茶を啜りながらブツブツと答える。
「ーーーっ、あんなの、誰でもトキめくわよっ。ーーーもう、私は家に決められた結婚は疎か、並の恋すら出来ないでしょうね」
「……そうだよね。僕もときめいた」
!!!?
私はレイルのその言葉に耳を疑った。
……そして、引いた。
「あ、恋愛的な意味じゃないよ? まさか勘違いした?」
「……っ」
「あ、もしかしてマリアンヌって“腐女子”ってやつ?」
「違うわよっ!」
私は思わずテーブルに手を叩きつけた。
離れた場所に立つ執事達が、驚いた顔でこちらを見ている。
「あはは。ま、初めてだったんだよ。僕が本気でやって、成し遂げられなかった事なんてさ」
「なんの話?」
「“雪合戦”。ルシファーを雪に埋没させるつもりでやったんだけど、何をどうしても当てられなかった。……何でも出来る僕にも、出来ない事があったんだなって。……楽しかったんだ。とりあえず、今の所の旅の目的は、あいつに一撃、食らわせられるようになる事、かな」
そう言って、笑うレイルに、私はため息をついた。そして、仕返しとばかりに言ってやる。
「なら、レイルは、初めてを奪われて、ときめいてしまったと言う事ね。ルシファーったら、なんて罪深い人だこと!」
ホホホと笑う私に、珍しくレイルが顔を赤くして言い返してきた。
「ちょ、ちょっとマリアンヌ!? そんな言い回し、淑女が使うにははしたないよ!?」
「私、もうただの淑女としてなんて、生きるつもりはなくてよ? レイル王子」
「! ……なる程、それなら仕方ないか。僕も、いつまでもただのチャーミング王子でいるつもりは無いしね」
それから私達は、二人で声を上げ、笑った。
そしてレイルがポツリと言う。
「ーーー50年か。長生きしたら、また会えるかもしれないね。あの、馬鹿でカッコつけのルシファーに」
「……あの人のことを馬鹿だなんて言うのは、世界中で貴方くらいでしょうね。あの人は、本当は本当にとても凄い人なのよ?」
私はレイルを嗜める。
だけど私は、ルシファーが実は、伝説の魔人ガルシア様だと言う事実を、レイルにだって言うつもりは無い。
レイルは、私の言葉など聞く耳を持たずに、笑いながら言った。
「知らないね。僕から見ればルシファーは、馬鹿でカッコツケで、ーーー……良い奴だった。うん。嫌いじゃない」
私は頷きながら微笑み、空になっていたレイルのカップに、紅茶を注いだ。
ーーーーー賢者と呼ばれた男ーーーーー
かつてこの地に、唯一“賢者”の称号を得た男がいた。
名をレイル。
王国の第七王子としてこの世に誕生したレイルは、幼少の頃から本を眺めるのが好きな子供だったという。おもちゃで遊ぶより、ご飯を食べるより、本に触れている方が好きという不思議な子供だった。
レイルは6歳の頃に王位継承権放棄を宣言し、その頃からようやく、普通の子供と変わらない活動を見せるようになった。
しかし、16歳を迎えた頃、ひとりの娘と共に、古の魔物に攫われるという事件に巻き込まれる。また、その娘とは、かつて“神の手を持つ天才医師”、として名を馳せた、伝説の女医、マリアンヌその本人だった。
二人が攫われたその魔窟で、何がその身に起こったのか、二人は語らなかった。だがその時レイルは、やがて来る魔物の暴走を予言し、そのまま忽然と、人々の前から姿を消す。
ーーー否、それこそが、賢者レイルの伝説の始まりだった。
後に、文武を極めた賢者レイルは、勇者の一行に加わり、大いに勇者達に貢献したという。
当時の勇者は、賢者レイルに一目を置き、この賢者レイルの事を、“悪魔”などと呼び、よく冗談を言いあっていたという逸話も残されている。
また、今この時代に当たり前のように、伝え実施されている、“勇者の基礎教育プログラム”を作り上げたのも、レイルだ。
レイルは勇者を良く導き、かのグリプス大迷宮を、生涯の内に3度攻略したという。
レイルは勇者と別れた後も、次世代の者達への教育に尽力した。
やがてレイルの教えを求め、万を超える者達が集まる修行場が出来上がった。
レイルはその山脈の連なる修行場を、“蓬莱山”と名付け、その上空に、彼の叡智の粋を集めた、浮遊山“崑崙”を作り上げた。
また、その地に集まったの修行者の内、レイルの教えを求め、道最中の修行者を“道士”と呼び、修行を極め、崑崙に安置された宝玉を輝かせる事の出来た者を、山に到達せし者、“仙人”と呼んだ。
言い伝えによれば、“仙人”は、不老不死を得られるとあるが、実際に仙人となり、不死を得た者は居ない。
なぜこのような言い伝えがあるのかは、全くの謎である。
レイルが編み出した術は数知れないが、最も有名なのが、人体に流れるマナを自身で操り、人体を強化する術である“神通力”だろう。
またレイルは、グリプス攻略の際に、ガルシアの遺した秘宝である、幻獣達の体部を手に入れていた。
レイルは、黒き獣王と契約を交わし、それらの宝を、強力な魔法武器へと作り変えた。
それらの武器は、使い手を選ぶ不思議な武器。その武器達は、その美しさと、選ばれぬ者には、まるで貝のような沈黙をすることから、“宝貝”と呼ばれた。
宝貝は強力だが、それを扱うには、“仙人”にでもならなければ使えぬほどの力を要するという。
更に宝貝には、特に強力な力を持つ、7つの“スーパー宝貝”、と呼ばれる並外れて強力な宝貝が存在した。
それは、魔王すら凌ぐ、神の獣の部位が元になった宝貝と伝えられているが、神獣の存在は、未だに確認されていない。
ただ、その威力は、そうとでも言わなければ説明できない程の一線を画する力を持っていたそうだ。
ーーーレイルは58歳を持って迎えた今際の際に、弟子達にこう言った。
“約束の刻、再び世界に魔物が溢れ出す。この世界は我等人間達だけのものではない。滅びたくなければ、己を高め、人道に則り強さを磨け。ーーーもし、その混沌を乗り切れたなら、僕は再びこの世界を見に来よう。絶望の過ぎ去った100年後、お前たちの作り上げた世界を見せてみろ。ーーー……ああ、楽しみだな。きっと、また自慢ができる……”
史上初の仙人として、宝玉を眩しく輝かせたレイルは、この世を去った。
仙人であれ、人は死ぬ。聖者として神に召し上げられる事はあっても、その身が蘇ることはない。
レイルは、何故、後世にこの言葉を遺したのだろうか。
ただ言えることは、我等は、この賢者の願いに恥じぬよう、生きなくてはいけないという事だ。
ーーーそう言えば、この件には関係のない事かもしれないが、レイルの死後、間もなくの頃から、“鎮魂祭”と言う祭典が出来た。
50年に一度だけ訪れるその夜は、雪の様に、空から光が降り注ぐ聖夜。
光の天使ルシアに導かれし魂達が、一夜だけ楽園から舞い戻る夜。
必ずではないが、願ってみるといい。
失った愛しい者に、会えるかもしれない。
ーーー私も、一度だけ、その奇跡を体験した者の1人なのだから。
※ーーールシファーの花嫁ーーー
悪魔達の王、ルシファーに魅入られし者は、その貞操と引き換えに人智を超えた知識を手にする事ができると言う。
だがそれは、紛うことの無い、“悪魔の取引”。
民人よ、気を付けることだ。
50年に一度の鎮魂祭の前々夜、悪魔はその生け贄を求め、現れる。
鍵を閉めろ。
悪魔が来るぞ。
〜亡国の王、ラースの手記より抜粋〜
ーーー完結ーーー
これにてやっと、ルシファーの花嫁〜悪役令嬢と悪魔のプリンス、完結となります。
ずいぶん長くなりました。
そして最後は恋破れ、その逆恨みから新たなルシファー伝説が生まれるという……。
次回、ネタが思いつくまで少し間が開くと思います。2週間以内には更新します。




