番外編 〜とあるゴブリンの一生 後編〜
「なる程、お前が勇者か。流石に神に愛された魂を持つ器だけの事はある(精巧で整った美しい容姿の作りだな。ぜひ今後の成形の参考にしよう)」
地獄の様なこの血と屍の散乱する場所で、その声には緊張感もなく、それどころかどこか嬉しそうでいて面白そうな、はたまた感心したような、とにかくこの場に相応しくない響きを持っていた。
それはもう寧ろ不気味ささえ感じる。
「誰だ!?」
それは勇者も感じたようで、その声に緊張と警戒が交じる。
「余か? 余は魔王ラムガル。勇者よ、よくこれ程のゴブリンをたった一人で倒したものだ」
―――……ま……おう?
「魔王!? そんな……魔王は今、僕がこの剣で倒したはず。……否、そうか。それがお前の真の姿と言う訳か! 確かにさっきのが魔王と言われれば弱すぎた。これで終わるはずが無かったんだ。それに僕には分かる。肌に感じるマナの量が格段に上がってることが! ……はは、なんだ? この僕が震えてる、だと?」
「何を言っている? 言っておくが余の真の姿はこんなものでは無いぞ(今は自分でこねた、試作中のボディーを纏っているから)。 余の真なる姿は……否、お前ごときに見せるのはもったいないな。お前にはきっと理解すら出来ぬであろうからな(レイス様の創造された姿は、独創的だから)。神より賜った、余の真の姿を!(どや!)」
「神から賜った……だと? 嘘を吐くな! お前達のあんな非道な行いを……神が赦すはずがないだろう! バカにするな! お前達が神を語るな! 僕達の神を穢すな!」
勇者の悔し気な叫びに、声ははたと考えるように沈黙した。
そして直ぐに思い至った様に、再び穏やかな口調で口を開いた。
「……あぁ、そうか。人の子はゼロス様を崇めているのだったな。勘違いするなよ。余の言う神とは、余を……そしてゴブリン達を創りし女神、創世神が一柱レイス様の事だ。……ところで『穢すな』とはどういう意味だ?」
「お前達を創った神だと? 女神? 聞いたことがないぞ。……はっ、そうか! さては絶対神ゼロス様を冒涜する偽神、否、邪神の事か!」
勇者がそう口走った瞬間、辺りの気温が一気に下がったような気がした。
そして身の凍りつくような怒声が響いた。
「口を慎め!」
その瞬間、マナなど殆ど持たないわしですら【マナ】の揺らぎを感じた。否、空間が揺れたと言ってもいい。
「―――……ガッハ―――ッ」
次の瞬間、岩壁の砕ける音とかなり離れた場所から勇者の呻き声が上がった。
なんだ? 先程の衝撃で、勇者が吹き飛ばされたのだろうか?
目の見えぬわしには、何が起こったのか全く分からない。
しかし直ぐに、絶望を感じさせる凄まじい怒気を含んだ声が響く。
「―――例えゼロス様に愛された魂を持つ人の子とて、レイス様を貶めることは許さぬぞ。死すらヌルい罰を与えてくれる」
しかしこの強さ、この威厳……まさか本当の魔王ラムガル様?
わしらの真の王、ラムガル様なのか?
そうとしか考えられぬ!
わしはヒューヒューと必死に呼吸をしながら、残った聴覚を研ぎ澄ませ、これから起こる出来事を待った。
「い……あ、……あ? ―――っガフッ」
瓦礫の崩れる音と共に、勇者の呻き声がまた上がる。
「相変わらず弱いな人の子は。本当に弱い。レイス様がかつて人をもろともに(ゴブリンもろとも)滅ぼそうとしたのも頷けるわ」
現状を理解できず、ただ呻くことしかできない勇者に、魔王ラムガル様は呆れたように、しかし憎々しげに吐き捨てた。
ザリっ
「ヒッ、―――た、たすけっ」
魔王ラムガル様の地を踏む音に、さっきまで吠えていた勇者は途端に命乞いを始める。
「よいか人の子よ。二度とレイス様を侮辱するな。今回だけはここまでの功績(増えすぎてたゴブリンの間引きを頑張った)を認め、消さずにいてやろう。だが、二度はないぞ。帰って全ての人間共に伝えおくがいい。我が女神レイス様の偉大さをな!」
魔王ラムガル様がそう言うと、突然勇者の気配が広間から消えた。
勝ったのか? わしらが……あの勇者を退けたのか? ここまでいとも容易く?
わしが現状を信じられずにいると、なんと魔王ラムガル様がわしの方に近づいてくるではないか。
「そこのゴブリン。まだ生きているな?」
「ゴブっ」
返事をしたかったが、肺を潰されたわしの口から出たのは、くぐもった呻き声だけだった。
「うむ。ゴブリンらしいよい返事だ」
だがどうやら気を悪くされたわけではないようだ。良かった。
「おぬしは間もなく死ぬ。だがレイス様は喜び、お前を褒めてくださるだろう。『良く力の限り生きた』と」
不意に、わしの頬を暖かいものが流れた。
……涙だ。
先程の絶望は無く、何か……そう。全てを許す、暖かいものに包まれたような安心感からの涙だ。
「ここでその方と会ったのも何かの縁だ。死にゆく前に、何か願いを叶えてやろう。言ってみろ」
「腹にいる……わしの……子を助けた……い」
「それは出来ぬ。もう死んでいる。出来ぬが、なかなか良い願いだ。他には無いか?」
分かってた。
だけど、残念だなぁ。
やはり無理か。
じゃあ何だろう。
消えゆく意識を必死で繋ぎ止めながら考えていると、わしはふとかつて母が話してくれた話を思い出した。
それは、わしがまだ母の腹の中にいる頃に巡った“冬”という季節に降る“雪”の話。
もしわし等が寿命まで生きられたなら見れるかもしれないそれを、いつか命が終わる時、共に見れたらとあやつと話していたそう遠くはない記憶。
「……雪、を……見たい」
わしは言った。
わしの瞼に魔王ラムガル様の冷たい指が触れる。
見えなくなった目に光が戻った。
動かない体で辺りを見やると、辺り一面にふわふわと白い粉が舞い落ちてきている。
わしは更に視線を巡らせあやつを探した。
わしらが切望した魔王様の御姿を拝もうとするより、別のものを探したと言ったら、あやつは怒るだろうか?
否、それでもわしは―――
いた。
勇者に斬られ下半身のなくなったゴブリン。
見開かれた見慣れた黒い瞳には、ひらひらと舞う真っ白な雪が映し出されている。
―――何だ。目が見えるようになると、こんな近くに居たのか。
わしはこちらに伸ばされた血塗れの手をそっと握る。
そして声も無く語りかけた。
なあ、見てるか?
綺麗だなぁ。
◆◆◆《完結》◆◆◆




