神は巨人とネ申々の国を創り賜うた③
ジャックは振り返りもせず、オーディンの手を繋いで、ひたすら走った。
そしてとうとう、ジャックが通ってきた転移装置まで辿り着いたのだ。
息を切らせながらオーディンは、目に涙を浮かべ呟く。
「はぁ、はぁ、……ここから、私達、帰れるの? ほ、本当に?」
優しい緑の光の柱。
オーディンが踏み出そうとした時、ジャックの足が止まった。
「……ジャック?」
「君は行って。だけど、僕はまだ行けない」
訝しむオーディンに、ジャックはキッパリと言った。戸惑うオーディン。
「僕が持ってきたこの金貨が、ユミルにとっての唯一の転移装置とは限らない。僕は戻って、確かめないと。そして隙があれば、ユミルを仕留めて来る」
ジャックの言葉に、オーディンは悲鳴に似た声をあげた。
「駄目よ! 無理だわ、そんな事! ジャック、あなたも見たでしょう?あの巨大さを。それに、……それに、聞いたことがあるの。勇者も、あの巨人に破れたって……」
オーディンの言葉に、ジャックは、悲し気な笑顔で言った。
「―――……うん。知ってるよ」
「だったらっ」
「これは、もう僕が決めたこと。成し遂げないと、僕は僕でなくなってしまうんだ」
「私を守るって言ったくせにっ! ウソつき!! ウソつきっ!!」
泣きながらジャックを罵倒するオーディンに、ジャックは微笑んだ。
「必ず守る。君と、君の大切な人がいるあの世界を」
ジャックはオーディンに金貨の袋を押し付け、踵を返した。
「ジャック!! お願い! 私と帰ろう!! 一緒にっ」
オーディンは歩み去るジャックの背に叫ぶが、ジャックは振り返らない。
小さくなるジャックの背を見つめ、オーディンは、涙を零しながら、膝から崩れ落ちた。
「お願いよ、ジャック……。 あなたも、大切なの……」
◇
ジャックは再び、ユミルの巨城に足を踏み入れた。
さっきは周りも見ず、居城を駆け抜けたが、よく見れば、あちこちにこれまで犠牲になった者たちの遺品が、フィギュアのように飾られている。
その中で、ジャックは1つのものに目を留めた。
「あれは……」
なんの変哲もない、鉄の錆びた斧。柄にはハーティーの花と、ANJと言う文字が掘られたアックス。
―――これはな、俺が悪者退治を始める前、まだ木こりをしてた頃の、大切な商売道具だった。
その頃お前の母さんに会ったんだぞ。
俺の頭文字に、母さんの頭文字。お前が生まれた時に、このJを付け加えたんだ。
俺の大事な、宝物だ。
今はもう使うことのなくなったこのアックスは、たとえ離れていても、いつもみんな一緒だという証だよ。
「―――……父さん」
ジャックはアックスを手にとった。
初めて手に握ったアックスは、驚くほどジャックの手に馴染んだ。
ジャックはアックスを、ベルトに挿し込むと、また歩き出した。
◆
「あんた、また戻ってきたのかい? そんなに食われたいのかねぇ?」
また竈に隠れていたジャックを見つけた奥さんが、やれやれと肩をすくめながら言う。
それにジャックは押し黙るしか無かった。
「……。」
「答えないってかい。正直で律儀なあんたの事だ。どうせ、アタシの旦那、ユミルを殺そうと狙ってるってとこかい。そりゃ、アタシにゃ言い難いよねぇ」
「!?」
心の内を言い当てられたジャックは、目を見開いた。
「あはは! 図星だね! 面白いくらいに嘘のつけない子だねぇ」
奥さんは豪快な笑い声を上げ、竈にかがみ込みジャックに近づいた。
「チビのアンタに、ユミルをどうこうできるとは思えないけど、ここはアタシに免じて、アンタの怒りを鎮めてくれないかねえ? 代わりにユミルの宝物の秘密を教えてあげるから」
「……。」
ジャックは押し黙った。
この怒りを、鎮められるわけが無い。
だけど、この人の良い奥さんの大切な者を奪う事が、僕に出来るのか? 奪ってもいいと言うのか?
怒り、憎しみ、恨み。ユミルのしたことを思えば、到底許すことなど出来ない。
しかし、だからこそジャックは、この奥さんの大切な者を奪う事などできないのだった。
「―――……、ごめんっ、みんな」
ジャックは震えながら小さく呟いた後、奥さんに言った。
「っ、分かった。 秘密を、教えてくれ」
奥さんは頷き、ジャックに言った。
「ありがとうよ。アンタも辛いのに、よく耐えてくれた。 いや、アンタと呼ぶのはもう辞めよう。アタシの名はガイア。小さな、優しい戦士。お前の名は?」
「僕は、ジャック」
「そうかい。ジャック、それじゃあよくお聞き」
―――ユミルの転移装置は後2つ。金の卵を生む雌鶏と、金の竪琴だよ……
その時だった。また、あの城を揺らす大声が響いた。
「おおい! 帰ったぞお!!」
奥さんはさっと立ち上がり、竈を離れた。
「お帰りなさい、あなた」
「おい、金貨を見なかったか? 昨日数えている最中に寝てしまって、起きたらどこにもないんだ」
「知らないね。アタシがあなたの物を触るはずが無いだろ? 何処かに置き忘れたんじゃないのかい? もう一度探してみればいい。どうしても無かったら、別の転移装置を使えば良いだろ」
奥さんは、いけしゃあしゃあと、息をするように嘘をつく。ユミルは奥さんの言葉をすっかり信じ、押し黙った。
「そ、そうだな。よし、金の卵を産む雌鶏を持ってこい。後、酒とつまみだ」
「はいはい」
テーブルの上に置かれた雌鶏を眺めながら、ユミルは酒を飲み始めた。
「全く。これを使うときは時間がかかるから嫌いなんだ。なんせ、これの産む金の卵が転移装置なのだからな。産むまで待ってなきゃならん。あー、さっさと産め、このチキンが。食っちまうぞ!」
ユミルがいくら脅そうと、雌鶏はつーんとそっぽを向き、一向に卵を産む気配はない。
ユミルはとうとうまた眠ってしまった
それを見計らい、ジャックはするりと竈から出る。
そしてまた机によじ登り、そっと鶏を抱き上げると、ゲートに向かって走り出した。
◇
緑の光を立ち昇らせる転移装置まで辿り着いた時、ジャックは驚きのあまり叫んだ。
「オ、オーディン!? 何故まだここに!?」
金貨の袋を胸の前で握りしめたオーディンが、瞼を泣き腫らさせ、青ざめた顔でジャックを待っていたのだった。
「何故ですって? あなたを置いていけるわけないじゃない! だってあなたはっ、私の大切な人なのっ!」
そう怒鳴りつけるオーディンに、ジャックは目を見開いて絶句した。
すると身を硬直させるジャックに、オーディンは突然泣き出しそうに顔をクシャリと歪めたかと思うと、とても悲しげな声でジャックに言う。
「一緒に帰りましょう。私達の故郷に」
「……」
とうとうその瞳から、また涙をこぼしだすオーディンを見て、ジャックはふと、胸に熱くこみ上げてくる想いに戸惑った。
ここまで来たのは、大切な人を守りたいと言う自分の我儘のため。
皆そのジャックの我儘を、眉を潜め、煩そうに余計な事だといった。
母さえも、豆を投げ捨てて自分の邪魔をしてきた。
「ジャック、あなたが大切だと思っている人達は、みんなジャックの事を大切に思っているの。お願い、ジャック。あなたの大切な人達から、大切な人を奪わないで」
「!」
真っ直ぐに見つめるオーディンを、ジャックは気付けば抱き締めていた。
子供のように泣きながら、―――……いや、実際ジャックは子供なのだ。たった11歳の、幼い子供。
怖かった。
悲しかった。
辛かった。
苦しかった。
独りぼっちだと思ってた。
だけど、―――……。
「ジャック……」
年齢相応に泣きじゃくるジャックを、オーディンは優しくその頭を抱き、そっと撫でた。
やがて鳴き声が、くぐもった呻きのようになり、小さなしゃっくりを上げるだけとなってきた時、ジャックはそっとオーディンの肩を押し返してその身を離した。
「―――ごめん。 もう、大丈夫」
オーディンは、ジャックの顔を見た。
その顔は涙に濡れ、とても精悍とは言えなかったが、先程とは見違える程の力強い漢のように見えた。
「オーディン。僕は必ず帰る。だけど、あと1つ転移装置が残っているんだ。それを何とかしないと悲劇はまた何度だって繰り返される」
「……」
―――やはり行くのか。
ジャックを止めることは、オーディンには出来ない。
切なげに眉を潜めて黙り込むオーディンに、ジャックはその肩に手を置いて言った。
「必ず帰る。僕を信じて」
「―――……うん」
答えたくなかった。
だけどこのジャックの目に見つめられ、信じる事ができないなどと答えられる者など、いるわけが無かった。
「そうだ」
ジャックがふとオーディンの肩から手を離し、背に手を回した。そして取り出したのは、一本の錆びたアックス。
不思議に思ったオーディンが尋ねる。
「それは?」
「これは僕の父の形見だ。父が宝物だと言っていたもの」
「! もしかして、ジャックのお父さんもあの人食い巨人に……?」
「そう。だけどもう、その復讐の為だけじゃない。心の底からオーディンを守りたいと思ってる。だから僕は行く。それが僕の今の本心だ」
「ジャック……」
「このアックスが、きっと君を守ってくれるよ。見て、ここに文字が彫ってるだろ?」
「?」
「父と、母と、僕の文字なんだ。ここに君の文字を付け加えておく。ほら!」
ジャックはポケットから小さなナイフを出し“O”の文字を彫り込んだ。
「僕らは家族だよ」
そう、純粋に笑いながら斧の柄を、オーディンに見せるジャック。
それは単純に、大切な人という意味でそう言ったのであったんだろうが、オーディンは思わずその顔を赤らめた。
「さぁ、この転移装置に入って。光を抜けた先にある小さな家が僕の家なんだ。そこに僕の母さんがいる。斧を見せて事情を話せば、きっと君を助けてくれる。僕はあと1つ残る転移装置をユミルから奪ったらすぐに帰るから、向こうで待っていて」
オーディンはアックスを受け取り頷く。
そしてクスクスと笑いながら言った。
「待ってるわジャック。そして向こうで、本当の家族になりましょうね?」
ジャックはその言葉に、一瞬キョトンと目を瞬かせると、次の瞬間かぁっと顔を真っ赤に染める。
そして俯きながら小さく答えた。
「―――……うん」
オーディンは嬉しそうに微笑むと“絶対に帰ってきてね”と言い、緑の光にその身を溶かした。
誰もいなくなった雲の世界で、ジャックは恥ずかしさのあまり身悶え、しゃがみこんだ。
そして暫く後、ジャックはすっくと立ち上がり、拳を硬く握りしめる。
―――必ず帰るよ オーディン
言葉にはしない。
だけどその想いを強く胸に抱き、ジャックは再び巨城に向けて走り出した。




