池本君の才能
東京の最も南のエリアに大田区がある
大田区の中で最も大きな街が蒲田だ
新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった
江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい
現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。
JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた
年季の入った木造モルタルの2階建
ひび割れ模様の広がった外壁
歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下
風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間
そのアパートの名前は「泉荘」
「泉荘」仲間で池本くんのお話
池本君はJR山手線の田端駅近くに住んでいた
池本君は専門学校に通いながら新聞奨学生として
新聞販売店の2階に下宿していた
池本君の下宿にもよく麻雀をやるために集まった
当時は「泉荘」以外の誰かの下宿へ刺激を求めて
順番に泊まり集まる日々を送っていた
蒲田・石川台・溝の口・上北沢・椎名町・大塚・田端・綾瀬・松戸・相模大野
何となく地名だけは覚えている
池本君の下宿でも朝まで徹夜で麻雀をやるのだが
池本君は朝方3時を過ぎると朝刊配達の為そわそわし始め
腰を浮かしながら麻雀をする
池本君は麻雀に集中できなくなりいつも他の人に振り込んで
1階の販売所に階段を下りていく
池本君にとって毎日の新聞配達は大変そうだったが
持ち前の明るさからその大変さの愚痴を聞いたことがない
日曜日などは
「今日は夕刊のなかっちゃんね」と
うれしそうな顔をして小さな目を細めていた
夕刊のない自由な日曜日の夕方
池本君にとっての重要で自由な時間、そんな気持ちが十分伝わってきた
少し徳光アナウンサーに似た人の良さそうな顔をしていた
池本君は中学校、高校とサッカー部で活躍
何キロ走ってもバテない体力には定評があった
中学校2年生の秋
地元ではいつも「川内峠」という見晴らしの良い場所へ
遠足に行くことが恒例になっているのだが
その時は「白岳」という違う場所へ遠足に行くことになった
「川内峠」よりも急こう配な坂道で
クラスメイトの全員が頂上が中々見えず
へとへとになっていた
やっともうすぐ頂上に近づいたかなという時
坂の途中に1軒の家が建っていた
「あの家は池本君の家ばい」
息を切らして誰かが言う
「ふぇあ~こげんところから毎日池本君は通っとると?」
池本君は、中学校や高校のマラソン大会ではいつもTOPランナーだった
「そりゃ、毎日こげん坂道普通に登ってたら足の速うなるばい」
誰かの言葉にうなずく他の友人たち
釣り船で足腰を鍛えた「はじめの一歩」
伝馬船で手首を鍛えた「海星高校のサッシー」
白岳から通学して心肺能力を鍛えた「池本君」
育った環境がその人の特徴を作るのだと池本君を見てそう思った
後日、池本君が夕刊のない日曜日を選んで当時近くに住んでいた神田君と一緒に
レンタカーを借りてドライブに行ったらしい
楽しい思い出を連れて田端のレンタカー屋に
車を戻そうと向かっていた
レンタカー屋の手前50Mで前の車に追突したらしい
「楽しい思い出が追突の思い出に変わってしもうた~」
にこにこと眼を細くして笑いながら話す池本君
人徳のにじみ出ている男だった
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