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わが青春の泉荘  作者: 田久青
19/22

長崎アルバイト番外編④

東京の最も南のエリアに大田区がある

大田区の中で最も大きな街が蒲田だ

新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった

江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい

現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。

JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた

年季の入った木造モルタルの2階建

ひび割れ模様の広がった外壁

歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下

風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間

そのアパートの名前は「泉荘」

1978年大学生になって初めての夏を迎えた


18歳で初めて親元を離れ東京で生活をしていた僕は


4か月ぶりに故郷に帰った


故郷の島で一番賑やかな海水浴場で1か月間アルバイトをすることになった


その海水浴場を管理しているホテルがアルバイトを募集していたのだ


朝8時にはホテルへ行き


プールのポンプチェックから始まり


砂浜にある売店の準備


売店横のボート小屋の準備


シャワールームの掃除


海水浴に来た人が押し寄せてくると売店の売り子にボートの受付


泳いでいる人たちの監視


ホテルのジャングル風呂の掃除


夕暮れになると片付けと砂浜のゴミ拾い


その後、ホテルのビアガーデンのボーイ


ホテル内にあるパチンコ店の玉詰まりのチェック


朝から晩まで働いた


背中の皮は一か月で3回も剥けた


ホテルが主催する8月のビックイベントに当時活躍していた歌手の


「新沼謙治」リサイタルがあった


僕らアルバイトを仕切っていた社員の須藤さんと一緒に


ホテル所有の派手な黄色のビートル(フォルクスワーゲン)に乗って


車の上につけられたスピーカーから


「♪嫁に~~来ないか~~」という曲を大音量で流しながら


田舎道を車で流した


「あの岩手県出身の純朴歌手新沼謙治が私たちの住むこの島にやってきま~す~」


というカセットテープも一緒に流される


畑作業をしているおばあちゃんが、手を止めて車の方を見ていた


かなり恥ずかしかったがあんまり人のいないあぜ道ばかり須藤さんは走っていた


須藤さんも実は恥ずかしかったのかもしれない


リサイタル当日、マイクロバスで現れた新沼謙治を芸能人見たさに僕らは出迎えた


バスを降りてきた新沼謙治は


「あんれ~~海のきれいなところだにゃ~~」


と東北なまりで言った


芸能人なのに偉ぶらない良さそうな人だなと田舎者の僕は思った


アルバイト仲間もよく知った幼馴染だし


きれいな観光客のお姉さんの水着も刺激的だし


楽しいアルバイトだった・・・・が


ある日、事件が起きた


瓶ジュースをたくさんほうりこんだストックケースに


大きな氷を入れて売店の店先で売り子をしていた


突然、ゴムサンダルに赤い絵柄の海パン、麦わら帽子にサングラス


上着にはでなアロハシャツを着た若い男の人が現れて


「お兄ちゃん、お兄ちゃん、これ見て」


と僕に言う


「はい?」


「はい?じゃないがな、これ見てみい」


甲高い関西弁で少し怒っている


その関西弁の男の人がこれといって指を刺した下唇から血が出ている


僕がどう対応してよいものか迷っていると


「これこれ」


といって飲み口のガラスが少しかけた瓶ジュースを見せた


「ここでこうた瓶ジュースで唇切ったみたいやねん」


益々甲高い関西弁でとても怒っている


「あ!すみません」


僕はとりあえず頭を下げる


「これさあ、どないしてくれるんやろね」


今度は少し小さな声で、眉間にしわを寄せて困った顔をしてみせ血の出た唇を見せてくる


初めて聞く生の関西弁におびえてしまう


「す、すみません、ジュ、ジュース代お返ししますんで」


僕が言うと


「そんなもんいらんわ、お兄ちゃん、なんか誠意見せて~や」


全く、何をどうしていいのか分からず


ただおろおろとしている僕を今度は面白そうに眺めている


「せ、せ、誠意って言われましたも・・・・・」


恐らく真っ黒に日焼けした僕の顔は蒼白になっていたと思う


そこへ、僕らアルバイトを仕切っているSさんがタイミングよく現れた


「あれ~津山さん?」


「なんや須藤ちゃんやないの」


その関西弁のお兄さんはどうやら須藤さんの遠い親戚で顔見知りだったようだ


須藤さんが機転きかして


ボンボンベッドとビーチパラソルのレンタルを無料にしその場は収まった


僕の蒼白の顔も元に戻った


もし須藤さんが現れなかったらと想像すると今思い出してもぞっとする


8月10日を過ぎる頃風向きが変わり


海水浴場にクラゲが流れてくるようになった


クラゲに刺されるお客さんが出始め対策を取ることになり


海水浴場を遠巻きに網を張ることになった


僕らアルバイトは1時間おきくらいに順番にその網の外側を泳がされる


網をすり抜けてクラゲが入ってくることを防止するためだ


アルバイトが交代でやるのだが


どういう訳かSさんからの指名が僕が一番多かった


油断をしてクラゲに刺されるとバラの棘をムチにして叩かれるような痛みが走った


空いた時間を利用して水上スキーをやったり


モータボートをこっそり運転したり


初めてウィンドサーフィンをやってみたり


基本的に楽しくして仕方のないひと夏のアルバイトだったが


朝から晩まで働いて日給が1600円


1か月働いて5万円も溜まらなかった


楽しい18歳の夏のアルバイトは


ちょっとだけ怖い体験もしつつ終わった


実はアルバイト仲間には「泉荘」によく来ていた喧嘩っぱやい神田君もいた


関西の怖いお兄さんと神田君が遭遇しなくてほんと良かった



お読みいただきありがとうございました。

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