緑のマントと紫の石
つたない文章ですが宜しくお願いします。出来れば後学の為に至らぬ点をご指摘ください。
ここに緑のマントがあった。目の前の商人が売る一押しの商品。それがこの緑のマントである。身に纏えば時間を遡れると言う。実に荒唐無稽な話に思える。馬鹿馬鹿しい限りだった。
だが、男にはこの老人の目から逃れられない。この老商人の目は眼光鋭く、時にはとろんとして掴みどころが無い。
だが一度男が気を許せばこの商人は再び男を値踏みするように、今度はうって変わった優しい目で語りかけてくるのだ。
男は何故自分が足を止めているのか自問する。
わからない。
わからないのだ。
ただただ、目の前の奇怪な老商人から目が離せない。それだけは感じていた。
そんな不思議な商人の灰色の肌は乾燥しているのだろう。荒れてかさかさになっていた。男の貧しい生活が偲ばれる。が、この辺境では別に珍しくも無い話だ。この貧しげな老人はしがない商人。男は大きな煙草を詰めたパイプに火をつけながら、あなたに聞いてくる。
どうだね、この品を買わないか? と。
「いらない」
男は半ば反射的に口にする。
無視しても良かった。だが男にはそれが出来ない。
「そうかね? 何かお探しではないのかね。そのためにはこのマント、役に立つと思うがね」
商人はどうして自分に固執するのだろう。どうして自分に声を掛ける? 男は自問する。答えは出ない。
男には思うところがある。男が失った大切なもの。探しても探しても見つからないもの。確かに大切にしまっておいたのに。場所は間違いない。だが見つからない。何故だ?
「ではこうしよう。このマントを無償で貸し出そう。お試しに一回どうだね?」
悪くない取引だ。男は思う。一度試すだけ。たった一度試すだけ。
男は二つ返事で商人の手からマントを受け取った。そして、やおら羽織る。老商人の声が聞こえた。
「念じるのだ」
◇
男は目を疑った。自宅だ。
そして迷わず小物入れに手を伸ばす。あった。それは大切な人からもらった紫の石。今ではただの思い出だが、ただの石ころである。だがそれは男にとって大切な代物だった。今までいくら探しても出てこなかった紫の石。それが目の前にある。
男はそれを、そっと手に取り胸に当てた。ほろりと涙が男の頬を伝わっては落ちた。
◇
「どうだったね」
男の耳に街の喧騒が聞こえた。同時に、記憶が呼び起こされる。先の老商人だった。男にはその商人の口が、気のせいか薄く笑った気がしてならない。
男は握り締めた手のひらの中身に目をやった。大切な紫の石がある。思い出の石が。
「いや、あの……どうなっているんだ?」
それでわかっただろう。そう商人は言った。紫煙が揺れる。商人の手には煙草を詰めたパイプがあった。
「魔法のマント。気に入ってくれたかね? 当然買ってくれるのだろう?」
男は思い出す。
この商人から先ほどから勧誘を受けているのだった。男は考える。マントは今、自分が着ている。このまま走って逃げれば……。
魔が差したのだろう。男は急に走り出した。老商人の目の前から逃げ出したのである。体は自然に動いた。男は思う。自分は何をしているのだろうと。背後から、老商人の誰何の声は聞こえない。自分を泥棒呼ばわりする声はついぞ聞こえなかった。
◇
「念じるのだ」
あの老商人は言っていた。男は念じる。思い出の地へと、思い出の時へと願う。手の中の紫の石。これをくれた人の事を想う。今、強く想った。
◇
男の名を呼ぶ声がする。
それは忘れる事もできない、記憶の中の人。その立ち姿が街を見下ろす丘の上にあった。男はその人のいる木の下へ駆け寄る。
そして呼んだ。愛しくも懐かしいその人の名前を。
二人は手を取り合う。両手を広げた男の肩からマントがはらりと落ちた。丘の上に紫の石が転がる。
今、男は掴む。本当に欲していた愛しい人を。
風が流れた。
マントが風に舞う。それは紫の石を包んだ緑のマントだった。
◇
街は喧騒に包まれている。相変わらずだ。
紫煙が揺れる。老商人はパイプをくゆらせた。
老商人の目の前には、一枚の緑のマントがある。そしてその横に、キラリと光る紫色の宝石の原石があった。
「いい品だよこの石は。ああ、磨けばきっともっと光る」




