2-2 境界と幻術
相変わらず説明多いです
しばらく落ちて、それから何か柔らかなものに受け止められて、ゆっくりと地面に腰を着けた。目を開いてもそこは暗闇ばかりで、目を凝らしても何も見えなくて、だからこそ突然灯された光に目が眩んで、少しだけほっとした。
「生きているな」
いつも通りの、ジェスの無愛想な問いかけでも、ほっとした。
「い、生きてる……不思議な感じ」
「不思議なものか。たく、余計な魔力を使わせやがって」
ジェスの周囲にはふよふよと光の玉が浮かんでいる。魔法で出したものだろう。どうやら光源として使っているらしい。
「そうだ、山賊さんたちは?」
「一応生きている」
ジェスは不機嫌そうに答え、指を軽く動かした。光の玉がふわりと動いて、とある一か所で止まった。そこには、雁字搦めに魔法の縄で縛られて、身動きが取れなくなっている人間が二人いた。そのうちの一人は、山賊たちに「リーダー」と呼ばれていた大柄な男だ。
もう一人、見覚えのない女性がいて、ソニアの視線はそちらへと自然に目がいった。二十代後半頃だろうか。化粧などは一切していないのに、大人の色香が漂う、自然な美しさを持つ黒髪の女性だった。
「他の山賊さんたちは?」
「どうやらここには落ちなかったらしいな。たく、運のいい奴らだ」
ジェスは面倒そうに頭をがしがしと掻いて、縄に縛られている二人を睨んだ。
「それで?貴様ら、一体どうしてくれるんだ、この状況」
「どうするもこうするも、俺たちのせいだっていうのか?この状況」
ジェスの言葉に食いついてきたのは、リーダーと呼ばれていた山賊の男だ。
「そうだ。確実にはそこの女魔法師が、この土地が特例境界であるのにも関わらず、魔法をぶっ放したのが原因だ」
また、意味の分からない単語が出てきた。それは女魔法師も同じらしく、首を傾げている。
「なによ、その特例境界って」
「……知らないのか」
ジェスは呆れたように零した。
「どこの魔法学院を出た?」
「出ているわけがないじゃない。少し本を読んだら使えたから、使っているだけよ」
「………これだから素人は………」
仰々しくため息をつけば、山賊のリーダーからは非難の声が上がった。
「おい、クソガキ!レニーが素人だ!?独学で学んだ魔法でどれだけ俺らを助けてくれたことか!」
そんな山賊のリーダーに向かって、ジェスは舌打ちをすると同時に大声で怒鳴った。
「やかましい!黙れ、成り下がり共!魔法はそんな単純なものじゃないんだよ!安易に使った結果がこれだ!ここで死ぬか生きるか分からん時に、一々、他者の悪口に目くじら立ててんじゃねえぞ!」
その声はかつてないほどに脳に響き、恐ろしく、喉から声が出なくなるほどに、強い力を持った言葉だった。その威圧に気圧されて、山賊のリーダーは、思わず口を閉じて黙り込んだ。
本気で怒っているやつだ。何か一言でも口に出せば、また雷が落ちる。それは勘弁願いたい。ソニアは神経を尖らせて、ジェスの次の言葉を待つ。
ジェスは深く息を吸って吐いてから、いつも通りの落ち着いていて、どこか単調な口調で話し始めた。
「魔法を取得する際、どの魔法書にも冒頭に、注意書きが書いてある。魔法は師を必ず持ってこその一人前。安直に力を求めて使う者には、必ず厄災が訪れる、と」
そんなものは自分の魔法書には書いていなかった。そう言おうと思ったソニアだったが、レニーと呼ばれた女魔法師は、若干顔を引きつらせて呟くように言った。
「書いて……あった。確かに」
「だろう?魔法を使う際、必ず師をとらなければならない理由は、昔、今回のような事件が多発したことにある。特例境界……人間の魔力に反応して開く、死者と生者の狭間の世界に何百もの魔法師が迷い込み、死んだことにな」
「死者と生者の……狭間の世界?こ、ここが?」
なんともおかしな話に、ソニアは驚いて辺りを見渡した。
「あまり周りを見渡すな。今も見ている」
ジェスの言葉に、ソニアは見渡す首の動きと瞳の動きを止めて、そそくさとジェスの傍によってローブの裾をがっしりと掴んだ。
「み、みみみ、見ているって、ななな、何が?」
「死者」
「当然のように答えないでよ!なに、なんなの、死者って、し、死んだ人?」
「まあ、広義的に言えば、そういう事になるな。地上にも大量に死者はいるが、それでも地上は生きた者が住む世界だから、死者は見えない。一方、ここは死と生の狭間だ。狭間という場所は不安定だから、生きた人間にも死んだ人間が見えるようになる」
「じゃあ、さっきから感じる、ひしひしとした視線は……」
「それが感じるようになったのならば、魔力を感じ取れるようになるもの、そう遠くはないぞ。よかったな」
「こんな状況で修行の成果を実感したくなかったよぅ!」
嘆くソニアは、とにかく怖くてジェスのローブを掴んで離さない。顔をうずめてそのままそぞろ泣くことにした。
そしてジェスは何とでもない様子で、話を続ける。
「と、いうわけで、大地には幾つか生きている者と死んでいる者の境界の道のようなものが存在していてな。しかもこの境界の道は、魔力に反応し、場合によってはその道が現出する代物なんだ。しかも、現出した道は生きた人間を求めて吸い込む。魔力の流れを読み取れれば、この狭間の位置―――揺らぎのようなものを感じ取れるのだがな。そこの女はそれを読み取れないからこうなった」
「……因みにこの場に居続けるとどうなる?」
やがて、おそるおそると尋ねたのは、山賊のリーダーだ。顔色は悪く、現状をおおよそ理解していると思えた。
「ああ。このままだと餓死するか、死者たちによって死の国に誘われるか、この場を支配する“狭間の王”に捕らわれて死すらない永遠の時を生き続けるか、その三択だな。奴隷よりも余程苦しい生き地獄だと思うぞ」
「生きて帰るという選択肢はないの?」
ソニアの言葉に、ジェスはあからさまに嫌そうな顔を作る。
「あると言えばある。だが、まあ、なんというか……まあ、あれだ。うん」
「ワケが分からないよ、はっきりと言って!」
突然歯切れが悪くなったジェスに、きっぱりと言い渡したソニアは、ジェスの脇を突く。
「やめろやめろ。ある、生きて帰るという選択肢はある!あるから、じゃあ、あそこを目指そうか」
ジェスが指をさす先は、真っ暗な闇。
「あそこってどこ!」
「魔力の気配を読み取り、感じ取れるようになれば分かる。大気中に存在する魔力が全て、あちらの方向へと流れている。その先に城がある」
「し、城……?なんで、地下にお城……?」
「言ったろ。“狭間の王”と呼ばれる存在が居ると。その王が住む城が、唯一の地上への出口だ」
「捕まったら終わりな人なんでしょ、それ!行ったら危ないんじゃ……!」
「奴に頭を下げて地上まで戻してもらうしか、ここから出る方法が無い」
きっぱりはっきりと答えて、ジェスはため息を吐いた。
「そこまで辿り着くまでが骨が折れるんだがな……。ああ、嫌だ嫌だ」
とても嫌そうに頭を抱えるジェスに向かって、山賊のリーダーはどこか疑わしそうに視線を向けてきた。
「なんだか随分と詳しいが……何故だ?」
「そんなの何度か迷い込んだことがあるからに決まっているだろう」
即答である。何かを隠している様子はない。嘘をついている様子もない。事実をそのまま吐き出していることが誰の直感で分かる言葉だった。
「毎度毎度、迷い込むたびに死者は人の足を引っ張るために寄って来るわ、物好きな精霊共が寄って来るわ、挙句の果てに王が物見遊山で戦闘を仕掛けてくるわ、そりゃもう、気力を使うから疲れるんだ……。しかも今回は荷物がこんなに沢山いるからな。疲れそうだ……」
声の調子から、今までのジェスの経験が読み取れる。ここは、相当精神を摩耗する場所であるらしい。
「何せこの境界にいる死者共は暇人だからな。人を殺す前にちょっかいを出して楽しもうっていう、迷惑極まりない奴らが多いんだ。幻術とか仕掛けてくるからな。気を付けろよ」
言いながら、ジェスはくるくると手元の剣を回した。すると、僅かに発光しながら、剣は一本の杖へと変化した。魔法師は自身の魔力の増幅と魔法の安定化を図るため、よく杖を使うのだが、ジェスが持つと若干違和感がある。というか、似合わない。
「それじゃあ、行くぞ。ついてこい」
「待て待て待て。この状態でお前について行けるか」
山賊のリーダーが文句を言えば、ジェスは、
「そのままでも立てるだろう。カニを真似れば歩けるさ。そら、チームワークの見せ所だ。全員で足並み揃えて歩け。せーの……」
無茶なことを言った上、勝手に音頭を取り始めたので、非難の声が轟々と上がった。
「なんだ、あの兄ちゃん。顔は良いし腕も立つが、性格がすこぶる悪いな」
山賊のリーダーと名乗ったシモンという男は、前方を歩くジェスの背中を睨みつけながら、評価を口にする。
「お嬢ちゃん、どうしてあんな奴と一緒に旅をしているんだい?」
「やむにやまれぬ事情がありまして……」
ソニアは苦笑しながら、ジェスのコートの裾をぎゅっと掴んだまま、放さない。文句の一つや二つを覚悟していたが、ジェスは全く言う気配はなく、ただ、淡々と前へと進んで行く。
「それにしても……」
ソニアは辺りを見渡して、少しだけ、感心したように声を漏らした。
言いたいことは良くわかる。
地下、というのだから、無骨な洞穴のようなものを想像していたのだが、目が暗闇に慣れてきて、その全貌がうっすらと見えるようになれば、それが違うことを悟った。
遺跡だ。
どの時代のものか定かではないが、この場所は、確かに人間の手で造られた遺跡だということが分かる。
「なんだか、この間入った遺跡に似ているなぁ……」
つい先日、ジェスと出逢った遺跡のことを思い出して、
―――そういえば、カイルの苗字もクロックネスだったけど、何か関係があるのかな?
今更ながら考えるが、答えは当然見つからない。
「へぇ、遺跡に行ったことがあるの?」
ソニアの何気ない呟きに興味を持って近づいてきたのは、魔法師の女性、レニーである。
「うん、あるよ。ちょっと失敗して、お宝は手に入らなかったけれどね」
ソニアの軽口に対し、ジェスはじっとりとした視線を送って来る。代わりに命を共有する呪いを体に受けたなど、口が裂けても言えない。
レニーはどこか楽しそうに、うん、うん、と頷く。
「やっぱり遺跡っていうのは、世界を冒険する人間の浪漫よね。過去の魔法遺産が見つかる可能性が高くて、それを想像しただけでも心が躍る。知っているかしら?遺跡の殆どは、二百年前の勇者の時代のものが非常に多くて、それよりも前のものは、極端に少なくなるの。研究者の間では、二百年前のものにしては老朽化が早いから、昔と今とでは、何かしら大気中の魔力に変化が起きている、と推測を立てているけれど、実のところは分からないの。」
すらすらと自分の知識をひけらかしていくレニーに、
「あ……。すみません、あたし、そういうのはちょっと興味がなくて」
正直な心境をソニアは明かす。
魔法師とは一種の探究者でもあり、謎を追い求める人物も多く居る。だからこそ、世界各地に存在する遺跡やそれに付随する不可解な謎にについて、自らの推測を熱く語る人間が多い、と母はよく言っていた。しかしながらソニアはその一切に興味が持てなくて仕方がない。
遺跡に関して、興味があるのはただ、お宝の価値と値段である。
「あら……。それは、そう。なんというか、そうなの」
レニーはどこか呆れたような反応を返してから、前方のジェスへと視線を移す。
「あなたは―――」
「俺に話しかけるな」
重圧のある低い声で、一言返して、ジェスはすぐに視線を元に戻す。
なんだかとても、機嫌が悪い。
「そう。自分の知識は楽しそうにひけらかすのに、人の話は聞かないなんて、つまらない男の子ね」
「……」
レニーの率直でなんとも的を得た指摘に図星なのか、ジェスは肩を少し震わせただけで、何も言わない。なんだかとても期限が悪い以上に、なんだかとても表情が真剣で、背中からは苛立ちの色が見える。
「……けど、レニーさんって、魔法って独学なんですよね?なにかこう、コツ、とかあるんですか?あたし、この間まで一人で魔法を使えるように練習をしていたのだけれど、どうもうまくいかなくて」
ジェスが不機嫌そうで、尚且つレニーも返答を一切しないジェスをつまらなく思えたのか、不機嫌そうに顔を歪めたので、ソニアは慌てて話題をすり替えた。ただえさえ死者がこちらを見ている、などというわけの分からない話によって沈痛な雰囲気なのに、これ以上思い雰囲気を作ってはいけない、と本能的に思った故の、いわば条件反射の類の質問だった。
それに実際、気になっていたところなので、一石二鳥だ。これで独学で魔法が使えるようになる方法が分かれば、ジェスの指導方針に一々苛立ちを覚えなくてもよくなるかもしれない。
「だから、それは言ったでしょう。魔法の専門書を読んだらなんとなくできたのだって」
「な、なんとなくって……」
「別に私に才能があったから、というわけじゃないのよ。少し専門書を読めば、簡単な魔法は使えるようになるはずよ。体内に魔力炉さえ持っていればね。魔法っていうのは、発動させるだけならば、詰まる所、意味の分からない呪文をただ唱えればいいだけじゃない。まあ、その先の段階―――本格的に魔法を学んで魔法師になるには、師匠でもつけなければいけないらしいけれど」
うん。知っていた。
魔法は唱えれば、魔力炉を持っていれば一応発動することは。しかし、ソニアはそれができなかった。
母親にねだって買ってもらった魔法の呪文の基礎が書いている本を、どんなに読んでも呼んでも叫んでも、魔法らしきものは一切起こらず、時折、ちょっぴり小さな炎が出る程度だった。
だから、才能がない。母に断じられて、自分も断じかけていた。
けれど、それは違った。魔法はしっかりと使えた。では、何がいけなかったのか、といえば。
―――そりゃ、嘘ばかり書かれているからな、この魔法書。
そう言った、“死”を司る精霊の言葉が脳裏に蘇る。
(お母さんから貰った魔法書は、偽物だった……?)
だからこそ、疑わずにはいられない。
「それにしても、ここの建築物の様式……」
レニーは辺りの近くの古びた壁や壊れて天井が抜け落ちた柱やらを眺める。
「“賢者”の時代の建築様式に少し似ているわね」
「ん?どこら辺が?」
ソニアは周辺をレニーに倣って眺めるが、何がどうして建築様式が似ている、などと言えるのか、そこら辺の知識はさっぱり無いので分からない。
「あらら。“賢者”の時代は古代魔法文字が栄えていたからね。壁面の幾何学的な文様がとても多いのが特徴なのよ。今で言う、魔法陣みたいなもの。逆に“勇者”の時代はもう既に呪文が確立していた時代だから、壁面に文様を刻むよりも、姿かたちにこだわりを持っていた、とされているわ」
レニーがどこか楽しそうに説明をしてくれた。言われてもう一度見てみれば、成程。確かに沢山の文様が崩れかけた壁面に刻まれているのが分かる。そのどれもがもう既に読めることはできず、よってお何を願って刻まれたのか、分かる現代人はいないだろう。
「そっか。だから、クロックネスの遺跡に似ていると思ったんだ」
ソニアは手を打った。あそこの遺跡は暗がりで周囲が見えにくいにも関わらず、古代魔法文字がぎっしりと刻み込まれていた。
「……クロックネス?」
ソニアの言葉に、レニーは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
「ああ、いえ……、その、クロックネスの村自体は知っているわよ。あそこ、街道沿いにある村だから、たまに寄っていたし。ただ……遺跡は無いわよ、あの村には」
頭が一瞬、真っ白になった。どういう意味か分からず、何度かレニーの言葉を反芻してから、ソニアは聞き返す。
「え?な、無い……?遺跡が……?」
「どこにも」
あっさりと答えられて、いよいよソニアは混乱した。
「けど、確かにあったよ。遺跡に入って落ちて迷って転んで、大変だったんだから」
なんだか口に出せば出すほど、情けない思いしかしていない。呪いにもかかったし。けれど、あの遺跡の存在を証明できる人物が他にもいることを思い出して、ソニアは目の前を歩くジェスの袖口を掴んで引っ張った。
「ね、ジェス!そうだよね!」
「わ、バカ……」
少しバランスを崩してジェスがよろついた。
途端、景色が揺らぐ。
景色が揺らいだ次には、まるで周囲は靄に包まれ、何も見えなくなる。
「な、な、な……?」
何が起こったのか分からず、口を開閉させるソニアは、手を宙に泳がせた。
遠くの方から声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
その声が近づいてくるにつれて、靄は徐々に晴れていく。うっすらと見え始めた景色に、ソニアは思わず息を呑んだ。
「あたしの……村?」
そこに広がるのは、見覚えのありすぎる景色だった。
風車が回り、柔らかな風が駆け抜ける、山間に造られた小さな村。村の周辺には魔法による結界が張られていて、魔物や山賊の侵入を一切許さない、ある意味外界から封鎖された村。
それが、ソニアの故郷である。
「なんで……?」
疑問に思いつつも、ソニアは一歩踏み出した。
『だからあんたは、魔法の才能がないのよ』
更に聞き覚えのある声に、ソニアはどきりとして振り向いた。そこに立っていたのは、自身の母親である。強気そうな眉に、長い栗色の髪は、まるで自分が成長したかのような錯覚させられる。
『それは初心者用の魔法書なの。呪文を唱えれば、小さな魔法は使えるのよ。才能がありさえすればね』
怒られているのは、小さな頃の自分だ。貰ったばかりの魔法書をぎゅっと胸元に握りしめて、唇を引き結んで、今にも零れそうな涙をなんとか目の内に引き留めている。
『その魔法書を使っても、魔法が発動できなければ、あんたはまともに魔法を使えないっていう事なの。分かったかしら?』
『けど、お母さんもお父さんも、魔法師だもん。あたしが使えたって、おかしくないじゃん。……ちょっとくらい、教えてよ、お母さん。村の子たちには、魔法を教えているんでしょ?』
『駄目です。魔法を教える人間として、魔法を使えない人にむやみに魔法は教えられません。いい?魔法はとても、とても危険なものなのよ?下手をすれば、生命すら作れてしまう、とても、とても―――』
『けど、教えてよ、お母さん。あたし、お母さんとお父さんの子供なんだよ?』
『駄目よ、危険なものなのよ、あんたにとっても―――』
教えて、という言葉と、駄目、という言葉は、徐々に重なっていく。泣きながら頼む小さなソニアに、ただ、バカの一つ覚えのように、母はダメを繰り返す。
分かり合えない壁が存在しているように思えて、ソニアは胸に苦しみを覚えた。
「お母さん、教えてよ、お母さん……」
「―――阿呆、目を覚ませ」
声と同時に、鈍い痛みが頭に振って来た。あいた、とこぼして顔を上げれば、そこには不機嫌そうなジェスが立っていた。
「じぇ、じぇす……」
「たく、結局こうなるのか……。一人ひとり、目を覚まさせるのは面倒だな」
ジェスはがしがしと頭を掻きながら、辺りを見渡す。
真っ暗だ。ここがどこなのかも分からない。確かにソニアは座り込んでいるのだが、どうして座っていられるのかは分からない。足元すら見えないからだ。
「こ、ここ、は……?」
「幻術の中だ」
端的で分かり易い返答があった。
「じゃ、じゃあ、さっきのは幻術……?」
「当然だろう。歩いていたらいつの間にか自分が住んでいた村、なんて普通はありえないだろう。時空間を移動する魔法はとうの昔に潰えたからな」
言われてみれば、おかしな話である。しかもあれは、過去の自分の記憶だ。記憶が目の前で再生されるなど、普通はありえない。うん、ありえない。
「けど、本物だと思えちゃったよ」
正直なところ、ジェスに忠告を受けていたにも関わらず、全く脳は、目の前の光景が偽物だ、という判断を下さなかった。全てが本物であり、全ては現実であると、思い込まされてしまっていた。
「そりゃあ、な。幻術は大きく二種類に分かれる。現実の景色に別の景色を重ねて、敵をかく乱させるもの。そして、記憶に干渉し、その人物の精神そのものに干渉し、ダメージを与えるもの。後者は特に危険だ。悪質なものならば、幻術にかけた人間をそのまま自殺に追い込むまで苦しめるからな。どうやら死者の中に、相当生きた人間に怨念を抱いた奴がいるらしい」
「こ、これって死んだ人たちが引き起こしているものなの?」
「そうだ。ずっとこちらに向かって幻術を掛けてきていた。それを魔力の結界で防いでいたが……さすがに精神干渉と物理的干渉の二つの幻術魔法を防ぐ結界を、十数人にかけるのは骨がいってな……。貴様が話しかけてきた瞬間の魔力の揺らぎの隙間から、幻術を掛けられた」
「そ、それで話しかけるなって言ったんだ……」
ソニアはやっと事態が飲み込めて、困ったように顔を歪めた。
つまりは自分のせいか。
「いや、今回は詳しく事情を説明しなかった俺も悪い。……若干、境界に落ちたことに動揺していたからな。できれば、誰とも話したくなかった」
しかも謝られた。あのプライドの高そうなジェスに。
「……おい。なぜ目を丸くしている。物珍しそうに俺を見る?」
「だって、ジェスがあたしに謝るなんて、思いもしなかったから」
「貴様の中の俺は一体どういうイメージなんだ」
ジェスは呆れた様子でがしがしと頭を掻いた。
「とにかく、他の奴らを探さなけりゃな」
言いつつ、ジェスは首に下げていたある物を取り出した。それは、小さな金色の鍵だった。無駄な装飾がない、シンプルで、故にとても美しい鍵だ。
「それは?」
「この鍵で、山賊どもの幻術の中に入り込む。おそらくは奴らの記憶を元にした幻術の中に入ることになるだろうから、本物を見つけ出すのも一苦労だが……ああ、全く疲れそうだ」
ジェスはソニアの質問には一切答えずに、深いため息をついて、鍵を空中に挿しこんだ。
がちゃり、と何処かで錠が開く音がした。同時に扉が開くかのような音がする。暗闇と光の境界線が出来上がり、光は徐々に広がっていく。そして、光の中には一つの世界が広がっていた。
「―――わ……」
そこは、賑やかな街の中だった。人が多い。カイルが住んでいる街よりも、遥かに広い道、様々な店が立ち並び、子供たちが走っていく。お祭りであるらしく、風船が浮かび、道化師が様々な芸を披露している。人々の顔にはペイントが施されており、みんな、笑顔だ。
「こ、ここは誰の幻術の中……?」
「……二人分かもしれんな。幻術の規模が大きい」
ジェスは片目を閉じながら、目を凝らしている。
「なんで分かるの?」
「幻術だって魔法だ。魔法が使われれば、魔力も使われているということだ。その魔力の大きさによって、幻術の範囲も分かる」
「また魔力を読み取れれば分かる、とか言うの?」
「言わん。こればかりは……魔法師であっても容易には分からない」
声が少し沈んだのを、ソニアは聞き逃さなかった。なんというか、ジェスの踏み込んではいけないところに踏み込んだような気がして、慌てて話題を逸らす。
「それにしても、大きな街だね!一体ここは、何処なんだろう?」
「―――レンヴァスモス公国の首都だな」
「んん?」
聞き覚えのない国の名前に、ソニアは首を傾げた。
「レンヴァスモス公国……って?」
ジェスが見つめる先には、国旗が下がっていた。牡牛のような、不思議な生き物の周りを木々の蔦が伝う、不思議な文様だった。やはり、見覚えが無い。
「別名学者の国。たくさんの有能な学者が集まって出来上がった国で、小さいが、学者たちの知識によってそれなりの豊かな栄え方をした国だ。国の騎士は百戦錬磨の強者ばかりで、特に槍を得意とした騎士が多かった。そして―――」
鎧の音が聞こえてきて、ソニアはそちらを振り返った。
どきりとした。
そこを歩く騎士たちは軽装で、だからこそ一発で分かった。
山賊のリーダーの男―――シモンが、先頭を立って歩いている。
「二年前に謎の大火に見舞われて、滅びた国だ」
ジェスは、そう断じた。
事実だけを述べているだけで、そこに感情は一切含まれていなかった。