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セイント・ブルー  作者: 千年寝太郎
第一章 魔法師たち
6/10

1-6 盾と扉

今回で、物語の大まかな伏線は全て描き終わり、プロローグっぽいものは終了します。

 空が僅かに震えたのを、走っていたジェスは見た。

 それは、魔力の波紋と言える。どこかで誰かが、どでかい魔力の塊をぶっ放して、その結果、大気や次元そのものが振動し、僅かに既定の場所からずれた証拠だった。


「この魔力……まさか、な……」


 足元に魔力を集中させたジェスは、傍の家の壁を一気に駆け上がり、屋根の上へ立つ。それから青い瞳を細めて、魔力の波紋の中心を睨みつけた。前髪が僅かに目にかかる。風は強い。莫大な魔力が、体全身を駆け抜けていく。


「あのバカ」

 小さく呟いて、ジェスは屋根伝いに、魔力の発生源へと急ぐ。

 その先には―――。




「うううわわわわわ!」


 ソニアは悲鳴を上げながら、必死に足を動かしていた。脇にカイルを抱え、背後から迫りくる脅威から必死に逃げる。少しでも足を止めれば、背後から魔力を固めただけの簡単な、しかし鉄を貫く程度には威力のある魔力の弾丸が飛んでくるものだから、休む暇もない。建物の影に隠れては見つけ出され、隠れては見つけ出され、その繰り返しだった。


「おーい、どこまで逃げるんだい?この結界の中で動けるのだから、それなりの魔力を持った魔法師なのだろう?少しは抵抗し返してくれないと、面白みがないじゃないか」


 けらけらと、背後から笑い声が降って来る。

 魔族。角を生やし、灰色の肌を持つ、人間とは若干異なる姿をした化け物だ。彼はどうやらこの追いかけっこを楽しんでいるようだ。なので、弾丸だって本気でソニアたちを狙っていない。もしも本気になれば、ソニアの体を撃ち抜くなど、容易いことに決まっている。


「姉ちゃん、降ろせ!オレを抱えていたら、逃げ切れるもんも、逃げ切れないだろ!」

 脇に抱えたカイルが喚くが、

「ダメ!絶対ダメ!」

ソニアはその意見を聞き入れない。


 誰かを見捨てることはできない。そこまで心の強い人間じゃない。


「ジェスが来てくれるはずだから、それまで逃げ続ける!」

「あの兄ちゃんだって、この魔力結界の中とやらで、動けなくなっているかもしれないだろ!あの人たちみたいに!」


 カイルのいう事は尤もで、ソニアもそんな不安に一瞬駆られる。周囲では、楽しそうに笑った子供が静止している。その母親と思しき人間が、子供に笑いかけてそのまま止まっている。物を売る人、道を行きかう人、洗濯物を干す人、喧嘩をする人。


 時間の一部を切り取ったかのように止まっている。


 聞いたことはあった。魔族は時間そのものを操ることに優れている、と。だから、彼らが人間を標的に行動をすれば、魔法師以外は対処できない。時間を操るほどの魔力を持つ魔族に対抗できるのは、同等の魔力を持つ人間だけだ。


―――けど、じゃあ、なんであたしは動けているんだろう?


 ソニアは自らの姿を見る。カイルも見た。

 自覚はしていた。自身がそこまで実力のある魔法師ではないということを。母親から、散々才能がないと言われ続け、それでも試しに打った炎の弾は、見事に的に命中せずに霧散するか、爆発するか、外れるか。

 母親からもらった入門書を何度読んでも読み込んでも、炎の弾以外の魔法は一切使えない有様に、絶望もした。


―――それでも、やるしかない!


 きゅっと唇を結んで、頭の中で必死にイメージを練り上げる。狙うは魔族。彼が魔力の弾を放っている指先だ。先ほど剣を引き抜いたくせに、それを使わないということは、完全に油断をしているということだ。ならば、その油断を突くほど、効果的な戦法があるだろうか。


 いや、きっとない。


 ソニアは走る足を一歩で止めて、体を捩じりながら二歩目の足先を、空を悠然と飛んでやって来る魔族へと向けた。三歩目は体を固定し、片方空いている掌を、魔族に向けた。


「お?」


 魔族は興味深そうに眼を開いて、どこか楽しそうに笑っている。

 そんな魔族の顔を狙う。


「“フランマ”!」


 唱えた。唱えてやった。掌から飛び出したのは、火の粉ほどの小さな炎だった。それはまるで大気中に舞う埃のように、微風に乗って少し移動した後、あっけなく弾けて消えた。

 気まずい沈黙が辺りを包み込む。


「な、なんだ、今のは……?」

「にゃははははー……」


 あまりの威力の弱さに、呆然として呟いた魔族に、にかりと笑ったソニアは―――次の瞬間には全身全霊で敵前逃亡を開始した。


「姉ちゃん、今のは魔法って言うんじゃないよね⁉」

「聞くな、何も聞くな!」

 カイルの純粋な質問が胸に突き刺さる。


 魔法は苦手だ。

 苦手だけれど、嫌いじゃない。

 けれど、どうしても上手になれないから苦手なのだ。

 いざというとき、例えば今のような、生命の危機に突然魔法が使えるようになるかも、と一瞬でも思った自分が馬鹿だった、とソニアは反省する。

 そうそう簡単に、奇跡など起きるはずもないのだ。


「んー、まさかへっぽこ魔法師だったとはねえ」

 背後で、また悠々と飛びながら追ってくる魔族の声が聞こえる。わざとらしく、大声で、独り言を口にする。

「魔力だけ大きくても、魔法を使えないのならば意味はないよねえ。惨めだねえ。君の中にある立派な魔力炉も嘆いていることだろうさ。……うん、そう、可哀想だ」


 納得したように、魔族は頷いて、顎を撫でて、それから邪悪と言う他ない笑みを満面に浮かべて、ソニアを見た。


「可哀想だから、その魔力炉を助け出してやろう」


 何を、言っているのか。


「そうだ。その肉の体を切り裂いて砕いて消し去って、美しい魔力炉だけ傷つけずに取り出してみよう。やったことはないが、なに、うまくいくさ。私は天才と謳われた魔族だ。そのくらいのこと、造作もないことに決まっている」


 言っている言葉、彼がやろうとしていることが何なのか、徐々に理解し始めたソニアは蒼白になった。体から血の気が引いていくのが分かる。


「さて、どこから行こうか?やはり動き回られると面倒だから―――頭か」

 ピン、と鳴らした魔族の指先から放たれたのは、凝縮された魔力から作り出された鋭い刃のような一撃だった。魔法として行使されず、形のみを与えられた魔力は、魔法よりもはるかに速い速度で発動する。

 それこそ、普通の人間が反応できないほど速く。


 それでも、ソニアは反射神経だけはやけに優れていて、直感で自身に危険が迫っていることを悟った。だから足を動かして逃げようとしたのだが、それはいけない、と足を止める。


 背後には、カイルがいる。最初に助けると決めたのだから、最後までそれを全うしなくてどうするのだ。

 思考の巡りと決断は一瞬で、だからこそ避けないという選択肢しかソニアには存在しなかった。

 故に避けず、故に死を受け入れ、故に―――。


「おっと危ない」


 まるで虫でも払うかのように、魔族の魔力の刃を弾き飛ばした、その存在に驚いて、声すら上げられなかった。

「密度は中々だけれど、これはどうにも形が無骨でダメだ。全然ダメ。芸術品とも言えない。落第点。理解したかい?」


 長く黒い髪を一つに緩くまとめた、体の線が分からないほど緩い黒服を着ている、男とも女とも分からない人物だった。声も中性的。瞳は女性にしては若干小さくて、男性にしては若干大きい。

 詰まる所―――性別が判別できない、謎の人物。


 それは突如、なんの前触れもなくソニアの目に現れた。


 驚いたのはどうやら魔族も同じらしく、鋭い目つきが丸くなって少しかわいいとすら思えてしまうほど、目をまん丸に見開いていた。

「それにしても単体で現界すると、マナ密度が不安定だなあ……。やはり術師殿がいないといけないのか……。けど術師殿は滅多にこちらに来てくれないから、仕方ないといえば仕方がないか」


 ぶつくさとひとしきり呟いた後、くるりと振り返って、その人物は薄い胸に手を当てて、にっこりと笑って自己紹介を始めた。


「はじめまして、人間諸君!私は“死”を司る精霊である!よろしく!」


 間。

 間。


「えええええ!」


 そして、今度はしっかりと驚きの声を上げられた。

 この人物、精霊と名乗った。言われてみれば浮世離れしている精霊たちの例外に漏れず、妙にふわふわとした現実味のない気配がないこともないが、それよりも。


「“死”を……司るって……まさか」

 カイルはどこか、確信を得た声で精霊を睨めば、精霊はにこにこと笑みを浮かべたまま、悪びれずに頷いた。

「そうそう!君のお母さんを殺していたのは私で非常に正しい!いやあ、ごめんね。これも仕事でさ。多額のお金を積まれて頼まれたら、私は断れない。そういうように、世界と契約を結んでいるのだからネ」

「てめ……!」


 カイルは顔を真っ赤に変色させて精霊に飛びつこうとしたが、精霊はカイルの渾身の突進を避けて、更にその服の襟首を器用に掴んだ。相当身長が高い精霊がしっかりと姿勢を正して立ちなおせば、カイルが両足をどんなにばたつかせようと、その足が地面に届くことはない。


「いやしかし、勘違いをしないでくれ。また君のお母さんの命を奪いにきたわけではないのだから。寧ろ、君達を助けに来たのだ」

「な、なんで……?」

「ふむ。そういう契約だから、と伝えようか。精霊は契約を重んじる。私たち精霊は金で契約を基本的に結ぶが、その契約以上に優先する行動基準が幾つかある。一つ、全ての精霊たちが自らに課している絶対の契約として、術師殿に力を貸すこと。そして私の場合は、私の“死”を退けた人物への褒美……私の殺しを妨げてくれたお礼をすること。つまり、君達の連れの銀髪君が私の“死”を打ち破ったので、殺しをせずに済んだお礼に、銀髪君が到着するまで君たちを助ける、ということだ」


 あっけらかんと、飄々と。述べる精霊の言葉には、嘘はないことが、ソニアは直感的に理解できた。何故、などとは愚問だ。常に直感で生きてきたソニアにとって、理由のない決断など、いくらでもある。


「じゃあ、助けてくれるの……?」

「とも言いたいが、私の現界がそこまで持つかどうかが問題でね。……ほら」

 飛んできた魔力の弾を弾いた。飛ばしてきたのは当然魔族であり、あっさりとそれを流し飛ばすのは精霊である。

 だが、魔力の弾を弾いた精霊の手が、一瞬陽炎のように揺らいだのを、ソニアもカイルも、見逃さなかった。


「あと、数分が限度だろう」

「使えない!恩返しはどこに行ったのさ!」

「助けてもらっている相手に、鋭く心を抉るツッコミをありがとう」

「恩返しじゃなくて、自分が悪いことをしたから、その罪滅ぼしじゃないの?」

「……」


 ソニアの言葉には飄々と答えるが、カイルの言葉には苦虫を潰したような珍妙な表情を浮かべた精霊は、数瞬後、気を取り直したように手を叩いた。


「―――まあ、ともかくも、だ!こちらに向かってきている魔導師殿がいるようだからね。彼が辿り着くまでの時間稼ぎを、君にも即興でやっていただきたい、魔法師殿」

「魔導って……え、ちょっとまって、あたし、あたしが時間稼ぎをしろと!」


 聞き覚えのない単語に疑問の声を上げようとしたが、すぐに精霊が言った言葉の意味を理解して、ソニアは素っ頓狂な声が代わりに上がった。


「待って、無理、無理無理!見ていたでしょ!あたし、魔法がさっぱり……」

「それは、君が間違った使い方をしているから。才能は十分にある。後はそうだね、魔法指南書は持っているかな?本当は魔導の方が得意であるが……特別に魔法を教えてやろう」

「だから魔導って」

「ほらほら、早くしないと時間切れになっちゃうぞ」


 背中に大量の魔力の弾を受けて、それらすべてを結界のようなもので弾いて、そして輪郭すらぼやけ始めた精霊に急かされて、ソニアは急いで懐から魔法指南書を取り出して精霊に渡した。


「けど、その本の通りに呪文を唱えても唱えても、うまくいかないんだ、あたし」


 ソニアは今までの事を思い出す。

 村に居た頃、割と魔法が普及しており、誰もが魔法の修行を行っていた時だって、いつだって、なんだって。

 炎一つ満足に出せず、的に当てられず、その度に子供たちに笑われて、悔しくて悔しくて、唇を噛んだ時の事を思い出す。

 何度、母親に才能がない、と罵られたことか、分からない。

 そうしてしょげているソニアの耳に、ある信じられない言葉が流れ込んできた。


「だって嘘ばかり書かれているからな、これ。そりゃあ、唱えても唱えても、魔法が成功する筈もない」

「え?」

「けれど、本には内容の修正が書き込まれているが―――君はこれをしっかりと読んだかい?」


 そう言われて差し出されたページは、“盾”の魔法について書かれたものだった。そこには、ぎっしりとジェスが書き込んだ文字が敷き詰められている。


「この修正の呪文は素晴らしい。基礎的な部分は勿論、君の魔力炉でも運用できるように、工夫を凝らして作られているヨ。これなら君でも、魔法を発動させられる」


 精霊の言っている言葉に、嘘偽りがないことは、直感で理解した。

 だからこそ、少し、いや、かなり感動した。

 自分も、魔法が使える。


「……もしかしてジェス、あたしの魔法がうまくいかない理由をしっかりと見抜いて……」


 少し見直した。しかし、分かっていたのならば教えてくれたっていいではないか、という気持ちになったので、どっこいどっこい、ソニアの彼についての評価は未だ低いままで留まった。

「けど、この長文を全部読み上げるのは……」


 眺めただけでも、相当な長文だ。魔法は体がその呪文を完全に覚えない限り、呪文の簡略化できない。呪文は一つ一つが自らの魔力炉へ向けた指示であり、指示通りに魔力をくみ上げないと、完璧な魔法は作り上げられないのだから。

 しかし、今は時間がない。今にも目の前で魔力弾の嵐を引き受けてくれている、精霊の姿は消えそうだ。


「大丈夫。一回だけなら、簡略できる」


 精霊が、またまた、信じられない言葉を言った。

 今日は、驚かされてばかりだ。

 一回だけ、魔法の呪文を唱えずに簡略化できる、と。

 一体どうして、どうやって?理由が全く分からない。


「色々と原理を説明している時間はないからね。とにかく、その呪文の題を唱えるんだ。ありったけの力を込めろ、護りたいものをイメージしろ。いいね、三、二……」

 しかもカウントダウンまで始めた。もう、時間に猶予はないらしい。魔族は大量の魔力を掌に集中させて、それをソニアたちに向けて射出した。とんでもない威力、というのだけが分かった。あれを防ぐだけの魔法を一瞬で作り上げるしかない。


 できるのか。


―――いいや、やるっきゃない!


 考えることすらやめて、ソニアは前方に向かって意識を集中させる。集中、タイミング、タイミングを合わせて、ついでに跳ね返せればどんなに良い事か。

 そんな理想まで思い描いて―――唱える。


「“スクートゥム”!」


 本の文字が、輝いた。

 展開したのは、正しく盾。装飾も何もなく、ただ単純な、よく店頭でみる無骨な盾であった。ただ、その巨大さは異常だ。高さは五メートル。盾、というよりは壁である。


「いっ……!」

 心臓に、ずんと重しが乗ったような感覚を受けて、ソニアは息を詰まらせた。魔力炉が今までにないほどに働いているのが分かる。熱いし、重いし、心臓が今までにないほどに高鳴っているのは、生まれて初めて魔法を成功させた喜びからか。

 それしかないに決まっている。

 盾は魔力の弾を受け止めて、本来ならば霧散する筈だった。

 だって、“盾”の魔法だ。盾は防ぐのが役目。結界のように他の異常を付与することは決してないのだから。

 けれど、気合を入れた。

 盾の魔法を壊されたくない、壊れてはいけない、壊してはいけない。

 その一心で、心臓に、魔力炉に気合を込めた。


「いっけえええええええ!」

「え?」

「は」


 精霊と、魔族は。

 二人とも、一人の少女が引き起こした現象に目を疑い、思わず間抜けた声を出した。

 盾が更に巨大化したかと思えば、受け止めていた魔力の弾を弾き返したのだから。それはまっすぐに魔族へ向かっていく。しかも、ソニアの魔力も加わって、更に威力が上がっている状態で。

 完全に油断していたこともあり、体は咄嗟の反応をとれなかった。


「う、わわわわわわ!」


 魔族は思わず、体の前で腕をクロスさせて、防御のカタチを取った。

 そんな魔族を飲み込んで、更に魔力の弾は一条の光となって空へと昇って行った。結界を突き破り、雲を蒸発させるほどの、そんな魔力の弾を。


「や、やった……」

 弾いてやった。魔法で。

 満足感と共に、ソニアはその場に倒れた。

 気力と魔力の限界だったためか、すぐに気も失った。





 凍っていた時間が、徐々に溶け始めたのを、カイルは感じた。今まで完全に静止していた町の人々が徐々に動き始めたに他ならなかった。


「……ふにゃあ」

 そして、ソニアがその場にばったりと倒れた。

「ね、姉ちゃん!どうしたんだよ!」

 慌てて駆け寄って顔を覗き込めば、ソニアは目を回して気を失っている。


「どうやら魔力を使い果たしたようだネ。全く、あれ程の防御力の“盾”に追加付与の“反射”を上乗せしてくるとは……作られた存在でもここまでの才能の塊は見たことがない」

 体全身が透き通って、体の向こう側の景色が見えるようになっている精霊が、呆れたような、疲れたような、それでいて悲しそうな声でぼやいていた。


「人間の業は何時の時代も深いものだネぇ……」

「ま、魔力を使い果たしちゃうと、死んじゃうとかないよな?」


 精霊の独り言を無視して、取り敢えず最も重要な確認事項を尋ねれば、精霊は柔らかに笑って頷いた。

「死なない、死なない。しばらく休めば治るヨ」


 あ、こいつ、女だ。

 その笑みを見てカイルは確信しつつ、その返答に安堵して息を吐いた。


「結界自体も壊れたから、これから徐々に時間も流れ始めるだろう――――む!」


 そこまで安心した様子だった精霊の表情が途端に歪んで、右手で何かを防ごうと伸ばした。その伸ばした手首を、襲い掛かって来た刃が斬り飛ばした。

 カイルは息を呑んだ。

 精霊の傷口からは一切の血は噴き出なかったが、忌々し気に刃の持ち主を睨んだ。

 その、視線の先にいるのは。


「くそ、くそ……この私が……この私が……」


 魔族。彼は手に持った剣で、精霊の手首を切り落として、更に悪態ついている。肌の表面は焼けただれ、服もボロボロになっている。それでもまだまだ元気な様子で、口の中に生え揃った牙を剥き出して、ソニアを見た。


「こんな人間に……!くそ、精霊が……たかだか世界と契約を交わした神気取りの馬鹿面が……!」

「まー、そこらへんは否定しないでおこうか。馬鹿面は訂正してほしいところだが……っ!」


 飄々とした口調を崩さなかった精霊の首を、魔族は剣で切り落とした。くるくると精霊の首が宙を回る。とても呆けた緊張感のない顔だった。それでいて、口は「あれまあ」と呟いていた。

 人の首が跳ね跳ぶところなど初めて見たので、カイルは衝撃的過ぎて声すら出ずに、死にかけた魚のように口を何度も開閉させるしかできなかった。

 ぼとり、と目の前に首が落ちてくれば、もう、悲鳴を上げたい気分になる。


「まあ、仮初の肉体だから死なないのだけれどな」


 しかも、首が喋っている。にかりと楽しそうに、笑っている。

 もうどこから驚けばいいのか分からない。

「なあに、あれだ、少年。また会おうじゃないか。今度は君に―――」

「次はない」


 魔族が飄々と喋る首を踏みつけた。まるで風船が破裂するかのように、軽い破裂音と共に精霊の首は弾け飛んだ。

「馬鹿な精霊だなあ……。この町の奴らは今日、ここで全員私に殺されるというのにさ」

 残虐な笑みを浮かべる魔族は、手の中で剣をくるりと回した。目の前には、倒れているソニアと、その傍にいるカイルの姿。


 嫌な予感がして、カイルは体を硬直させた。

 にやにやと、笑みを浮かべたまま、魔族はゆっくりと剣を振り上げた。

 硬直させた体が動かない。

 初めて身に受ける他者の悪意ある殺意にあてられて、体が完全に竦んでしまっている。剣先が太陽の光を反射して、カイルの瞳に射し込んだ。

 振り下ろされる。

 振り下ろされた、剣は―――。


 横薙ぎの剣に、弾かれた。


「んなっ」

 魔族の体が後ろに逸れた。

「お留守だ」


 ついでに空いていたわき腹目がけて、拳が繰り出され、それは見事にクリーンヒットした。肺に入っていた息を吐き出し、呼吸が止まったのか、一瞬魔族は白目になって、それでも何とか意識を保って後退り、乱入者と距離を取った。


「貴様が今回、結界を張った魔族だな?」

 剣を軽く握り直し、油断なく前を見据える。庇うようにカイルとソニアの前に立ち、魔族に対して声を掛けたのは、銀髪の少年―――ジェスだ。


「人間……そこをどけ。まずは女を殺さないと私の気が済まない。貴様を殺すのは、その後だ」

「訂正してやろう。ここで死ぬのは貴様だ」

 ジェスの言葉に、魔族のこめかみがピクリと動いた。聞き捨てならない言葉を聞いた、と言わんばかりに、魔族の口の端はつり上がる。


「なんとも、生意気な人間だ!」

 剣を持ってジェスへと突進をして、斬りかかる。上から下へと降り下げるだけの単純な攻撃だ。けれども確かにジェスの体を切り裂かんと距離をしっかりと捉えた一撃だった。


 しかし―――。

 ジェスは魔族の剣を、自らの剣の腹で綺麗に受け流した。カイルは思わず息を呑む。剣術のやり取りは今まで見たことが無かったが、ジェスの動きの流麗さに心奪われたからだった。

火花が散って、うまく受け流された反動で、魔族の体は前のめりになる。

 その首筋を狙って、ジェスは剣を振り下ろす。だが、直前で見えない壁に阻まれた。


「魔力結界か」

「魔族の身だしなみの一種だからな」

 にやりと不敵な笑みを浮かべる魔族に、

「ああ、そう」

聞き飽きたと言わんばかりに、ジェスは剣を軽く振り直した。


 それだけで、魔族自慢の結界は、音を立ててあっさりと断ち切られた。辺りに魔力由来の破片が散っていく。

「んなあああ!」

「脆すぎだ」


 ジェスは素早く、くるりと手の中で剣を回して、刃が丁度、魔族に当たる位置に移動させた。それを見た魔族は小さく喉を鳴らして、咄嗟に自らの剣でそれを受ける。

「あと、剣は盾じゃないぞ」

 忠告をしてから、ジェスは息を吸って、吐くと同時に魔族が構えている剣へ、二撃目を加えた。


 甲高い金属音が辺りに響き渡る。魔族の剣が砕き壊された音だった。地面へからからと剣であった金属の破片は落ちて、最早凶器としての意味を成さなくなっていた。

「うわわ……!」

 魔族は慌てて結界を再び張ろうとするが、それよりも早く、ジェスはその首筋に剣を突き付けた。魔族はひきつけを起こしながら、動きを止めて、冷や汗を首筋に垂らす。


「敗因その一。魔力頼りの戦い方の癖に、結界自体がまずおざなり。この町に張った結界も、自らに張っている結界も、ただ分厚いだけで脆く弱い。敗因その二。剣の戦い方がまるでなっていない。下手にも程がある。飾りでつけるのならば、そんな物捨ててしまえ。そして、敗因その三。人間を格下に見すぎ。以上、三点、死後の世界でゆっくりと反省しろ」

「え、ちょ、ま……」


 早口に魔族の悪い部分を述べれば、ジェスはさっさとその首を切り落とそうと剣を軽く振り上げた。その澱みない動きに、本気で魔族を殺す気だと悟ったカイルは、思わず、


「ま、待って!」


ジェスの足を掴んで引き止めた。

「なんだ?」

 見下ろしてくるジェスの視線はどこまでも冷たい。人殺しの目である。それでも勇気を振り絞って、声を出した。出せた。


「こ、殺すまでは……ないんじゃないかな……。ほら、この町の人、誰も死んでいないし……」

「本音は?」

 間髪入れず核心を突いた問いかけに、カイルは少し唸ってから、訴えかける。

「人が死ぬところを見たくない……」

「これが人だと?」


 問いかけてくる声の質が変わった。若干柔らかくなった。ついで、少しだけ、嬉しそうな声だったように感じた。


「え、う、うーん……」

 首を傾げてカイルが悩んで見せれば、ジェスは息を一つついて、突然魔族を足蹴した。予想外の行動に、魔族は悲鳴を上げてその場に転がる。


「な、なにをするんだ、この人間が!」

「貴様が俺を人間と言っている時点で実力の程度は知れる。ま、そこのガキの言葉通り、殺すまでもないかと思い直して、な。こってりと絞られてこい」


 言いながら、ジェスが懐から取り出したのは、一本の鍵だった。

「……それは?」

「時空を繋げる鍵」

「へ?」

 意味が分からず、カイルは首を傾げて。

「んな!」

 また、魔族は驚きの声を上げて。

 ジェスは二人の反応に構わず、空間へと鍵を突き出した。そしてまるで、そこに鍵穴があるかのように、手首を捻った。


 途端、変化は起こる。


 鍵の先から、無数の光の線が奔ったのだ。しかもそれは幾何学的な文様ながら、徐々にとある見覚えのある物を描いていく。

「と、扉……」

 巨大な扉の出現に、カイルは呆然とした。


 空まで届きそうな光の線で造られた扉は、ゆっくりと開き始める。そこから、これまた人の物ではない、明らかに化け物の類の爪が長く紫色の肌の手がぬっと出てきて、そこに倒れていた魔族の体を掴んだ。


「うわああああ!嫌だあ!監獄には行きたくないいいいい!そもそもなんで、その鍵を持っているんだ、人間!」

「俺の物だからに決まっているだろう」


 パニックを起こしながら必死に逃げようともがく魔族の疑問に、ジェスは答えになっているような、なっていないような適当な返答をした。


『尋問と裁判での精査の後……然るべき罰則を受けて貰う……』


 地の底から響くような不気味な声が、脳内に響き渡って、カイルは困惑して辺りを見渡した。だが、何処にも声の主のような化け物はいない。

「ふ、ふざけるな!私は天才だぞ!あのレインバース家の長男だぞ!貴様らのような凡人の裁量によって、罰則を受けてたまるか!私は人間界で人を殺して殺して殺しまくって、魔王様を蘇らせ、名を上げるんだ!」

『はいはい、言い訳は魔界で聞くから』


 妙に軽いノリで返答し、魔族を掴んだ手は、扉の中へと戻っていく。魔族は悲鳴を何度も何度も上げたが、一行に逃げる糸口が見えた様子はなく、徐々に声は扉の奥へと吸い込まれていき、やがて消えた。

 扉が閉まっていく。完全に閉じ切った扉は、その姿を消していく。幾何学的な文様が消えていき、まるで最初からそこには何もなかったかのように、そこにはただ、普段通りの空間が残るだけだった。


「い、今のは……?」


 今の今まで起こっていた現象が信じられず、カイルは呆然とその現象を引き起こした張本人・ジェスに尋ねる。するとジェスは、自らの口元に人差し指を当てて、「聞くな」と呟いた。


「まあ、知らない方がいいことは、世の中には沢山ある―――ということだ」


 カイルの頭をぽんぽんと叩いて、それから周囲を見渡した。

 魔族が消え、結界も完全に消え去ったのだろう。時間は流れ始め、人々は普段の生活を回し始める。

「今回は、死人が誰も出なかったな。本当に運を引き寄せたな、こいつ」

 ジェスは足元で寝転がって、気持ちよさそうにいびきをかいているソニアに視線を落とし、


「おい、起きろ」

「やめてあげてよ!」


その頭を爪先でつついたので、慌ててカイルが止めに入ったのだった。





「うう……。まだ頭がぐらぐらする……」

「何も考えずに魔力全てをぶっ放すからだ、阿呆」

 カイルと早々に別れ、ソニアとジェスは街道を歩いていた。


 頭がずしりと重くて、ソニアは目を回していた。なんでも、魔力の使い過ぎだそうで、先ほどから少し具合の悪さを訴えれば、ジェスはその度に罵って来る。

「だって、魔力の使い方なんてよく分からないよ。今まで魔法をまともに使えたことなんて無かったからさ」

 特にが興味ないようで、ジェスは受け答えすらしてくれない。


 ソニアは頬を膨らませながら、ジェスの前に回り込み、それにしても、と強制的に話を進める。

「なんであの本があたしの魔力炉に合っていないって、分かったの?」

「……見りゃ分かる」

「なんで見れば分かるの?」

「貴様には理解できん」

「えぇ、ちょっと、それはないや!説明だけしてみてよ、分かるかもしれないじゃん!」


 ねーねーねー、としつこくジェスの周りを跳んで跳ねれば、ジェスはこめかみを引きつらせて苛立った様子で答えた。

「言葉には説明できんものだから、説明も無理だ。感覚的な問題だ。以上、説明終わり」

「なに、その投げやりな説明。馬鹿にしているの?」


 意外にも冷静なソニアの説明に、ジェスは少し驚いたようで、目を瞠ってから眉根をすぐに寄せた。それからがしがしと前髪を掻いて、ソニアに尋ねる。


「……魔法、本気で覚えたいのか?」

「勿論!使えると分かったのだから、じゃんじゃか覚えたい!」

「魔力の調節の仕方も分からないのに?」

「そこはほら、やっている内に……」

「攻撃的な魔法で、今日のような暴発が起きてみろ。大惨事になり兼ねんぞ」

「そりゃ、まあ……そうですが」


 認めざるえなくて、ソニアは困って視線を彷徨わせた。

 今日は“盾”の魔法を使えた。防御の魔法だ。明日、使うのはどのような魔法だろうか。攻撃の魔法だったら、ジェスの言うように、大惨事を引き起こしてしまうだろうか。

 その可能性は、十分に高い。


「だから、魔法を教えてやるよ」


「…………………え……………」


 今、ジェスの口から飛び出した言葉が信じられなくて、顔を上げて、ジェスを見た。ジェスを見て、それからソニアは目をまん丸くして、

「え、本当、本当⁉嘘じゃないよね!」

「嘘じゃない。今日のようなことが起こった時に、少しでも自己防衛の方法を覚えておいてもらわなければ、俺の身がもたん。人助けは苦手なんだ。極力、自分の身は自分で護れるようになれ」

「い―――――やっほー!」


 ソニアは飛んで跳ねて大喜びをしながら、街道を走っていく。それからジェスの元に戻って来て、その手をぎゅっと握った。突然のことに、ジェスは「は」と声を小さく上げて、驚いた。


「ありがとう!じゃあ、これからいっぱい、いっぱい教えてね!本当に、ありがとう!」

「お、おお……」

 やった、やった、と繰り返し、ソニアは先ほどの具合の悪さはどこへやら、足取り軽く道を歩き始める。

 そんな彼女の後姿を見つめながら、ジェスは疲れたようにため息をついて、


「まさか聖女に魔法を教える羽目になるとは思わなかったな……」


 と、小さく呟いた。


基本的な重要ワードは、今回までに全て含んだつもりです。人間一人ひとりのエピソードは次回から、じっくりゆっくり語り始める予定。

予定は未定。

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