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霧の向こうの即位式!  作者: 麗華
7/23

6


 森が色づくころに、この国の王が倒れた。噂話しは、人の間を駆け巡る。


王の一人娘が次代の王になる。

だが、民は女王を望まない。

王の異母弟を、次代の王に、と望む声が上がっている。


 そんな噂を聞いたのは、誰からだっただろう。

 民、とは一体誰の事だろう。



 美羽には、王であれ女王であれ、どうでもいいことだった。

 陽の光で目を覚まし、釜戸で火をおこし朝食を作る。畑を見回り野菜をとったり薪を集めたり。雨が降れば、家の中を片付けて、紅茶をいれてシュウと相談しながらアクセサリーを作り、たまれば市場に売りに行く。売れ行きのいい時もあれば悪い時もあるが、何故かシュウはそれをさほど気にはしていない。


 毎日、嘘のように穏やかに過ぎて行く。


 誰が即位しようが、きっとこの生活は変わらない。そうではないのか、とシュウに問うと、呆れたように笑われた。


「王は、国と民を守るもの。即位する者が弱ければ、民の暮らしも変わる。他の国との争いがおこることもある。今の王は強く、正しい。民の王への信頼があったからこそ、この国は栄えたんだ。次代の王が気になるのは、国の民として当然の事だ。まあ、女だから弱い、とは思わないけどな」

 

 サラリと話すシュウの瞳は、いつもと違う。


 噂は飛び交い、聞こうと思わない美羽の耳にさえも入ってくる。


「女王でもいいさ。王の娘だ、なるべくして教育を受けていたんだろう。補佐を買って出ている者も優秀だと聞く。彼が中心になって政治を進めていくさ」

「王女だって、任が重くて可哀そうだ。王に息子がいればよかったのに」

「先代王の弟君に、即位の意志があるのならば、譲るのが筋ではないのか」

「王はずっと正しかった。なのに、何故この事態を予測せずに、王女のみしか残さなかったのか」


 女性が王になることを認めたくないのが見て取れた。

 たとえ即位をしても女なのだから飾り物であれ、と願うような卑屈な心。今の王への信頼、親愛、尊敬は大きいが、それは王が絶対の強者であったからこそ。弱者である女性が同じ位置に立つことへの、口にできない小さな不満。そしてそれは、いずれ大きな物へと変わっていくだろう。




 王が変わると言うことは、政治は一時、民から目を離す。治安も財政も、これまでと同じとはいかないようだ。市場に行ってもいつものような活気はなく、アクセサリーなんてほとんど売れない。

 売り上げなど気にしないはずのシュウが、少しでも売りたいと思うのか頻繁に市場に出向く。売れないのに、数日おきに材料を仕入れに出かけていき、ひどく疲れて帰ってくる。

 売れないのだから、少しお休みをした方がいいのではと何度言っても聞き入れてはくれなかった。



 市場からの帰り道、ひどく疲れているらしいシュウは美羽が話しかけても上の空だ。その背中は、いつものような温かみはない。

 黙って歩くシュウの背中を見つめながら長い距離を歩くのは、もう何度目だろう。


 突然、その背中が止まった。背負った荷物をおろして、振り返る。


「家まで、走れるか?」


「え?」


「これ持って家まで走れ。大事にしなくていい、何かあったら、投げつけて構わない」


 訳も分からずに受け取れば、行け、と背中を押された。振り返った時には、シュウは灰色の狼に姿を変えている。後ろ姿しか見えないが、耳は伏せられ、背中の毛は逆立っている。シュウの前には、数頭の狼がシュウに向かい同じ姿勢で唸り声をあげている。尋常ではない。


 ここから家までは、美羽の足で歩くと一時間近くかかる。到底走り続けることはできない。それでも、ここで立ち止まっていたら邪魔になる。美羽は無我夢中で走りだした。

 後ろから、狼の唸り声が聞こえる。美羽がどれだけ走っても、狼にはかなわない。恐怖で、喉は渇き、足はうまく動かない。もつれる足を懸命に前に出すが、思うように進まない。ああ。もっと普段から鍛えておくんだった。どんなに後悔しても、今の足が動くようにはならない。


 不意に、横から大きな灰色の狼が出てきた。シュウかと思い、足をとめたが、違う。これは、シュウではない。シュウは、こんな目はしていなかった。


 唇をめくり上げ、喉の奥で低く唸る。低く下げられた頭、美羽を心底憎んでいるような黄色の瞳。恐怖でその場にへたり込んだ美羽に向って、真直ぐに飛びかかってきた。『投げつけて、構わない』その言葉が頭に浮かんだ。美羽は、狼の顔を荷物で思い切り殴りつけた。かろうじて、牙はそれたが爪が美羽の鎖骨の辺りを抑える。爪が身体の中に食い込むのがわかる。その場所が、痛いのか熱いのかもわからない。


 ああ、もうダメだ。この世界で死んだら、死んだ後、お母さんに会えるかなぁ。


 あきらめて目を閉じた美羽の耳に刺さる、狼の悲鳴。身体の上に乗っていた重みがなくなり、鎖骨辺りに刺さっていた爪も無くなった。恐る恐る目をあけると美羽の身体のすぐ横で、狼の首を鷹ががっちりとつかんでいる。狼がなんとか鷹に噛みつこうと暴れるが、首を掴まれているので牙は届かない。どんなにもがいても翼を広げた鷹は一歩も引かない。だんだん、狼の動きが小さくなり、音を立てて倒れた。ヒューヒューと鼻を鳴らす音が漏れていたが、すぐに音は止んだ。倒れた狼の上で、鷹はそのまま翼をしまって美羽に向き直る。目の前で倒された狼を見て、恐怖は一段と高まった。あの爪に掴まれたら、どんなに痛いだろう。考えるだけで、目の前が歪む。


 荷物を盾に、ずるずると後ずさる美羽を見て、鷹が人の姿を取った。


「美羽ちゃん、だよね?」


 名を呼ばれ、息が止まりそうになる。必死で頷く美羽に、鷹から変わった男性は目線を合わせるかのようにしゃがみこんだ。


「大丈夫、何もしない」


 茶色の短髪。白い肌。切れ長で鋭く、相手を射抜くように見る瞳に、胸の奥が冷えていく。恐怖が喉元までせりあがってきたその時、顔じゅうを血だらけにした灰色の狼が、草むらから現れた。今度こそ、シュウだ。顔だけでなく、前足や背中にも血がこびりついている。美羽に預けた荷物に狼の歯型がついているのをみて、満足そうに笑う。


「役に立ったな」


 良くやった、と言わんばかりに美羽の身体に自分の頭をすりよせた。そして、鷹から変わった男性に向き直る。


「兄貴、来たんだな」


「まぁ、一度そのコに会ってみようと思ってな。隣の世界から来たって言っても、見た目は変わらないんだなぁ」


「兄、貴……?シュウ、の?」


「うん、そう。まぁ、話は後で。とりあえず君、立てる?」


 差し出された手を取ってなんとか立ち上がるが、膝が震えてうまく歩けそうにはない。

 仕方ない、と言いたげに美羽を抱きあげシュウの背中に乗せる。


「ゆっくりなら、歩けます。大丈夫」


「悪いけど。ゆっくりじゃ、困るんだ」


 だからと言って怪我をしている人に背負ってもらうわけにはいかない。なんとか降りようとするが、シュウはさっさと歩きだしてしまった。


「暴れると、傷に響く。じっとしていてくれ」


「は、い」


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