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雲の狭間にある光  作者: WAKA
7/23

日常

翌日

 高校生になるまで電車が不快な乗り物だと知らなかった。誰かの背中や鞄に押されながら、目的地まで耐え抜く厳しさを知ったのが去年の春。肩にのしかかる他人の体温や、容赦なく顔に降り注ぐエアコンの風で、夏は更に不快だと知ったのが二週間前。


悶々としながら特に興味のない車内広告を見て過すしかない。

広告はどの企業がAIを普及させたとか、一般人向けに販売可能なAI商品だとか、不快なもので溢れていた。

 

メーティスの出現から社会に浸透するまでの時間はそうかからなかった。

 一部のバスや電車は人工知能が運転を行っている。最近では警備会社のシステムから大手スーパーのレジ打ちまで、メーティスが幅広く活躍している始末だ。事故や問題は一度も起こさないという正確さが信頼を得て、ほんの数年で社会に普及した。


僕は舌打ちをして、拳を強く握りしめた。

 

目的の駅に着いても憂鬱は晴れない。額の汗を拭って改札を抜けると往来は既に強い陽射しで、陽炎が立っていた。

 通っている葛城高校は、南大路通りの先にある長い昇り坂の上にある。踏切の遮断機を越えれば、坂の上に改築したばかりの真新しい校舎がすぐ見えてくる。

 学校について上履きに履き替えようと靴箱を空ける。脱いだローファーを取ろうと屈むと、校内放送が流れた。ぴんぽんぱんぽーん、と単調で不快な電子音が鳴る。


『二年四組の片桐蔵雅、すぐに生徒指導室へ来なさい』


 皆がひそひそと話をしながらこちらを見ているのがわかる。


「お説教かな・・・・・・まったく、僕がどれだけ優秀かみんなわかってないよ。無能な人と話すだけ無駄だし、今日は風邪ってことで帰ろ」


 ぴんぽんぱんぽーん


『お前の意見は聞いていない、これは命令だ。逃げても無駄だぞ、昇降口にいることはわかっているからな』

「聞こえてる!? どうして・・・・・・」


第六感を有する教師に抗う術は持ち合わせていない。僕はがっくりと項垂れ、生徒指導室へ向かった。




「かたぎりーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」



 仁王像のような顔をした教師が声の限りを尽くして咆哮する。強烈な憤怒により生まれた怒声は、全ての生きとし生ける者の領域を遥かに凌いでいた。咆哮は未知の強振動を発生させ、生徒指導室の窓を粉と砕いたのである。


尚同時刻、地球の反対側で不可思議な動物の失踪事件が発生したらしいが、本件との関わりは不明である。


「大会委員会からは飛行機をぶっ壊した件で苦情が来てるし! 俺はお前が頭のいかれたクソ野郎だという結論を出す会議のせいで昨日から一睡もしていない! 一体全体どうしてお前は俺の機嫌を損ねることばかりするんだ! 何を考えてる!」


 僕は迫る先生に体をのけぞらせる。

 腹部に重みのあるいかにも中年らしい体格の教師。担任から注意しろと聞かされていた生活指導の顧問でもあった。


「勝とうとしただけです、健闘したのにそこまで怒鳴らなくても」

「ペイント弾の着弾で既にお前の負けは決まっていた! それなのに機首を持ち上げて、後方の敵機に体当たりさせるとは!」

「体当たりではなくあれは捻り込みという技で」

「やかましい! わけのわからん技のせいで、うちのレシプロ機も対戦校のメーティス搭載機もおじゃんだ! これまでいくつ飛行機をダメにした! 我が校の飛行部(・・・)の評判はお前のおかげで落ちる一方だぞ!」

「最初のは数に入れないで下さい、訓練中の事故です。うまく操縦できてたと思いますよ? 空中分解しましたけど」

「言い訳をするな!! 一式戦闘機を失ったからには廃部も免れん!」

「申し訳ないですけど、もう一機買っていただくわけには?」

「お前! 血を吸うダニめ! もう飛行部にそんな予算はない! お前が壊したんだからお前がなんとか工面しろ! 我が校の飛行部は由緒ある――」


 それから先生は僕がいかにとんでもなく恐ろしいことをしたのかを怒鳴り続けた。怒声を聞く度に金槌で頭を殴られるみたいな衝撃を受ける。


 この高校には飛行部(・・・)、などというものが存在する。

葛城高校は古くから飛行機の設計士やパイロットを輩出した学び舎で、この歴史ある学校に飛行部を作ろうと教師達が奮闘した。

エアファイトは先進国で注目を集めており、今では国別の対抗戦も行われている。


日本パイロットの優秀性や飛行設計の技術力を世に知らしめるため、若い力を育成しようという試みだった。

発足に至るまで数年を費やし、やがて飛行部が設立され、主な活動内容を空戦に据えるまでになった。


エアファイトが注目を集める一方で、更なるメーティスの普及を目論む無人航空開発部といういけ好かない機関も存在していた。

昨日の試合はそこから飛行機の性能を競おうと我が部に声がかかったのだ。

互いの力量を高め合うと言えば聞こえはいいが、それはメーティスの有用性を証明するための実験だ。メーティスを搭載した無人機と有人機。人と機械の優劣をつけるために開催されたショーで生き証人となってくれるなら、試合の経費は全て持つとのことだった。


参加するパイロットには開催者側から訓練用のペイント弾、自動開閉するパラシュート、そしてメーティスに負けろ、という無言の圧力が与えられる。

だから昨日の結果は、彼らからしてみれば煮え湯を飲まされた最悪の結末であっただろう。


「はあ、そもそもレシプロ機じゃなぁ・・・・・・ジェット機に乗って戦いたいのに」

「貴様ぁ! 俺の話を聞いているのか!」

「はいっ! 聞いてます!」


 ぼうっとしていた僕は怒声で我に返り、背筋をピンと伸ばす。無意識に思考が口から零れていたらしい。


「ジェット機なんてあんな高価なもん学生が乗れるかぁ! レシプロ機でちょうどいいんだ! お前も将来パイロットを目指すならレシプロ機をモノにしておけ! 我が校のエースパイロットもかつてはレシプロ機に乗っていたのだ! 皆今いる場所で努力した結果が――」


 本当は言いたいこともあるけど、口を開けば怒鳴られる時間が長引くだけだと思って諦めた。


「放課後に罰を受けてもらうからな! とりあえず今は授業に出ろ!」


 尻を蹴り上げられ、生徒指導室を追い出される。朝からついていない。

人込みを避けながら中庭を歩いて自分の教室へ向かった。この通路は屋根がついているので、陽を浴びずにすむのが救いだった。外の陽射しが強い分、僕のいる場所は影がいっそう濃くなっている気がする。


一陣の風が吹き、校内に植えられた桜の枝がしなっているのが見えた。今や薄紅色の花びらはなく、青々と茂った若葉で満ちている。柔らかい風に撫でられながら細い廊下を歩いていると、窓から校舎裏が見えた。学園の裏側は林になっていて、何本もの檜がずっしりと聳えている。林の奥は見通せないほどの闇ばかりで無気味だったが、日の出ている間は木漏れ日が校舎を照らしていて美しかった。

教室へ向かう途中、何人もの生徒が僕を見て何事か囁いていた。話している内容は見当がつく。


あいつまた飛行機壊したんだって。さっき呼び出されてたし

ほら、俺の言った通り無理だっただろ

人間がメーティスに勝てるなんて思い上がりも大概にした方がいいよ


皆の陰口は駄々漏れだった。それがいちいち勘に触る。

我慢、我慢だ。僕が暴れるのは空の上でだけ。

自分に言い含めて足を動かし続ける。あと少しで教室という所で


どご


右顎に鈍い衝撃を感じた。あれ? と思うのと同時に視界が横転し、気づいた時にはそのまま地面に崩れ落ちていた。

わけのわからない状況に気が遠くなる。頭が次第に痛みだしたが、痛覚にもがくこともできず僕はぐったりしていた。目の前にはコロコロと転がるサッカーボールと散乱した窓硝子があった。

 

がやがやと騒がしかった朝の校舎の時が止まり、しばらくしてパンと空気が弾けたように女生徒たちの悲鳴が響き渡った。


 なんだ! なにがあった!

 突然ガラスが壊れてサッカーボールが! それでこいつに直撃した!

 片桐だ! 死んでるぞ!

 いやーーーー!


各々の悲鳴に耳鳴りがして目の前がチカチカする。


「いったた。ちょっとみんな冷静に、死んでない死んでない」


喋ると切れた口の中から猛烈な痛みが走った。体にうまく力が入らず、立ち上がることが出来ない。

手を差し伸べてくれる者はいなかった。周囲の人達は心配をしているわけではなく、僕を取り囲んで面白がっているだけだ。

しばらくして、血相を変えた男子生徒が人の波をかき分けて迫るのが見えた。


「わ、わるい! 大丈夫か!」


 長身痩躯で端然な顔立ちの、いかにも女受けが良さそうな男だった。男の引き締まった四肢が、早朝の薄暗い廊下に色白く浮かんだ。睫毛の濃い瞳は凛々しく、耳に少しかぶさった短髪からは新緑のように爽やかな匂いがする。


「あんたが犯人か」


 サッカー部専用の袖なしシャツを着ているところを見ると、この騒動の主犯とみて間違いない。


「ほんとにすまない、狙いが逸れてボールが。手を貸すから保健室に」


 言葉には反省の感情が色濃く滲んでいた。引き締めた表情の奥には紳士めいたものも感じられる。違う出会い方をしていれば同性の僕でさえ間違いなく好感を抱いていただろう。


「いいって、たかが脳震盪だよ」


 そう言って自分の力で立ち上がろうとした時だった。


「蔵雅!」


 聞きなれた声は人の群れをするすると抜けて耳に届いていたから、姿を見なくても誰が来たのかはっきりとわかる。

 密集していた生徒達は声の主のために道を開ける。僕達を中心にしてぽっかりと開いた輪の中に彼女は入って来た。


立ち止まった彼女は僕を見るなり猫の手みたいな拳を握りしめ、瑞々しい桃色の唇を噛んでわなわなと震えた。細身の小さな肩が揺れるにつれ、白く透き通っていた肌が花よりも艶やかに紅潮し始めた。

整った顔立ちと美しい双眸は見る者を引き寄せる奥ゆかしさがある。腰まで伸びる艶やかな髪に加えて深く澄んだ声。眉目秀麗な容姿に加え、ブラウスとチェックのスカートをくたびれさせないという完璧さである。彼女の全てが窓から差し込んだ夏の陽射しを受けてきらきらと輝いている。


僕の怪我を見て目を白黒させている女の子、幼馴染の(つき)(まち)ユキだ。


「あ、ユキ」


声を掛ける間もなく、彼女は僕の前にやってきて屈みこんだ。小さくて柔らかみのある手で頬を包み込まれ、ぐいっと顔を持ち上げられる。額がくっつきそうな距離で、ユキの鳶色の瞳が大きく見開かれているのがよく見えた。

おおお、と生徒達がどよめくのも無理もない。これでは口づけの一歩手前だ。


「大丈夫!? 目、目は怪我してない?」


 かすれた声がユキの口から漏れた。


「目は大丈夫、心配ないよ」


 心臓が音を立て始めたのに気付き、僕は慌ててユキの額に指を当てて顔を遠ざけた。


「そっか」


 ユキが空気を抜かれた風船のように萎む。

 僕は頭を掻くふりをしながら赤くなった顔を隠した。そうしてなんとか立ち上がり、どきどきしつつもユキの手を引いて立ち上がらせた。


「それで、誰がやったわけ」


 立ち上がったユキは僕の手を振り払い、憎悪の籠った目で周囲を見渡した。慎ましやかな体裁を拭い去った彼女からは凄惨な感情が伝わってくる。僕は犯人のこめかみをすーっと汗がつたい落ちるのを見た。


「大丈夫だって、これは事故。わざとやったわけじゃないし」


僕の言葉にユキがむっとする。


「なんで蔵雅が庇うの? あんたは被害者でしょ、黙ってて。さあ、ボールで窓硝子を割るなんてベタなことしたアホは名乗り出なさい!」


 ユキの言葉に生徒達が再びどよめく。

 ユキは曲がったことが大嫌いだ。静かにしていれば可愛らしいのに容赦なく舌を鋭くさせることがある。間違っている人間がいれば、誰にでも噛みついていくものだから見ているこっちは心配で仕方ない。こんなことも一度や二度ではない。噂を知っている生徒達は面白半分なのだろうけど、僕はユキが見世物にされているみたいで嫌だった。


「もういいって、皆も教室に戻ろう」

「まだ話は終わってないじゃない」

「終わりだよ、タイムアウト、ザッツオール」


 僕の言葉に興を削がれた群衆がざわつきながら、それぞれの教室へと戻っていく。


「ほら、行こう」


 僕は鞄を拾い上げて足早にその場を去った。僕の半歩後ろをユキがとことこついてきている。

小学生の頃からずっと一緒で、今は部活動まで同じだ。こんな時どんな顔をしているのか見当がつく。不服そうに頬を膨らませているのだろう。


「あんたほんとドジよね、ボールくらい避けなさいよ」


 呆れているのと心配しているのが混じった声が背後から聞こえた。


「死角からの不意打ちだったんだ、無茶言うなよ」


 教室に着き、フラフラな頭で自分の席まで歩く。

 僕が席に着くと、ユキもならって隣に座る。


「蔵雅」


 つんとした横顔。


「え、なに?」

「ここ」


 ユキは自分の頬をとんとんとつつく。

 自分の頬を触ってみると、指先に血がついた。


「おっと、ハンカチかティッシュ持ってない?」

「いやよ、自分の使いなさいよ」


 開いた窓から透き通った風が吹き込んできて、ユキの前髪をそっと揺らしている。気持ちのいい風なのに、ユキは張りつめた表情のまま外を見ていた。爽やかな夏の風も、彼女の不機嫌を解いてはくれないようだった。


「あの、ユキ。ひょっとして怒ってる?」

「怒ってる」


 顔を覗きこむ仕草をすると気づいたユキがふん、と鼻を鳴らす。


「なんであんたは怒らないわけ? 目に怪我してたら大変だったじゃない。もしそんなことになったら――」


 そこまで言うとユキはこれ見よがしに項垂れてため息をつく。


「はあぁ~、昔のあんたは今みたいに自暴自棄じゃなかった。昨日だって無茶な戦い方して――」

「ユキも昔は怖がりでよく泣いてたのにね」

「なっ!?」


 僕の言葉にユキはあわあわした顔を向けてくる。


「あたし泣いたりしてない、人の過去を勝手にねつ造すんな」

「ねつ造? 事実だよ」

「ちょ、ちょっと、友達の前でそういうこと言わないでよね。だいたい、あたし泣き虫じゃないし」

「そうだっけ? ほら、小学生の時。トウモロコシ畑に幽霊がいるか確かめようとした時なんてさ――」


 そこまで言うと、バッチーンと思いっきりビンタを見舞われた。


「いって! ちょ、痛いから! そこさっきボールぶつけられたとこ、奥歯イったよ今!」

「うっさい! 今の話、他の人にしたら殴るわよ!」

「わかったわかった、過去の笑い話より奥歯が大事だ」

「バカ、最低」

「悪かったって。いたた」


 それきり、僕たちは話さなかった。

 特にすることもなかったから、僕は空を見ていた。窓の外では色濃い青空の中で白い雲が膨張を続けている。見ているとそのまま吸い込まれそうだった。


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