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雲の狭間にある光  作者: WAKA
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翼を得る

 ズキン、と胸が痛んだ。

 隣人が気軽に家に入ってくるように、この痛みは私を襲う。体が締め付けられて、息がうまくできなくなる。肺が濡れた雑巾に感じられ、呼吸がうまくできない。瞼を閉じて様々な考えを思考から押し出す。医師に言われた通りゆっくりと息をする。


 驚くことが立て続けに起こったから、ちょっと体がびっくりしちゃってるだけ。落ち着いて、ゆっくり息をしなくちゃ。そう言い聞かせる。


「ユキ大丈夫? 顔色悪いけど」


 だめ、あんたには知られたくない。


「平気よ、ちょっと疲れただけ」

「そう?」

「そうよ、家に帰って寝れば治るわ」


 静かで冷たい声。自分のものじゃないみたいな声だった。

 呼吸が落ち着いても、しばらく蔵雅を見ることができなかった。今は蔵雅の温もりがたまらなく嫌で、同時にたまらなく欲していた。


「私は大丈夫」


 蔵雅には聞こえないように呟いた。そうすると、少し気が楽になった。


・・・・・・・・・・・・・・・・


 旧日本帝国海軍の空母には格納庫から甲板上へ戦闘機を押し上げるエレベーターがついていたが、洞窟にも同じ原理のものがあった。僕たちはボタン一つで飛行機を地上に出すことができた。上がった先は校舎裏の竹林だった。

 そうして数時間後、僕たちは蛍火と呼称された飛行機を飛行部専用の格納庫に運び込んでいた。


「どうユキ?」

「う~ん、なんていうか。ユニークな飛行機ね」


 一通りの機体チェックを終えたユキが、手にしていたクリップボードに目をやって言った。解せないといった風に目を細め、頬を膨らませた。ユキが頬を膨らませるのは、怒っている時と難題に直面した時だ。


「双発エンジン、それと底部の回転翼は二階堂重工のものなんだけど・・・・・・見たことない機番なのよ」

「機体が機体だからね。馬力ってわかる?」

「ぱっと見だけど、二千近くいくんじゃないかしら」

「二千か、優秀な機体だ」

「シリンダーの数と大きさにもよるから、おおよそだけどね。速く飛べるかは別よ? エンジンが立派でも機体強度がなければ空中分解するし、底部のプロペラのせいで空気抵抗は増えるはずだし」


 シャーペンの柄で頭を掻きながら困り顔だ。

 ユキは飛行部の整備や通信手としての腕前に秀でている。一通り整備経験のある彼女だが、初めて見る機体にどう対処すべきか悩んでいる様子だった。


「機首と両翼に二十ミリ機関銃が計四挺と、胴体下面に七十五ミリ砲。コックピット周辺の防弾性は申し分ないわ。一式と違うのは光像式照準器とトランジスタ型の無線機、後はレーダーがついてるの。複座式の理由は通信士が乗り合わせるためだと思う」


 言われてみると、機体の前部と後部に鹿の角のようなアンテナが見えた。


「サビ具合から見て、たぶん第二次世界大戦当時のものだけど――」

「損傷、というか風化の原因は時の流れ。状態から見て飛行回数はゼロですね」


 コックピットから顔を出した葵衣が付け加えた。葵衣はるんるんしながら蛍火を整備してくれていた。


「ありがとう、葵衣って戦闘機の整備とかできるの?」

「科学者志望ですから」


 その答え方は質問と関係ない気もするが、黙っておいた。

 彼女にとって同世代の女の子達と気ままに遊ぶより、こちらの方が楽しいのだろう。自称科学者未満は満面の笑みで胸を張って言う。


「これも何かの縁。私は無所属ですので、よろしければお手伝いします。そこで寝っころがってる人よりは役に立ちます」

「ありがとう、助かるよ」


 葵衣の協力は有難い。それに今は気力を使い果たして倒れているけど、涼太には蛍火を運び込む時にだいぶ助けられた。


「ただちょーっと理解不能な部分もあるんですよ。ねえ、ユキさん」

「そうね。どういうことなのかわからないわ」


 うーん、と同時に唸りながら彼女たちは言った。


「おかしな設計とコックピットの水晶以外に、おかしいことあったの?」

「そうですねえ・・・・・・例えば縄文土器と一緒に電子レンジが出てきたら驚きますよね?」

「そりゃ驚くよ――え、この飛行機、そういうこと?」

「これ、動力は電気みたいなの。パワーソースは水晶で、これがリアクターの役割をするみたい」

「え!? なにそれ」

「ユキさんの言ってること本当です。この水晶から伸びる導線やエンジンをちょっと調べてみたんですけど、水素スタックらしきものがいくつか見つかりまして」

「あたしも信じられない。この戦闘機は完成から一世紀経って尚、未来の乗り物ってことよ」

「百年前のエコ戦闘機ですねぇ」


 年の若い僕でもレシプロ機に搭乗する以上、あの時代のことは多少なり知っている。

 資源に乏しい日本は発想と閃きで僅かな材料から傑作を作りだした。敵国が数で来たから、個の質を高めるしかなかった。決して表に出なかった秘密兵器も数多く存在する。蛍火はそんな兵器の一つであるのかもしれない。


 機体を見ていると、蛍火も僕を見ているような不思議な感覚に襲われた。


「励んでいるね」


 やあやあと言いながら隅の暗がりから先生が歩いてくるのが見えた。それを見たユキたちは頭を下げる。僕もそれにならって、挨拶をした。


「こんばんは、宮里先生」

「おや、我が部の戦闘機は無くなったはずだけど。片桐くん、これどうしたの?」

「拾いました」

「そうかぁ、拾ったのかぁ。盗んだんじゃなくてよかったよ、君は予測がつかないから」


 先生はいつもこんな調子だ。

 飛行部顧問である宮里先生は還暦を迎える年齢であるが、自ら定めた戒律に厳しい人でそれ故に力強かった。脳溢血で倒れても意地を通して教壇に立ったこともある。普段は好々爺を思わせる先生で、生徒からの人気も高い。


「陽が沈んでも過ごし易くならないね。汗はかくし虫は多いし、夏はまいるよ」

「冬は関節が痛いし、輝きがないから嫌いと言ってましたけど」

「ああ、そうだっけ。この年になるとどの季節もあたりさわりがない、嫌なところばかり見えるからね」


 先生はよっこっらせ、と格納庫のベンチに腰掛けながら言った。


「昨日の大会の主催者からお呼びがかかった。一週間後に再びメーティス搭載機と勝負できるよ」

「本当ですか!」

「戦闘機がないから断ろうと思ったが、君はなんとも・・・・・・運に見放されないと言うかなんというか。もう予算もないし、名を上げるのはこれが最後のチャンスだね」

「出ます、この飛行機で出ます」


 僕の言葉に女子二人がずっこける。


「この飛行機を全盛期に戻すのがどれだけ大変かあんたわかってる!?」

「無理です! 整備だけでも時間かかるのに来週に飛ぶなんて!」


 慌てた整備士二人から猛抗議を受けた。大昔、圧政に耐えかねた市民が蹶起を起こした際もこんな顔をしていたに違いない。


「まあ、一応機体の登録はしておいてあげるよ」

 

 先生は二人をまあまあと宥めながら言った。


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