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馬術の訓練は多岐に渡り、馬の負担が少ない乗り方、バランスを崩してから立て直す方法、馬の動きを邪魔しない乗り方、果ては被害の少ない落馬の仕方まで。
日々の旅に加え、こんなことをやっている私。当然身体中ずたぼろ。泣きたい。そんな私の心の支えは、暖かいお風呂。
例え、体中痛くてお湯が沁みようと、入ったら溺れそうなほど体力が尽きていようと、それでも入りたいお風呂。だって日本人。魂に刻まれたお風呂好き遺伝子が、お湯につかるのを渇望するのです。
この世界、日本人のソウルフードの三種である、お米・醤油・味噌が全滅なので、食に期待は持てない。せめて芋を薄く切って揚げて塩振って食べる、くらいのことは出来ないかと思ったけど、そもそもこの世界で油って、ごま油とかで、食べ物というより薬品や化粧品に近い位置にいるみたい。
量だってそんなに多く取れないみたいだし、菜種だのオリーブだのはないみたいで、一説には食べるという地域もあるらしいね、程度の認識しかない。旅先で出るのは殆ど煮物。
と、なると当然、揚げ物、炒め物は皆無。野営のときなんて更に凄くて、毎回、なんかの粉をそこらへんの草と、薄く削ぎ切りにされた干し肉を少し入れて煮たもののみ。味なんてなくって、正に生きるための栄養摂取でしかない。
死ぬほどお腹が減っているというのに、最大の調味料・空腹を以ってしてもおいしいと思えない食事がこの世にあるとは。命に関わるからと、塩だけはきっちり入っているのが辛うじて、この物体を食べ物に昇格させているけど。
因みに、お出汁とか、煮干といった文化はこちらにない。素材の味そのままにも程がある。しかも甘みない。えぐみ強い。青臭い。地球の品種改良の成果を実感した。
パサついておいしくないじゃん、これで五百円とか詐欺だ、とか好き勝手言って、農家の皆さんごめんなさい。あなた達の作る野菜や果物は、本当においしかったです。甘くないとか嘘です、物凄い甘露でした。
食道楽の私には絶望しかない食事のため、残るはお風呂しかないのだ。けれど、当たり前ながら、野宿の最中は、お風呂なんてない。川で水浴びするには寒い時期なので、大抵は水を固く絞ったタオルで拭く程度になる。でも、拭いた後に落ち着く先は土の上。何か、拭いた瞬間から汚れが付いてる気がする。そもそも、お風呂って、綺麗にしたいってのもあるけど、それ以上に、お湯に浸かるという行為が重要なのであって。
そんな状態だと、身体拭くより疲労の方が勝つ。少し拭いただけで力尽きて寝てしまうため、正直皆様にお見せできないほど酷かったと思う。流石に哀れになったのか、神官がお湯で絞った蒸しタオルを作って、私の頭をわしわしと拭いてくれた。
あれは、思わず意識を飛ばすほど気持ちよかったけど、赤の他人に汚れまくった頭を触らせるなんて、最初に乙女成分を根絶させられてなけりゃ、考えられない状況だったね。寝落ちした私が起きた時に見た、神官の微妙な顔。視線を私から逸らし、何か口の中でもごもご言ってたけど、聞いても決して教えてくれなかった。どうせ、聞いたらむかつくようなことだろうから、いいんだけどね。ふんっ。
二週間ぶりにお風呂を用意してくれるお家にたどり着いた時の感動は、もう言葉に言い表せない。私、この人 ――泊めてくれた村長さん。奥さん亡くして後添い募集の推定七十歳程度―― と結婚してもいいと思ってしまったくらい。
お風呂様に、うっとりとした眼差しを向けていた時の、旅のメンバーの「頭狂ったかこいつ」と言わんばかりの冷ややかーな眼も、その時ばかりは気にならなかった。お風呂に住み着きたいくらいの勢いだったからね。周りなんて見えなかった。
それからも、お風呂があったりなかったりの生活を続け、毎日何とか旅をしていたんだけど、ある日ある時、大ピンチ発生。
それは、あれだ。私が性別女であるからして。元々ストレスや疲れによって、不順になりがちだったため、数ヶ月近く訪れなかったあれ。つまり、生理。
うん、私、長年お付き合いがあって慣れている間柄ではあるけれど、それは、現代社会の便利な道具あってのこと。吸水性ポリマーとかないこの世界で、どうすべきかなんて分かんない。
元々着替えなんて最低限。それを、川で洗ったり、泊めてもらった先で洗ったりしながら、大切に使いまわしている。そんな沢山の着替えなんてないわけです。
しかも、マリエちゃんいなくなってから旅のメンバー、全員男。こちらでどうするのかなんて聞ける人いない。
取り敢えず、布をかき集めて敷いてみるけど、馬で揺られてる私は、痛いし辛いし漏れないか心配だしで、挙動不審に。布の量的にも、休憩回数的にも、そんな変えられないしね。
何とか初日を乗り切った日、夜中に川までこっそり洗いに行った。危険なのは勿論分かってる。分かってるけど、どうしようもないじゃん。布ないし。血の汚れなんてただでさえ落ちにくいのに、洗剤なんてなければ時間も経ってる。使い捨て出来ないんだから、行くしかない。
そんな訳で、動きたくもない最悪な体調の中、一人抜け出す私。一応、今では練習がてら一人で乗れるようになった、私のお馬さんをナイトに連れていったよ。川で洗濯しつつ、大きな桃でも流れてきてくれないかな、とか思う。もし来てくれたら、きびだんごつくって私の代わりに鬼退治頼むんだけどなぁ。黄な粉だって、大豆はあったから、頑張って作っちゃうよ!
とりとめもない事を考えつつ、じゃぶじゃぶと洗っていると、お馬さんがぶるる、と後ろを向く。つられて見ると、いつの間にやら近付いていた神官姿。
「……何をなさっているのですか?」
「ちょっと川まで洗濯に……」
何故か神官は明かりを持ってこなかったみたいで、その表情は見えない。見えないだけに、その冷え切った鋭利な刃物のような声が恐ろしかった。
「こんな時間に? 一人でわざわざ出歩くような大事なことだったんですか?」
「……」
黙り込む私。血塗れの布を知られるのが恥ずかしくて、夕方の水浴び ――何かあったらすぐ対処できる位置に誰かが付いててくれる―― の際に、洗わなかったことを責められているのは分かる。でも、洗うのに時間掛かるんだもの。
「夜は、夜行生物がいて危ないのは知っていますよね?」
「……はい」
「貴方に何かあったら、世界中の人々の希望が失われると分かっているのですか?」
「………はい」
「明日には宿に泊まれるというのに、一日くらい我慢して、周りを不安にさせないようにしようとは思えなかったのですか? 人を心配させるのは楽しいですか?」
暫く、大人しく黙って聞いていた私だが、その言葉にぶちんと切れた。
「……何よ! 毎回毎回、ことあるごとに、私がいなけりゃ世界がピンチだって。何度も何度も耳たこなんだから、分かってるわよ! しょうがないでしょ、もう布ないんだから! 洗って少しでも乾かしとかないとどうしようもないじゃない!」
「マ、マリー様……?」
「あんたが気にしてるのは、私じゃなくて世界を救う存在でしょうが! 私がいなくなって私の世界がどうなったって構わないあんたたちのことだもんね、私なんて更にどうだっていいわよね!」
日頃の不満をまくし立てる。
「マリー様! 落ち着いてください」
「うっさい! 私だって、動かなくていいなら動きたくなんてないわよ、お腹痛いんだから! でも、しょうがないじゃん、今日一日で終わるようなもんじゃないんだから! 私せーりなの! ナプキンないから代わりに使ってる布洗わないともうないの! どうしたって必要なの! 分かったら、さっさと帰れー! ハウス!」
もう、やけだった。恋人でも家族ですらない、もっといえば友人関係すら築けていないような男性に、自分の体調を教えるとか、普段なら絶対出来ないことを大声で怒鳴った後、犬に命令するように追っ払った。
が、犬より聞き分けの悪い神官は、戻ることなくこちらをじっと見つめてくる。それを無視して残りを洗おうとすると、後ろの影がすっと動いた。
「……失礼します」
「え、は……?」
あろうことか、やつはびちゃびちゃに濡れた布たちを手に取った。ひとの、デリケートな、肌に、直接、当てる布を、だ!
「ちょっ……、まっ!」
あわてて取り戻そうとした私を制した変態は、しかしすぐに返してくれた。……汚れもなく乾いた状態で。
「本来、洗濯に使うような力ではありませんが、まぁ、事情が事情ですので……。さ、戻りましょう。手綱は私が引きますから、お乗りください」
「……っ!」
ごめん、悪かった。虫関連以外、乙女成分は死滅したって言ってたけど、あれ、嘘だったわ。
残ってた。うん、結構残ってた。残ってたから、謝るから、誰かあの変質者の頭蓋骨取り出して、常識とか恥じらいとかそういったものを詰め込んでやって! 他人の布ナプ、勝手に見るな触るな洗うなって言ってやってぇー!
ふざけんな! どっかで乙女心買ってこい! そして研究しろ、このど変態ー!!! わぁ、便利~、と、どこぞのテレビショッピングのように両手をパーに広げて大げさに喜ぶとでも思ったか!? 思ったのか!? 思ったんか、このこんちくしょー!!!
布を手にぷるぷる震える私に気付いたやつは、心配そうな声音でいいくさった。
「あぁほら、すっかり冷えてしまいましたね。補助いたしますから、お乗りください。さぁ早く戻りましょう。火にあたって暖まらねば」
そうして、私を抱き込むようにして馬に乗せた後、宿へと馬首を返した。
やつを突き落とそうとしなかった私を、誰か褒めていただきたい。




