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救世主様は、ご自身には戦う力はございませんでしたが、傍にいるものの力を増す作用がありました。救世主様の応援があると、我々は、いつにない力を発揮することが出来たのです。
救世主様の我々に向ける純粋なお心が、世界の祝福を受ける触媒となっているのでしょう。そして、その恩恵を受けるのは、我々、旅の同行者だけではなく。
我らの足となる馬は、当初、適度に入れ替える算段となっておりました。乗り潰すというほど急ぐつもりはありませんが、交互に二人乗りをさせる訳ですから、途中で休ませねばならない個体が出てくることは、今までの経験からいって、ほぼ確定でした。
しかし、救世主様は、ご自身がどれだけ疲れようと、自ら馬の世話をなさいました。優しく声を掛けられ、手ずからブラッシングされたのです。毎日、丹精込めて世話をされた馬達は、普段より速く、長い時間を楽に走りきりました。
また、救世主様の通られた道は、他より多くの植物が咲き育ちました。救世主様がお泊りになられた村は、数年の間、過去類を見ないほどの豊作が続き、病人も出ない奇跡の地となったのです。
そのようにして、救世主様は、各地を活性化させていかれました。
「ケイリーさん、フェルさん、フランツさん、お怪我はないですか?」
救世主様は、戦いの後、必ず我々に怪我がないかをお尋ねになりました。どんなに楽な戦闘のときも、心配を顔中に貼り付けて、我々を見て回ります。救世主様にとって、争いといったものは遥か遠い世界の物語なのでした。誰かに返り血が少しついている程度でも、顔を真っ青になさるのです。
それこそ、初めてケイリー殿が怪我を負った際など、ほんのかすり傷にも拘らず、倒れそうなほどでした。いつもなら、放っておいても治る、と水を掛ける程度で済ますケイリー殿が、涙目の救世主様の迫力に負け、大人しく手当てを受ける様は、彼を知る騎士仲間からは信じられないことでしょう。
我々は、少しの怪我も負わないよう、細心の注意を払うようになりました。
戦うこと、争うことを知らない救世主様。穢れなき神の御使いのようであり、なにものからも守らねば枯れてしまう繊細な花のような救世主様のことを、私は知らず知らずのうちに、自分とは違うもの、と位置づけてしまっておりました。
救世主様が、一人の人間であること、見知らぬ世界で不安を抱えていることを見逃してしまっていたのです。
旅をして、二、三ヶ月も経った頃でしょうか? 救世主様が、野宿の最中、一人抜け出されたことがございました。初めは、花摘みにでも参られたのだろう、と思っていた私でしたが、なかなかお戻りになりません。気配を辿ってみると、救世主様は結界の外、川の方まで行っていることが分かりました。
私は、己の迂闊さを呪いつつ、すぐに救世主様の元へと駆け出しました。もし、救世主様に何かあったら。心身を損なわれる事態が起こったら。止まらない震えを必死に抑え、ひたすら救世主様を目指しました。
「――ひっとつ~ わったしに くっださいなー やーっりましょおー やっりまっしょおー こっれかっら おっにの~ せーばっつに~ ついて~ いっくなっら やっりまっしょおー っと」
救世主様の暢気な歌声に、肩の力が抜け、崩れ落ちそうになりました。救世主様と共にいた馬がこちらに気付いたことで、何かを川に浸しておられた救世主様も、こちらに振り向かれました。
一瞬きょとんとした後、しまった、と顔を歪められた救世主様を見て、安堵のあまり、怒りが込み上げてまいりました。
最初は、冷静に質問をしていたつもりの私は、大して危機感を持っていない救世主様に対し、失礼な言葉を投げかけてしまいました。救世主様が、ご自身の力を惜しむことなく我々に与えてくださっているのは知っていたのに。
車輪の正円の作り方、効率の良い計算方法、均一に磨耗する歯車の組み合わせ、衝撃の吸収方法など、異世界で培った知識も惜しげもなく披露し、少しでも旅の負担を減らせないかと尽力くださっていた救世主様。心優しき救世主様が、無闇に我々に心配をかけるようなことをするはずないと分かっていたはずなのに。
私の身勝手な思いから来る暴言を受けた救世主様は、泣きながら勝手な行動の理由を話されました。それは、私達旅の供が、当然弁えておかねばならないことであり、かつ、我々男性には相談しにくいものでもありました。
私は、愕然としました。
自分はどこかで、救世主様は救世主という、性を超越した存在の様に感じていたのです。ですが、今目の前にいる方は、一人の女の子でした。困ったことを相談できる相手もなく、震えながらどうにかしようともがいているか弱い存在だったのです。
それは当然です。神は、我々人間に、自分達の力で魔を滅するよう仰いました。それを受けて、我々が望んだものは、我々が魔を滅するための力となってもらえる自分達と等しい存在である「人間」だったのですから。
救世主様を守るために、旅に同行した私。けれど、それは、救世主様が救世主であることを守ろうとしていただけでした。救世主様の人として生ずる思いを見ていなかった私は、マリー・アントワネットという少女にとって、どれだけの負担となっていたのでしょう。
私は、泣きながら震える少女を掻き抱き、決意しました。この腕の中の存在を、何者からも守ろう、と。今度こそ、本当の意味で守ってみせる、と。
悲壮な決意だけれど、マリー自身が聞いたら「マリー・アントワネット」に笑いをこらえるので必死だろうな、とか。




