りんご
学校が始まってから1ヶ月。華那子も秋良も、直ぐに新しい環境に慣れ友達もできた。今では、前の学校よりもこっちの方が良い。とさえ思っている
『ごめんね、今日も遅くなりそうなの。夜ご飯いらないわ。お母さん居なくても大丈夫よね?』
受話器越しに響くのは芳美の声。芳美は仕事が忙しいばかりを口にするようになり、家にあまり帰ってこなくなった。
毎日訊かれる、お母さん居なくても大丈夫よね?。その問い掛けに華那子は笑顔を作り続けた。
お母さんの負担になってはいけない。お母さんを心配させてはいけない。その一心だった。
『じゃあね。』ギュウっと受話器を持つ手に力が入った。お母さん、寂しいよ。そんなこと、言えるわけがなかった。
華那子は張り付いた笑顔を少しずつ無表情に戻しながら受話器を置いた。
「お母さん、また帰ってこれないって?」
後ろから話し掛けてきたのは、帰ってきたばかりの秋良。うん。と華那子は小さく頷いた。
「凄い髪の色だね」
華那子は秋良の髪を指さしていった。秋良の髪は明るい金髪に染められていた。穴などあいていなかった耳には何個もピアスが光っている。
秋良は何も言わずに、優しい笑顔を作るだけ。
矢野哲の影響で、秋良の見た目は変わっていった。でも変わったのは見た目だけ。中身は何も変わってない。家事が大変だと思うときは必ず手伝ってくれるし、気を使ってくれていることは華那子もよくわかっていた。
芳美は秋良の見た目の変化に、最初こそガミガミ怒っていたが、仕事が忙しいのか、それとももう諦めたのか。秋良に関して一切何もいわなくなった。
秋良もそれを寂しいとは思わなかった。うるさい小言を聞かなくて済む。その程度に受け止めていたのだ
部屋中にインターホンの呼び鈴の音が鳴り響いた。秋良がドアを開けると立っていたのは、矢野哲。
お邪魔します。家にあがった哲は華那子を見つけると途端に笑顔を作り、手に持っていたコンビニの袋を渡した。
「はい、お土産のお菓子だよ。」
ありがとう。お礼をいって受け取り直ぐにコンビニの袋の中身を覗く華那子を見て、哲は華那子の頭を撫でた。
矢野哲とその仲間たちは、よく家に来るようになった。学校からも近く、駅からも近い。大人の帰ってこないアパートは、溜まり場にするには絶好の場所だった。
華那子は、矢野哲が家にやってくるのをいつも心待ちにしていた。お菓子のお土産を持ってきてくれるから。それだけではない。むしろ、そんなものはなくてもいい。
ただ、会えるだけで嬉しいと思えるのだ。華那子はその感情がなんなのか理解もしないまま、矢野哲を待ち続けていた。
「哲くんって、どんな人なの?」
華那子の口からそんな言葉が出たことに、秋良は驚き作業していた手を止めて、華那子の顔をまじまじと見た。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんとなくだよ」
少し顔を赤らめる華那子を見て、秋良は、好きなの?そう尋ねた。しかし、華那子は顔の前で何度も手を振りそれを否定した。
否定すればするほど焦りが表に出て、その度に更に頬を染める華那子に秋良がフッと小さく笑った
「哲、かっこいいもんな」
うん――やっと頷き、ほんの少し気持ちを認めた華那子の顔は、リンゴのように真っ赤だ。
恥ずかしさと、胸にこみ上げてくるこの気持ちは一体なんなんだろう。考えてもわからなかった。もどかしくなり自分の部屋に走った。
バフッと布団に倒れ込み何度も頭を振る。矢野哲を想像しただけで胸に熱いものが溢れ出てくる
好きなの?―秋良の問いかけに戸惑う。
これが、好きという気持ちなのか。誰かを好きになるとこんなにも胸が苦しくなるのか。こんなにも得体の知れない熱いものが溢れ出てくるものなのか。
胸の奥がくすぐったくなるような感覚がもどかしかった。痒くて痒くて、でもそれが嬉しかった。