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茄子の花  作者: 隅田 ササ
小学校
4/7

新しい生活





慣れ親しんだ土地を離れ、新しい生活に芳美が選んだ場所は東京の新宿の街だった。


人の数、建物の長さ、空の低さ。華那子は初めて降り立った東京に息苦しさを感じていた。

駅から程よく離れた場所の綺麗なアパート。そこが新しい住処だ。


見た目は悪いが、中はとても綺麗だった。3LDK。文句など無かった。



華那子はもう父と離れた不安など忘れ、新しい新居にはしゃぎまわっていた。秋良は、都内の3LDKなんか贅沢過ぎる、と心配していた。



「お母さん、これからシングルマザーになるんでしょ?ひとり一部屋なんて要らないから、もっと家賃の安い場所にしようよ。」


「何を心配してるの。お母さん頑張るから、あんた達も今日からたくさん協力するのよ。」



芳美は、子供らしからぬ発言をする秋良に戸惑いながらも新しい生活に張り切っていた。芳美もまた、孝夫のことなど既に頭には無かった。これから女手一つで子供二人を育てていくんだ。考え事なんてしている暇はない。それに、ずっと憧れていた都内の暮らしだ。芳美の気持ちは高ぶっていた。



「私、この部屋がいい!」華那子は入口から一番近い部屋を選んだ。久しぶりに聞いた華那子の明るい声に、秋良の口元は自然と緩んだ。どれ?―華那子が選んだ部屋は、中はフローリングなのに、ドアは麩。なんだか不思議な部屋だった



「元々、畳の部屋だったのかな?」この部屋以外のドアは、部屋にあった洋風な造りだった。いい?―華那子が目を輝かせながら訊いてくる。秋良は迷うことなく、「いいよ。」と笑った


秋良はその隣を自分の部屋に決めた。その奥にはリビングがあり、更に奥にもう一つ、部屋があった。そこが芳美の部屋に決まり、各々に自分の部屋の整理を始めた。





その日の夜、秋良は眠れなかった。悲しくも寂しくもない自分の無の感情に戸惑っていた。華那子が足を止めた時、確かに秋良も見ていた。父の泣き顔を。


それでも何も感情が生まれなかったのは、自分が薄情な人間だからだろうか。どんどん空になっていく部屋の中、何も思わなかったと言えば嘘になる。しかし、華那子のように、寂しいとは思わなかった。


最初から無かったら良かったのに。―それが、一番最初に思った事だった。



後から取り上げられる幸せだったのなら、初めからそんなものは要らなかった。貧乏でもなんでも良かったから、家族で居たかった。


お金がありすぎたから、お母さんは、お父さんのことが分からなくなったんだ。お父さんとお金、どちらの方が大切だったのかを、分からなくなったんだ。


そんなことを考えているうちに、今度は面倒くさいと思うようになった。金に執着する母も、見栄に執着する父も。


もうなんだっていいから、華那子が辛くなるような事はやめてくれ。それだけを願っていた



幼い妹は自分が守らなければ―そう胸に決めて瞼を閉じた時だった。隣の部屋から鼻を啜る音が聞こえてきた。華那子?―秋良が隣の部屋を覗くと、華那子は泣きながら眠っていた。



胸がキュウと締め付けられるのを感じた。大人には大人の事情があるのかもしれない。金が大事なのはわかる。だけど、母の行動は、何を優先していたんだろう?


自分が社長婦人から堕ちていくのが嫌だっただけじゃないのか?子供の事を考えたら、もう少し離婚を留まっても良かったんじゃなかったのか。


華那子は、お父さんが大好きだったのに




涙を流しながら眠る妹を見るのは辛かった。しかし、終わってしまったものに期待するのも時間の無駄だ。これからは自分が一家の男として、華那子と母を守らないくてはいけないんだ。


まだ幼い秋良の心にズッシリと重い責任がのしかかった。





翌日から仕事に出掛けた芳美。芳美の代わりに家事をするのは子供達の仕事になった。

芳美は暇を見つけては、華那子に料理を教えた。華那子も何かを諦めたのか、吹っ切れたのか。素直に芳美の言うことに相槌を打ち、一生懸命料理を覚えた。


芳美は華那子に、沢山の料理本を買い与えた。次第に華那子は家の家事を完璧にこなすようになった。


掃除洗濯は当たり前、料理も踏み台を使ってキッチンに立った。

秋良も手伝える事は手伝った。新しい生活はそれなりに楽しいものだった。


家族3人で、力を合わせて暮らしていた。





冬休みが終わり、華那子と秋良は明日から新しい学校に通う。華那子は小学四年生に。秋良は中学生に。


「いい?苗字は染谷じゃなくて、隅田よ?隅田華那子。わかった?言ってみて」


「隅田 華那子」



芳美は何度も華那子に新しい苗字を教えた。絶対に染谷と名乗ってはいけない。と、口を酸っぱくして何度も華那子に言って聞かせた。



華那子はなんとも言えない感情を抱いた。今まで自分は、染谷 華那子だったのに。今は、違う。今までの自分はなんだったのか。これからの自分は一体どんな人間なのか。考えるだけで頭が痛かった


この頃からよく見えるようになった華那子の情緒不安定な部分に、芳美は少し気を止めたが、仕事の忙しさもあり見落とし気味だった。と、いうよりは、あまり深く考えていなかったのかもしれない。


慣れない環境に、少し時間がかかるのだと。






「お兄ちゃんが学校にいないなら、行きたくない」



朝、わがままを言い出す華那子に、時間がないから秋良お願いね―そういって芳美は先に家を出ていった。


「すぐに友達できるよ」そんな気休めの言葉など華那子にはなんの安心も与えなかった。



「帰り、迎えに行くから。約束」それでも華那子は、玄関で膝を抱えながら下を向いたままだ。ふう―と深呼吸をした秋良はしゃがみこんで言った



「頑張ったら帰りにお菓子買ってあげる」その言葉に、華那子は半信半疑な表情で顔をあげた。本当に?―そう訊く華那子に秋良は笑った。


「俺は華那子に嘘つかないよ。行こう」


華那子の顔から、不安は消えなかったが、なんとか立ち上がってくれた。小学校まで送ると、校門の前で華那子が足を止めた。


「中まで一緒に行こうか?」意外にも華那子は、秋良のその提案に首を横に振り、大丈夫、と言った。




自分から秋良の手を離した華那子は、いってきます、と不安いっぱいな顔に無理して笑顔を作り、校舎へと歩き出した。



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