室町時代の古文を現代風に通釈してみたwww
<あらすじ>
次期天皇の最有力候補だった王子は、日本政府の計略によって兄弟との継承争いに敗れる。王子は失意の中、何をするにしてもやるせない毎日を送っていた。
作者不明『太平記』
ある時、総理大臣の邸宅で、大臣や官僚達がたくさん集まってコレクションの品評会が開催された。首相の持ってきた絵画は特に見事だった。
源氏物語の絵で、絵の中で光源氏の息子のカヲルが秘密の女子会を覗き込んでいる。そうとは知らずに娘たちはお琴を弾きながら女子会を楽しんでいる。そのとき、突然雲にかくれていた月の光が明るくなって、彼女たちは扇の代わりに手に持っていたバチで顔を隠して、まぶしそうに目を細めた。
そんな一瞬の情景を切り取ったこの絵。テクニック面は言うまでもなく、そこに描かれている娘たちの洗練された美貌が王子の胸を突き刺した。これが「萌え」という感情なのだろうか?王子はしばらくの間その絵を貸してくれないかと申し出た。ここのところ塞ぎこんでいた王子のこの申し出を首相は快諾した。
家に持ち帰って、王子は何度も何度も繰り返しその絵を見直した。しかし初めて見たとき以上の感動はもう訪れない。しょせん二次元の絵に過ぎないのだと考えると、かえって情けなくすら思う。
前漢の武帝も死んだ愛妻の肖像画を見て、「何も喋らず、微笑まず、ただ絵の中に居て、悪魔のように私を苦しめ続ける」と悲しんで彼女の絵を破り捨てたというが、そんな武帝の逸話も、今の王子には同情することができた。
『我ながら情けない。実物の女でさえ、どんな美少女でさえも、いつかは幻滅するというのに。僕はいったい何をしているんだ?こんな絵の中の女に何を期待しているというんだ?そういえば紀貫之が六歌仙の一人、僧正遍照の和歌を批判して、「技術はあるけど中身が薄っぺらい。絵の中の女のように、薄っぺらい」とボロクソにこき下ろしていたっけ?そうだ。まさにそれじゃないか。こんなの薄っぺらいただの絵じゃないか!』
王子は自暴自棄になって、絵を破り捨てた。
それでも怒りはおさまらず、激情が胸を支配する。果てしなく憂鬱な不満が王子を苦しめ続けた。華やかな社交界の貴婦人たち、彼女たちとの秘密の情事でさえ、王子の孤独を慰めることはなかった。彼女たちとの夜でさえ無駄だったのだ。ましてや両親が持ってくる縁談の相手に何を期待できるというのか。王子はすべての縁談を断った。
パーティーの招待状に断りの返事を書きながら、『せめて…』と王子は考えた。
『せめて、相手が実在する女性だったならよかったんだ。源氏物語なんてフィクションの登場人物でなければ、いくらでもハッピーエンドを迎えることができたんだ。落ちぶれたといっても、僕は皇族だ。おまけに王位継承争いに敗れた邪魔者ときてる。僕のこの片思いの相手が、実在する女性だったなら、いくらでも身分の格差をぶち破って、結ばれることができたんだ。でも僕は、おとぎ話の、絵の中の女性に、叶わぬ恋をしてしまったんだ---!』
王子は皇居を飛び出して、京都の下鴨神社に向かった。『日本書紀』の中で神武天皇に道案内をした八咫烏がそこには祭られている。王子が旅の目的地にこの神社を選んだのは偶然ではない。王子は八咫烏に救いを求めたのだ。
神社に入る前に、御手洗川という湧き水の流れる川で身を清めるのが昔のならわしだった。ここで俗世の穢れを洗い流して、はじめて境内への入場が許されるのである。王子は一心不乱に、体ごと川に飛び込んだ。そして、飛び込んだ瞬間、王子は見た。
生からも死からも、天国からも地獄からも、天使からも悪魔からも、すべてから開放された世界を。それはこの世に絶望し、断崖絶壁から身を投げ出した一人の自殺志願者が、死ぬ直前に一瞬だけ見ることが許される類の、そんな世界に違いなかった。
川にプカプカと浮かびながら、『果たして神に今の光景が理解できるのだろうか?』と王子は疑問に思った。そして神社に行くのをやめて、そのまま川遊びをして一日を過ごした。びしょ濡れになって、途中から降り出した夕立もたいして気にならなかった。
「もうとっくに日は暮れてしまいましたよ。そろそろ今夜の宿を探しませんか?」
と王子の取り巻きの一人が言ったので、タクシーを捕まえて、京都の郊外をドライブした。当然のことながら、この辺の名家はだいたいが王子の古い知人や遠い親戚にあたる。たとえ事前の連絡なしに突然王子が訪問したとしても、彼の宿泊を拒む家はなかった。そうして王子はとある邸宅にたどり着いた。
とある邸宅、というのも、その家の持ち主の男の名前が王子にはどうしてもピンとこなかった。それなりの権力者ならば、王子もすぐに思い出せただろう。
家の広さに比べて内装がこじんまりとしていることからも、遠い昔に没落した貴族の邸宅に違いなかった。
王子が殺風景な廊下を歩いていると、ある部屋からお琴の音が聞こえてくる。
どうやら誰かが琴の練習をしているらしい。
『いくら貴族だからって、いまどきお琴の練習とは珍しいな』
と思いつつも、演奏されている曲名が分かってしまう自分が王子にはおかしかった。
『さて、どんなバアさんが弾いていることか』
王子は音のする部屋にこっそりと近づいて、遠くからそっと部屋の中を覗き込んだ。王子が憧れたあの絵、忌々しいあの絵の中のカヲルと今の自分が全く同じ姿勢になっていることに、王子自身はまだ気づいていない。
部屋の中では、17、8歳ほどの女子高生たちが、お師匠様からお稽古を受けている。実にくつろいだ様子で、「もうすぐ秋も終わってしまうわね」なんて世間話をしながら琴を弾いている。彼女たちが奏でる琴の音色、部屋に差し込む月の光、彼女たちの美しい横顔、一人の娘がふと、まぶしそうに目を細めたとき、そこではじめて王子は戦慄した。
あれほど恋焦がれた情景が、いつの間にか、現実になっていたのだ。