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小さな太陽  作者: 青砥緑
6/8

その6

 星祭り当日の朝。いつも通り朝食を済ませるとセオドアとチェスターは二人とも朝は仕事がないらしく手持無沙汰そうに居間に留まっていた。

「兄さん、早くアンナのところに行かなくていいの?聞いたよ、オズワルドとの決闘の話。」

 セオドアは呆れたように「決闘なんかしてない」と言い返した。

「えー、そうなの?でも何かあったんでしょ。」

「いつもの奴だ。また絡まれた。」

 片付けながら居間を行き来するミモザには断片的にしか話が聞こえない。けれどチェスターが言ったセオドアの決闘とアンナという言葉は聞き取ることができた。またあの子の話なのかと少し苦く思うと同時に、話の流れがひっかかった。

「待ってると思うよ、アンナ。早く行ってあげればいいのに。」

 これではまるで、アンナはセオドアが好きなように聞こえる。それにチェスターの口ぶりではセオドアも憎からず思っているようだ。


(あ。なんだ、じゃあ。あの日のクッキーって。)


 もしかして、セオドアのためにアンナが作りたいといったのをチェスターが助けてやっていたのかもしれない。だから彼ら二人を台所に残して出て来てしまっても良かったのだ。そう思っただけでミモザの心は驚くほど明るくなった。思わず「ふふ」と小さく笑い声を立ててしまって慌てて周りを見回したが幸い廊下には誰もおらず、聞き咎められはしなかったようだ。ミモザは台所に戻ると扉を締めてから「なあんだ。」と今度は少し大きな声で口にだして、少しだけ笑った。

 あの日のチェスターの行動も、言ったことも無かったことにはならない。それでもずっと胸に引っかかっていたアンナという娘の存在が、自分の思ったようなものでなかったと分かったら、やはり嬉しかった。


(ああ、私は馬鹿だなあ。喜んだりして。いつかは本当にチェットのお嫁さんがこの家に来るかもしれないのにね。)


 ミモザは自分の目に浮かぶ涙の理由がわからないまま、涙をそのままに朝食の片付けをすることにした。


 洗い物も残り少し。今日は、あとは簡単に掃除をしたらお暇しよう。ミモザがそんな算段をつけているところで台所の扉が開かれた。背中から呼びかけられて思わず振りかえってしまったが、入ってきた相手を見てすぐに顔を水場の方へ戻した。やってきたのはチェスターで、ミモザは自分が涙も拭わぬままだったことを少し歪んで見える彼の姿をみて思い出したのだ。涙を拭こうと慌ててエプロンで手を拭っているとチェスターが歩み寄ってきた。

「どうした?」

 気遣わしそうな声は、彼がミモザの涙に気がついた証拠だ。

「うん?なんでもないよ。お水?お茶?」

 それに気付かない振りをして、彼に背を向けたまま何の用かと問いかける。するとチェスターはミモザの肩に手を置いた。思わず振り仰ぐと心配そうに自分を見下ろしている彼と目があう。

「泣いてたの?」

「ちょっと泡が目に入っちゃっただけ。」

「両目に?」

 チェスターが目を眇めるとミモザは目を逸らしながらも「そうよ」と言い張った。頬に残る涙の跡をみてチェスターは不機嫌そうに片眉をあげてミモザを睨んだ。

「嘘だ。」

「本当よ。」

「どうして泣いたの。」

「泣いてないったら。」

 チェスターはミモザの言葉を理解しないように問いかける。最初は不機嫌そうだった表情が少し不安そうになる。

「僕のせい?」

「違う、違うよ。」

 昔、泣き虫だった小さなチェスターを励ましたり慰めたりする係りはミモザだった。彼の泣きそうな顔や不安そうな顔には弱い。思わずミモザは振り返ってチェットの腕を軽く叩いた。

「そんな顔しないで。大丈夫だから。」

「違うよミモザ。僕が慰めようとしてるんだよ。どうしてこうなっちゃうの。」

 心底困った顔でいうチェスターを見て、ミモザはぷっと吹き出した。確かにこれでは彼は形なしだろう。

「だって、いつもこういう感じだから。つい。うん、ごめん。」

「いつもって。まあ、そうかもしれないけど。」

 チェスターはまだ涙の跡の残るミモザの頬に親指を這わせた。

「そんな泣きながら笑わないでよ。そんなに僕は頼りない?」

 ミモザの頬を両手で包んだまま傷ついたように問いかけるチェスターにミモザはかけるべき言葉が見当たらなかった。彼は頼りなくなんかない。確かにチェスターは泣き虫だったけれど、今では町でも有名な気さくで優しい騎士様としてみんなに頼りにされている。でも、今ここでそんなことない、と答えたら彼はもう一度何で泣いていたのか聞くだろう。けれど、その問いにミモザは答えられない。


(いつかチェットがお嫁さんをもらうところを想像して勝手に泣いてたなんて絶対言えない。)


「大丈夫だから。」

 結局こんな言葉しかでない。彼の思いやりを拒絶するようなことを言って、傷つける。それが辛くてミモザは視線を落とした。頬に触れたままの彼の手が俯くことを許してくれない。

「嘘。」

 チェスターはじっと彼女を見つめた。ミモザは頑なに目を合わせなかったが、彼の手を振り払うこともしなかった。黙って俯いていると、ふと大きくて硬い両手が遠ざかる。


「ねえ、ミモザ。今年も星祭りはおうちで過ごすの?」

 急に頬から手を離したと思ったら軽い調子に戻って問いかけられ、ミモザはチェスターを見上げた。これは変な空気になってしまったけれど、いつもの調子に戻ろうという無言の合図だろうかとミモザもあえていつも通りを意識しながら答えた。

「う、うん。そのつもりだけど。」

「夜、迎えに行ってもいい?」

「は?」

 思いのほか大きな声が出た。自分はチェスターの合図を読み間違えていたようだ。

「僕これからずっと仕事で夜中まで帰って来られないから。話の続きもしたいし。それにちょっと別の用事もあるし。」

「今日じゃないといけないの?」

 仕事で疲れた足で夜中に来てもらわなくても、明日や明後日に会おうと思えばいくらでも会える。そう思って問い返すとチェスターは悲愴な表情を浮かべた。

「ミモザ!今日は星祭りだよ!今日じゃなきゃ駄目に決まってるじゃない。」

 叫ばれてミモザは目を丸くする。

「え?それ、関係あるの?」

「あるよ!」

 チェスターは「もう。ミモザはこれだから。」と何かぶつぶつ言っていたが、腰に手を当ててもう一度念を押した。

「とにかく。迎えに行くから大人しくおうちで待ってて。」

「うん。」

 チェスターに強く押されるとどうしても頷いてしまう癖は何とかした方がいい。後からそう思ってももう遅い。チェスターは「約束だよ」と言うともう一度ミモザの頬を撫でて「もう泣かないでね」と言って出掛けて行った。


(あ、クッキー渡しそびれた。)


 ミモザは台所の隅に残ったままの三つの包みを見てため息をこぼす。チェスターの分は今夜渡せばいいだろう。


(それにしたって、今夜って。)


 星祭りの夜。それは一番大切な人と過ごす時間だ。それを今夜じゃなければ駄目だというなんて、やっぱりあの日言っていた「好きな子」は自分だと自惚れてもいいのだろうか。今年の星祭りの夜を私と二人だけで過ごしてくれると期待が膨らんでしまう。


(ねえ、チェット。本当に?)




 その晩、ミモザは家族と過ごしながら何度も視線が窓の方へ行ってしまうのを止められないでいた。

「なあに、ミモザ。今日は落ち着かないのねえ。」

 日暮れと同時に飲み始めた母親はずいぶん酔いが回っていて鷹揚に笑っている。父親に至っては既に寝ている。毎年深夜を待たずに潰れて寝てしまう両親に今年だけは感謝する。夜中にでかけることを、どう伝えていいか分からずに言い出せないでいるからだ。

 やがてミモザの予想通り、母親も船をこぎ始めたので二人を寝室へ追い立てる。

「ほら、お布団で寝ないと風邪をひくわよ。」

「ミモザはすっかりしっかりしちゃって。」

「俺はまだ飲めるぞ。」

 ろれつも怪しい二人をなんとか寝かしつけて一息つく。もう一度通りに面した窓の前に陣取って、じっと見慣れた人影がやってくるのを待つ。寒い冬の夜。暖炉の灯りと温もりを頼りに待つ時間はとても長く感じた。もう、彼が来ないのではないかと思う程。

 濃紺の騎士の制服は黒い夜の闇に紛れて見分けにくい。それでもチェスターが家の前にやって来たときにミモザにはそれがはっきりわかった。立ち上がり玄関の扉をそっと開く。ノックするより前に開かれた扉にチェスターは目をぱちぱちとさせている。ミモザは戸を空けたものの何と声をかければいいのか分からなくてただ彼を見上げた。


(おかえりじゃないし、いらっしゃいでもないし。こんばんはっていうのもなんか違う。)


「お待たせ。出掛けられる?」

 結局チェスターから先に声をかけてもらったミモザは黙って頷いた。

「お父さんとお母さんもう寝ちゃったから。」

 だから何だろう。自分でそう思いながらミモザは玄関に用意していた外套をはおり帽子と襟巻で自分をぐるぐる巻きにした。冬の夜は寒い。

「よく転がりそうだね。」

 戸締りをしているミモザを待っていたチェスターは駆け寄ってくる彼女を見て相好を崩した。

「だって寒いじゃない。」

 すらりとした彼に並ぶと丸々と着ぶくれた自分が子供のように思えて恥ずかしい。ミモザが顔を背けたまま口を尖らすと、チェスターは「そうだねえ」と笑顔のまま相槌を打った。

「それで、どこに向かっているの?」

「え?うちだよ。」

 気がつかなかったかというようにチェスターが見下ろしてくる。いつもの道を歩いているのだから夜でも気がついてはいた。でも、なんとなく今日は違うところに行くのではないかと思っていたのだ。男爵もセオドアもでかけている家には火も入っておらずきっと寒いだろう。それに食事の用意もない。

 ミモザが黙っている間に二人は慣れたローズ家の玄関に辿りついていた。

 通り過ぎて来た家々から聞こえて来た楽しげな笑い声や調子の外れた歌声が嘘のように静かな家に入る。

「あれ、灯りが。」

 外からは分からなかったが居間に灯りが灯っている。

「男爵様、もう帰られているのかしら。具合でも悪くなられたとか。」

 慌てて確かめようと外套もそのままに居間へ入ったミモザはそのまま立ちすくんだ。

 居間の暖炉には火が入り、灯りも控えめながら灯されている。食卓の上には彩りのよい御馳走と何よりも大きな星の形のケーキが置かれていた。ケーキの上にさらに星型のクッキーまであしらわれている。食卓の支度は明らかに二人分。そして部屋には誰もいなかった。

「え。え?」

 訳が分からなくて振りかえると、チェスターがにこにこと笑っている。

「びっくりした?」

 ミモザの反応に満足そうにチェスターが問いかける。

「びっくり。してるけど。どうしたの、これ。」

「まあまあ。それはいいじゃない。さ、食べよう。僕まだ夜ごはん食べてなくて倒れそうなんだよね。」

 言いながらチェスターは手早くマントを外す。その彼をみてミモザはこれを全てチェスターが用意してくれたのだと納得した。マントに覆われて見えなかったけれど仕事帰りなら持っているはずの剣がない。足元も良く見れば普段使いのブーツで、制服とはちょっとあっていない。仕事が終わって飛んで帰って支度をして、自分を呼びに来てくれたのだろう。程良く温まった部屋は彼がそれだけ前に火を入れておいてくれたことを意味している。今日はとても忙しかっただろうに。そう思っただけでミモザは涙が出そうになった。


(どうしよう。)


 嬉しくて、嬉しくて。この食卓の意味を考えずにいられない。ミモザはいつもよりもたつきながら襟巻と外套を外し、帽子をかぶったせいで乱れた髪を気にしながら席についた。

「じゃあ、ミモザに幸せが訪れますように。」

 星祭りの決まり文句を言ってチェスターがグラスを掲げる。ミモザもそれに倣ってグラスを持ち上げた。

「チェットにも。」

 そう言って軽くグラスを打ちあわせると一口だけ口に含む。リンゴの香りがする甘いお酒だった。チェスターの趣味ではない。きっとミモザのためだ。それだけのことで先ほど押し込めた涙がまた流れそうになる。この調子では泣かずに食事を食べきれるか心配だ。

 きっと時間がなかったはずだ。そういう目で見れば料理は作っておけるものや、短時間で用意できるものばかりだった。これだけの献立を考えるのは大変だっただろうと思う。買い物はミモザがして、食材もみんな彼女が管理しているのに、彼女に知られずに支度をしなければいけなかったのだ。

「おいしい。」

 ミモザにとってはその日二回目の夕食だったけれど、何もかもおいしかった。

「良かった。我ながらいい出来だよ。」

 チェスターも笑いながら、素晴らしい食欲で並んだ料理を食べて行く。なんの話をすればいいのか分からなくてミモザは料理のことばかり話した。

「どうやってこれだけのものを私から隠していたの?今日のお昼に帰るときには無かったと思うけど。」

「それは内緒だよ。言っちゃったら次からもっと大変になるじゃない。」

「えー。けちね。」

 お酒の力も手伝って、いつものように話している内に緊張は薄れて来た。今日までの数日、ろくに話さずに避けていたことが嘘のようにこれまで通り楽しく話ができた。ミモザはふわふわと幸せな気持ちでいっぱいで、自分が浮かれていることすらおかしく思う。何を言われたわけでもないのに。


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