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小さな太陽  作者: 青砥緑
3/8

その3

「好きな子って私のこと?私のこと、好きなの?」捕まえて、そう問いたかった。けれど、できなかった。少し頭が冷えた今になれば、しなくて良かったと思う。彼の口から「君が好きだ」なんて改めて聞いてしまったら、もう後には退けないだろう。これからずっとその言葉に縋ってしまう。それは駄目だ。ずっと昔から分かっていたことなのだ。自分が女中である限り、雇い主の家族と男女の仲になってはいけない。それに、もし二人の思いが通じたして、どれほど男爵が身分に頓着の無い人で、チェスターは二男で、家はセオドアが問題なく継いでくれるとしても、騎士であり男爵家の息子の彼と、食堂の娘の自分はつりあわない。更に悲観的に考えればセオドアは前線に立つ騎士だ。もしものことだって無いとは言い切れない。そうしたらチェスターが家を継ぐことになるのだ。食堂の娘ではその妻は務まるまい。女中として、少し甘えても仲の良い幼馴染としてずっと傍にいると決めていたではないか。


(わかっていたけど、でもやっぱり難しい。)


 あんなことをされて、平気でいられはしない。少しでもチェスターが自分を女だと思ってみてくれるなら。その喜びを垣間見てしまったら、幼馴染として傍にいることのなんと辛いことだろう。彼がいつか他の誰かを愛し、家を出て行くのを見送らなければならない。そのためには、これ以上今の関係を変えてはいけない。だというのに、この一瞬の夢は甘美過ぎて心を挫けさせる。もう一度、チェスターに抱きしめていいかと言われたら、絶対に断れない。心は、本当はそうして欲しいと苦しいほどに願っているのだから。もし望まれて、一度でも彼に愛してもらえるのならば、それで良かったと思い出を抱いて生きていくことができるだろうか。

 ミモザは泊まり込みになるときのために使わせてもらっている部屋の隅で椅子に腰掛けて自分のひざ小僧を見つめていた。台所に行って夕食の支度をしなければならないのだが、どうしてもまだ台所に戻る気になれなかった。


 チェスターが何を考えているか分からない。けれど、ミモザの知っている彼は、ふざけてあんなことをするような人ではない。ミモザの知っている彼は、恋で遊べるような男でもない。それだけは信じて良いと思った。そうだとすれば、きっとこのままで終らせる気はないだろう。ミモザに話をしに来るはずだ。それまでに、心を決めなければ。チェスターがさっきのことは気の迷いだったと言っても、きちんと身を引いて昨日までの距離に戻る覚悟が必要だ。



 外から蹄の音が聞こえた。この時間に出掛けるのならアンナが帰っていったのだろう。これで少なくともその少女に鉢合わせする怖れがなくなった。どうせいつまでも休んでいる訳にはいかないのだからと、ミモザはのろのろと身を起して台所へ向かう。まだ天板の上にはたくさんの可愛らしいクッキーが並んでいるのをどうしても見つめてしまう。少しいびつな方がアンナの作ったものだろう。先ほどまではミモザを悩ませたアンナだが、たくさん並ぶいびつな星を見ている内に天涯孤独と聞いた彼女が幸せを願いたい相手がたくさんいるのかと不思議と心の休まる気持ちがしてきた。


(私まで、チェットみたいにお人好しになっちゃったみたい。恋敵かもしれないっていうのに。)


 ミモザは小さく笑って、急いで夕食の仕込みをした。今はチェスターには会いたくない。大急ぎで仕込みを終えて男爵様にだけ声をかけて逃げるように家を飛び出す。慌てた様子のミモザを見送ってくれた男爵は具合でも悪いと思ったのか「明日は少し遅くいらっしゃい」と言ってくれた。その言葉は有難かったけれど、ミモザなりに仕事に誇りを持っている。自分の心の揺れくらいのことで、休んだり遅れたりはできない。明日からは普通に戻ると自分に言い聞かせて、ミモザは凍える夜道を走って家まで帰った。



 翌日から、ミモザは務めてこれまで通りに振舞った。チェスターを目で追わないように気をつけて、彼に声をかけられてもびくつかないように気をつけて。そうしたら彼に会う機会がすっかり減ってしまって、いかにこれまで自分がチェスターの後ろを追いかけるようにしていたのか初めて気がついた。いつまでも子供のようにチェスターがじゃれてくると思っていたが、それも自分の同じくらい彼の近くばかりうろうろしていた結果なのだ。


(嫌だな。チェット、このこと気がついていたかな。今、避けているみたいに思われているかしら。)


 そう思いながらも、やはり彼から自然と距離をとってしまう。もしかしたら気が付いているのかもしれない男爵も、セオドアも、もちろんチェスターも何も言ってこないので不安ながらもミモザはなんとかこれまでの調子を取り戻そうと頑張った。


 星祭りがいよいよ迫ってきたある日、男爵に呼びとめられた。

「ミモザ。星祭りの日なのだけれどね。私とセオドアはアルフレドのところに行ってきっと朝まで帰らない。チェスターは夜警があるというし、君も昼食が終わったら後はおうちに帰って構わないから存分に楽しんできなさい。どうせ立派な朝食を用意してもらっても、私達は二日酔いで食べられないだろうから、朝も休んで構わないよ。」

 チェスターらの叔父にあたるアルフレドは近所に住んでいて、毎年家族を星祭りに招いてくれている。おかげ様でこの日はローズ家が無人になるのでミモザは毎年ちゃんと星祭りの日にお休みを貰える。星祭りは大切な人の幸せを祈る日である。大抵のお店は休みになるが大きな家ではどこも夜通し夜会が開かれて、コックや女中は大忙しだ。女中だというのにこの日に休みがもらえるミモザは幸運だといえる。

「はい。ありがとうございます。」

 いつもなら、チェスターからもらったクッキーを抱えて家で家族と過ごす。チェスターは騎士になって以来、この日は大抵仕事で酔っ払いの面倒に追われている。それを面白おかしく想像しながら一夜を明かすのがミモザの習慣だ。今年はクッキーをもらえていないけれど、それはもう諦めよう。


(でも、せめて自分の分はいつも通り焼いておこう。男爵様やテッドにも渡したいし。)


 今年はチェスターが誘ってくれなかったからすっかり準備が遅れていた。今日はもう遅いから明日の買い物のついでに材料を買って、家で作ろう。チェスター無しに自分の用事だけに主人の家の台所を使う訳にはいかない。


 翌日、珍しく自宅の台所を占拠してお菓子作りをする娘に両親は驚いたが、ようやく娘にも幼馴染の男と一緒に作ったものを渡すのではまずい相手ができたかと喜んで彼女の好きにさせてくれた。


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