表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな太陽  作者: 青砥緑
2/8

その2

 この国では星に神が宿るという伝承がある。一番夜が長い冬の晩には神への祈りが届きやすいとして、祈りを捧げるお祭りが毎年行われている。祭りの名前を星祭りという。この祭りでは、星の形をした食べ物を贈り合って相手の幸せを祈り、それから星が消えるまで夜通し飲み明かすのが習わしだ。

 ローズ家では夫人が健在であった頃から溢れんばかりに星型のクッキーを焼いていた。夫人が身罷られたあとも、チェスターがそれを引き継いで毎年クッキーを作っている。あまりに大量に用意するので当日では間に合わず、数日前から仕事の休みを使って準備を進める。彼は趣味が料理というだけあって、クッキーに限らず何でも上手に作ることができる。だから本当は一人でもできるのは分かっているけれど、例年ミモザはその手伝いをしていた。チェスターも当たり前のようにミモザを誘うので、もう十年以上ローズ家の星祭りのクッキーは二人の合作だ。そして毎年必ず焼き立ての一番をお互いに交換し合っている。ミモザにとって、ほんの少しだけ自分が彼の特別な存在であるように感じられる幸せな時だ。



 冬のある日、ミモザは買い物から戻ってくるなり焼き菓子の匂いをかぎつけた。今日はチェスターの仕事はお休みだ。何か作っているのだろうと思いながら台所へ向かう。


(星祭りには少し早い気がするけれど、この匂いはやっぱりクッキーかしら。ずるいなあ、私が帰って来てから始めてくれたらいいのに。)


「んー、良い匂い。チェット、もうクッキー焼いちゃったの?」


 大きな声で台所に声をかけると、すぐには返事がなく代わりにチェスターが出て来た。

「おかえり、ミモザ。」

「ん?何?お手洗い?オーブン見ておこうか。クッキーでしょ。今年は早いじゃない。」

 ミモザがそのまま台所に入ろうとするのを、遮るようにチェスターが彼女の手から荷物を受け取る。ミモザが手を真っ赤にして抱えていた重たい荷物もチェスターは片手でひょいと持ち上げる。

「兄さんが帰って来てるからオーブンは任せておいて大丈夫。それよりちょっとこっち。こっち来て。」

 荷物を適当に台所の入口に下ろすとチェスターは手袋をしたままのミモザの手を引いて廊下を進んで行く。

「なあに?なんかこぼしたの?」

 チェスターの進む方には納戸と使っていない客間くらいしかない。掃除道具でもとりに行くのかと声をかけると彼は廊下の途中で立ち止まった。暖房が届かない冷えた廊下でチェスターはミモザと向かいあう。そしてがばっと頭を下げた。

「ごめん!ミモザに先に聞いておけば良かったんだけど、アンナに料理を教える約束をしてて、今日クッキーを一緒に焼いてたんだ。」

「アンナって。あ、ああ。アルフレド叔父様のおうちに新しく来た?」

 ミモザは思いがけない言葉に面喰いながら記憶をひっくり返した。先日、セオドアが半年を超える遠征から戻ってくるときに、彼らの叔父の家に厄介になる娘を連れて帰ってきたと言っていた。身寄りがなく、頼れる人も他にないということでセオドアとチェスターの叔父が後見を名乗り出たそうだ。名前はアンナで、金髪に緑色の瞳の娘と言っていた気がする。年は今年で十九歳か二十歳か。一度叔父の家で会ったというチェスターが妙に上機嫌で帰って来て、とっても可愛い子だったと繰り返していたことまで思い出して胸の奥にぞわりとしたものを感じる。

「なんだ。そうだったの。」

 機械的に答えながら、胸の底のもやもやは大きくなるばかりだ。星祭りのクッキーはチェスターとミモザの言葉にしていない約束みたいなものだった。


(今年はチェットの一番がもらえるのは私じゃなかったんだ。)


 怒ればいいのか、悲しめばいいのかミモザは急に崩された日常に戸惑う。何も約束なんてしていなかったのだからチェスターを責めるのはお門違いだ。彼にとって、毎年最初に交換し合う幸せの祈りは特別なものではなかったに違いない。勝手にミモザがときめいていただけ。

 その沈黙をどう思ったのかチェスターは屈みこんでミモザに目を合わせて謝り続ける。

「アンナに家の台所を使わせるの、嫌だった?ミモザに聞く前に約束しちゃったから、もし嫌だったらごめん。次からフレッド叔父さん家のを借りるようにするよ。」

 ローズ家の台所は子供の頃、ローズ夫人と子供たち三人、ときにはミモザの母も加えて皆で楽しく料理を教わった思い出の場所だ。特に母親っ子であったチェスターにとって、母との思い出に満ちた特別な場所だということも知っている。今ではミモザの大事な仕事場でありミモザとしても思い入れのある場所だ。そこに今はミモザの知らない可愛い娘がいる。さっきまでは、まるでいつものミモザのようにチェスターとセオドアに挟まれて、星祭りのクッキーを焼いていたのだろう。思い浮かべるだけで自分の居場所を奪われてしまったように感じる。けれど、そもそもこの家の台所はミモザの仕事場であっても、ミモザのものではない。気遣いは有難いけれど、文句をいえる筋合いではないことくらいは分かる。女中ならば、こんなところで主に面倒をかけてはいけない。彼らの家なのだから、誰をいつ呼ぼうと彼らの自由だ。

 私は女中で、この人は雇い主の息子さん。アンナという子は彼らのお客様。

 そうやって自分の立場を言い聞かせてなんとか笑顔を浮かべた。

「そんなことないわよ。気を使いすぎよ。」

「そう?あのね、アンナは家族のことほとんど何も覚えていないんだって。お母さんなんて声くらいしか分からなくて顔もぼんやりしか思い出せないって言うんだ。僕にとっては家の台所が家族の象徴みたいなものだから、分けてあげたいんだよ。家族の記憶は無理でも温もりみたいなもの。」

「そうね、きっと伝わるんじゃない?うち台所は特別だもの。」

 精いっぱいの虚勢を張って、笑って頷いてみせた。

 チェスターは優しい。そんな甘すぎるくらい優しいところが好きだけれど、今日はそれが辛かった。


(家族の象徴って、その家族の中に私は入っているの?入っているとしたら貴方にとって、私は女中かしら、それとも妹なのかしら。)


「ありがとう、ミモザ。心配しなくても台所は君のものだよ。アンナは僕らの教え子になるだけだよ。」

 チェスターは一生懸命にミモザの瞳をみつめて、彼女の気持ちをうかがおうとする。それが、初めて覚える嫉妬や悲しみに揉まれるミモザには気に障った。

 気を遣わないでほしい。女中に過ぎた気遣いはただ辛いだけだ。その優しさにこれまで甘えて来たのは自分の方なのに、心の中の小さなミモザは癇癪を起こす。そうやって貴方が期待させるから、私は今日まで貴方を想い続けて来てしまった。行き遅れになるまで、他の男なんてちっとも目に入らないくらい貴方に夢中になってしまった。いっそ最初から冷たくしてくれていたら良かったのに。早く目を覚まさせてくれたら良かったのに。ミモザにとってずっと大切だった星祭りのお祝いを奪うような残酷な方法じゃなく。

「心配なんてしてないわよ。それにこのおうちは貴方達のものでしょう?私は雇われているだけなんだから本当に気を使わなくていいのに。」

 ミモザが耐えきれずに目を逸らしながら冗談めかしてそういうと、目の前に立っているチェスター彼女の顔をじっと見つめてとうとう黙り込んでしまった。


(怒ったかしら?でも、私悪いこと言ってないわよね。おかしなことも言ってない。)


 チェスターから発せられる重たい空気に慣れなくて、少しだけ怯えながらミモザは必死に平気な顔を彼に向けようとした。



「ちょっと、こっち。」

 ミモザが顔を上げるより前にそう言うなり、チェスターはミモザの手を引いて廊下の端にある納戸に入った。当然手を引かれているミモザも続いて入るとチェスターはすぐに扉と閉じて真剣な表情でミモザと向かい合った。ミモザが何事かと問う前にチェスターが真剣な顔で問いかける。

「ねえ、今どうしても抱きしめたいんだけど、いいかな?」

 ミモザはポカンと見慣れた幼馴染の顔を見上げた。先ほどまでの話の流れとあまりにも関係がない。アンナという子と台所の話をしていたのではなかったのか。

「え?」

「いいって言って。」

 性急に返事を迫る彼の表情には冗談の気配はまるでなくて、ミモザはどうして急にこんな展開になっているのかと答えの出ない疑問で頭をいっぱいにした。

「いい?」

 重ねて問うてくる勢いに負けて答える意味を理解しないままミモザが首を縦に振ると、チェスターは無言のまま、すぐさまがばりと彼女に抱きついた。そのままぎゅうぎゅうと力を込めて抱きしめられる。

「チェット?」

 予想より遥かに力強く抱きしめられ、息が苦しくなったミモザは囁くような声で彼に呼びかけるが、チェスターはミモザの右耳辺りに顔を伏せたまま返事もしない。ときどき彼がふざけてするような軽い抱擁ではない強い拘束にミモザは戸惑うばかりだ。アンナという娘は放っておいていいのだろうかと、動揺する頭の隅で考える。しかし、彼の高い体温が合わさる胸や背中に回された腕から伝わってきて、ミモザは段々と体と頭が熱くなり、まっとうにものを考えられなくなってしまった。

「ミモザ。」

 しばらく黙って彼女を抱きしめていたチェスターがぽつりとこぼした彼女の名前は、ミモザの背を震わせた。それは彼の息が直接右耳にかかったからかもしれないし、囁く声がいつものチェスターらしくなく、別人のように聞こえたからかもしれない。ただ、心の芯を掴まれたような痺れる感覚があって、ミモザは半ば呆然とチェスターを見つめた。震えに気がついたチェスターもそっと腕を緩めて顔を上げると、自分を見上げているミモザの顔を見下ろした。その表情はいつもの明るく陽気な彼ではなく、思いつめたように切羽詰っている。彼はぼんやりと自分を見上げるミモザを見て少し眉を寄せて小さく息を吐くと、そのまま、そっと顔を近づけてミモザが何か考える間もなく彼女の唇に唇を合わせた。そのまま触れ合うだけの優しい口付けを数回繰り返し、ミモザの思考が溶けてしまうと段々と口付けが深められていく。大きな手に背中を支えられ、あやすように首筋を撫でられて熱い唇と舌とが自分の頬や、顎を辿っていくのをミモザは何も考えられずなすがままに受け入れていた。触れられたところから、どんどん自分が違う物質になってしまっているかのように体が沸き立ち、もう一度彼に触れられたいと切望する。耐え切れずにミモザが熱いため息をこぼすと、チェスターの唇がもう一度、彼女の唇へ戻ってきた。


 ガタリという大きな音に二人は顔を離し、小さな窓の向こうに視線をやった。納戸の窓は小さくて位置も高い。誰かに覗かれたということはないだろう。そう思いながらもミモザはいつの間にかチェスターの両腕を掴んでいた手をそっと離して、一歩下がって緩んだチェスターの腕から抜け出した。一体何が起きたのかと、靄のかかったような頭で考えながらチェスターを見上げると、彼は少し苦笑い気味の笑顔を浮かべて彼女の服の乱れを直してくれた。

「ごめん、止まんなくなっちゃった。」

 そう言って、チェスターは軽く頭を振った。

「チェット、なんで?」

 ミモザは口付けに潤んだ瞳のまま、問いかけた。チェスターは「なんでって」と笑う。

「好きな子が可愛い顔するからさ。それ以外に女の子にキスする理由なんてないよ。」

 少し照れくさそうに、けれどほんの少し前の彼よりは余程普段の彼に近い様子でチェスターはそう言った。

「このまま、二人でここにいたら大変なことになりそうだから戻ろうか。」

 チェスターは一度耳を澄ませて廊下に人がいないことを確認すると、そっと納戸から滑り出し、まだ心ここに在らずのミモザを手招きした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=278020999&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ