1.魔の森
「いったぁ……」
地面に打ち付けた腰を擦りながら、シイカは顔を上げて辺りを見渡した。
後ろで遠ざかっていく足音が聞こえた。シイカをここに連れて来た人たちの足音だった。
シイカは服に付いた土を払い落としながら立ち上がった。ここは「ラルキニアの森」と呼ばれる、うっそうと茂った森だ。背の高い木々が沢山の葉で日光を遮っているため、地面にはほとんど日が当たらない。いつも霧がかかっていて湿っぽい。鳥の声も、動物の気配さえ少ない不気味な森だった。
シイカがこの森に連れて来られた理由。それは、森に棲むと言う巨大な怪物のための餌。つまり生け贄だ。
森の怪物とは、もう随分前からラルキニアの森に棲み着いている異形の化け物のことで、人の頭と獣の身体をしているらしい。それが何年か前に何故か森から出てきて人を襲うようになった。
なので、森から近いシイカの住む村で定期的に村人1人を生け贄としてラルキニアの森に置いてくるようにした。
その結果、怪物が村にくることはなくなったが、代わりに毎回どこかの家が哀しみに包まれることになったのだった。
「まさか私が選ばれるなんて……」
シイカはあの時を思い出して絶望した。生け贄を選び出すくじ引きをした時だ。自分は絶対に当たらないと思って自信をもって引いたくじは__先っぽだけが真っ黒い絶望の色に染まっていた。
周りの人たちが息を飲むのがわかった。そして、同時に安堵の溜め息を吐くのも、またわかった。
自分は選ばれたのだ……最悪の役目に。
村の皆は、シイカに冷たかった。シイカの家族は、とっくにいなくなっていた。シイカのために泣いてくれたのはいつも世話をしてくれていた優しい老婆と、唯一の友達のリンだけだった……。
シイカは取り敢えず歩くことにした。両手と両足に重り付きの鎖が付いていて、血の臭いで怪物を誘うために付けられた傷に触る。痛かったけど、どこかに移動した方が良いと感じた。
引きずる足にまとわりつく鎖が音を立てる。その金属の音が耳障りで仕方なかった。シイカはどんよりとした気持ちのままのろのろと当てもなく森をさまよった。今自分がどこを歩いているかなんて、考える気も失せていた。
そうしてどのくらい歩いたのだろうか。突然視界が開けた。シイカはびっくりして顔を上げる。
今まで日の光が入らないほど茂っていた森がそこだけぽっかりと開いていた。今日は曇りの日だったが、晴れていたならきっと素敵な空が見えるのだろう。
何故かここの一角だけ木が1本も生えていなかった。 でも、そんなことすらどうでも良く感じた。もうすぐ自分は死ぬのだ。今さら何がどうなろうと自分には関係のないことだった。
シイカは適当にその場に座り込んだ。そのうち座っているのも疲れて、下草の生い茂る地面に寝転んだ。
だんだん眠くなってきて、シイカはそっと目を閉じた。つぎにいつ目覚めるかはわからなかったし、そもそも目覚めることがあるかもわからなかった。
……さよなら、自分。さよなら、世界。
眠りに落ちたシイカの上に黒い影が差したのに、彼女は気付くはずもなかった。