表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
33/44

33. 魔王案件、お見積もりいたします

 沈黙は、長かった。行灯の芯が二度鳴るぶんの、長さである。


「……精算、と言ったか」


「はい。滅ぼすのは手段であって、目的ではないはずです。ヴェルン様の目的は、四十年分の理不尽の精算と、二度と繰り返させないこと。――違いますか?」


「……続けろ」


「でしたら、お見積もりを出します」


 私は新しい紙を出し、いつもの書式で線を引いた。定規代わりの帳簿の背で、まっすぐに。件名、魔王案件。目的の欄、『聖女制度の終了と、四十年分の精算』――これは、承ります。手段の欄、『王都滅却』――検収不合格。理由、下記。私はペン先を整えて、下記を書く。


「瘴気は、宛先のない理不尽の滞留です。でも、宛先が『ない』のではありません。『分からない』だけです。そして今、手元には四十年分の帳簿がある。誰が、いつ、何を押し付けたかの記録が――差出人の、名簿が」


「……帳簿を、差出人リストに使う気か」


「はい。監査院の記録と突き合わせて、宛先の分かる分から、順に、全部――送り主へ返します。王国史上いちばん大きな、返品です」


 魔王は、見積書を長いこと見下ろしていた。行灯の火が、黒衣の肩で小さく揺れる。四十年ぶんの夜を、まとめて思い出しているような目だった。


「四十年、誰もそれを言わなかった。祈るか、隠すか、燃やすか、だった」


「祈りは職掌外です。隠すのと燃やすのは、先日まとめて検収不合格にしました」


「……納期は」


「未定です。期日は、切らせてください」


 正直に書いた『納期・未定』の欄を、魔王は指の背で二度叩いた。


「未定の納期は、過ぎもしない。……なら、納期はこっちで書かせてもらう」


 彼は窓の外、東の低い靄を顎で示した。


「東の靄が、王都の外壁に触れた日。そこまでは、待ってやる。誰の目にも見える期日だ。……過ぎたら、俺のやり方でやる。それが条件だ」


 私は『納期・未定』に二重線を引き、書き直した。『納期・東ノ靄が外壁ニ触レル日マデ』。空の様子が納品期限の案件は、九年目にしても初めてである。それから魔王は懐を探り、銀貨を一枚、卓に置いた。先々代の王の横顔。いつかの夕暮れの屋台で見た、あの古い銀貨である。四十年、使い所のなかった財布から、これで二枚目だ。


「着手金と、条件、承ります。控えをどうぞ」


 黒衣は夜へ溶けて、鈴の音だけが残った。卓には古い銀貨が一枚と、見積書の隅に、判子の代わりの指の跡がひとつ。台帳の新しい頁に、私は件名を書き込む。史上最大の案件も、書いてしまえば三行である。三行にしておかないと、怖くて夜眠れない、とも言う。


       ◇


 翌晩、灯火亭は、また樽を開けていた。


 理由は「聖女さまが魔王を白湯で追い返した祝い」だそうである。事実と細部が違うが、訂正はもう諦めた。荷運びの兄さんたちは早速「白湯で魔王を倒す聖女」の再現劇を始め、白湯役の湯呑みが三回も割れている。台所ではセラフィナ様が見習いの焼き菓子を景気よく焦がし、焦げたはしから、それもちゃんと売れていく。下町の胃袋は、応援の仕方が具体的である。おばあちゃんは長椅子で飴玉を転がしながら、真顔で言った。


「魔王かい。歳はいくつだね。うちの孫に、どうだろうね」


「先方は六十前後だそうです」


「おや、そりゃあたしの守備範囲だね、カッカッカ」


 守備範囲の広さに、下町の底力を見た。


 騒ぎの隅の卓で、レナート様と覚書を作った。一通は、大照合について。帳簿の記載と監査院の記録を突き合わせ、瘴気の差出人を割り出す共同作業の取り決めである。黒手袋の指が、条文の余白へ丁寧に赤を入れていく。『照合ノ主体、返品屋リカ。監査院ハ記録ヲ以テ之ヲ支援ス』。赤インクの、乾いた薬草みたいな匂いも、ずいぶん見知った匂いになった。


「大照合、監査院の書庫が全部要る。……定例が、当分増えるな」


「……悪いですか?」


「いや。妥当だ」


 妥当以上の褒め言葉を、この人は知らないのである。知らないままで、いいと思う。


 もう一通は――セラフィナ様の保護について。聖女の座が空いた今、あの子の身柄は、家と神殿の両方から狙われ得る。灯火亭住み込みの「菓子職人見習い」とする雇用契約。給金は下町相場、休日あり、夜業なし。セラフィナ様は中身を二度読んで、それはもう良い音で判を押した。ご本人は契約書を胸に抱いたまま、台所の隅で寝てしまい、マルタさんに毛布を掛けられている。生まれて初めて、自分の行き先を自分で選んで署名した、仕事の契約書だそうである。


 閉店後、手帳の保留欄を開いた。『瘴気の受け皿、代案』の行に、ようやく一行、書き込む。


 『受け皿は、作らない。宛先へ、返す』


 窓の外、東の空の靄は今夜も低い。けれどあの灰色はもう、ただの災いには見えない。宛名の書かれていない、四十年分の荷物の山である。差出人の照合、委任状の山、下町総出の大仕事になるだろう。伝票の山なら、九年、崩してきた。段取りも、人手のあても、もうある。


 クーリングオフの受付を、始めます――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ