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ほら吹き地蔵 第十九夜 鉄の額の神狐軍団

【1】


余され者の神狐たちがいた。


大体において宗教団体と言うのは余され者の吹きだまりになる。

仏教でもキリスト教でも違いはない。


お地蔵さまの下に付けられた神狐軍団員などは正にそうで、こいつらは母を敬わず、父を敬わず、僧侶を敬わず、家の年長者を尊敬しないのばかり揃っていた。


反逆者などと言う、かわい気のあるものではない。

そもそも、こいつらには誰かの言葉に素直に耳を傾ける、自分と同じくらい誰かを尊重する、誰かと合意を形成する、黙って誰かに従う、そういう能力が欠けていたのだ。


そんなのばかり寄せ集めたのだから、神狐軍団の内部統制は、ことのほかキツかった。

そうでなければ組織が機能不全に陥るからだ。バラバラになるからだ。

このため、組織内のコミュニケーションは常に上から下への一方通行。

口答えどころか、「上官に向かって、不平・不満の色を見せた」と言うだけで制裁の対象になる。


そもそも神狐軍団の処罰基準は「疑いを持たれた時点で有罪。無罪なら、そっちが証明してみせろ」と言う、鬼平犯科帳みたいな強権統治または恐怖政治だった。

しかも連帯責任制。


それでも何とか無罪を証明できたら、今度は濡れ衣を着せた告発者が処罰される。

死に値する罪の告発が、実は濡れ衣と判明したら、告発者が処刑される。

つまり決闘裁判なのだ。


「罪は罰によって回復される。誰を罰するかは関係ない」と言うのが神狐軍団の「正義感」だった。


逆に言えば、誰もが知っている公然たる悪業でも、誰も告発しないなら、それで良いのである。


「罪に挑戦する者が現れない以上、それは罪ではない。」

それで組織運営に問題はないからだ。

確信が強すぎる集団と言うのは、えてして、こんなものである。


そもそも神狐軍団では「正しい/正しくない」を誰も問題にしない。

何かが「正しいか/正しくないか」は神仏にお預けしているからだ。

余され者の神狐ごときが「あれが正しい」の「これが正しくない」のと我を張り始めたら、そうした時点で間違っている。

何と言っても、おシャカさまは全てをお見通しなのだから。


もちろん、物を言う自由を、ただ押さえつけるだけではガス爆発するのは目に見えているから、毎日の朝礼では好きな事を言って良い事になっている。

ただし、話していいのは各回一名だけ。

他の者は、そいつが何を言おうと、何をわめこうと、黙って聞くよう強制されている。

聞いてる方は、その場で怒っても泣いてもいいが、後で蒸し返すのは、これまた禁止。

憲兵隊も、朝礼で出た話だけは不問に付す習いになっている。

これを各行動単位、各組織単位で、全員が順繰りにやる。

つまり(限定的ながら)言論の自由はあるのだが、これでは、ただのガス抜きだ。

何も解決しない。そもそも生産性がない。

そういうものを念頭に置いていないからだ。

「何をやっても間違い」の、余され者の神狐軍団が言う事に、始めも終わりもあろうはずがない。


「言葉は壊れた鋏。言葉は錆びついたナイフ。これしかないから、使うほかないが、ちょっと誤れば、すぐ指を切る、人を傷つける、不便で不十分で不安全な道具だ。」


これが神狐軍団のモットーである。もともと言葉に重きを置いていないのだ。


こうやって書いてみると、神孤軍団は暴力団やタコ部屋も真っ青の無理無道な集団と思えるかもしれないが、当の神孤たちは「誰に強制されたワケでもない。オレたちは自分の意志でやってるんだ」と思っている。

「オレたちの居場所は、ここにしかない」と思い詰めてもいた。


まあ、宗教団体とは、そう言ったものである。

「これは、いかがなものか」と、ちょっとでも疑問を抱いたら、もう居られなくなるのだ。

泥水にジュースを一滴たらしても、それは泥水だが、泥水を一滴たらしたジュースは、もうジュースじゃないからだ。


言葉は理性を連れて来る。

そして理性は必ず懐疑を連れて来る。

言葉も理性も敵視しているから、神孤軍団の鉄の規律は維持できているような面もあった。


啓示宗教の見かけに惑わされてはならない。

教義解釈の上では理性をうまく利用しているように見えるが、実は甚だ理性的ならざる所に根拠を置いているのである。

一旦、疑いだしたらキリがなくなる。

ゼロになる。

神も仏もなくなる。

仏教でもキリスト教でも違いはない。


【2】


ところがどっこい、既述のようなキツい内部統制・鉄の規律をもってしても、そこから、こぼれ落ちてしまった「余され者の中の余され者」が出現した。

そいつの名は「101 ワンオーワン」としておこう。


ワンオーワンは邪心のない、人を疑う事を知らないヤツだった。

「人の事を傷つけてやろう」などとは夢にも思わないヤツだった。

そして冷酷かつ残忍だった。

やられる相手の痛みなんて考えようともしなかったのである。いや、理解できなかったのだ。


上の言う事には「はい、はい」と従うし、連帯責任で処罰された時でも不服一つ洩らさなかったから、神狐軍団の上官は、ワンオーワンを「扱いやすいヤツ」と見ていた。

集団行動が苦手で、周囲とは距離を置いているような所も見られはしたが、とにかく協調して生きて行く事はできた。


矛盾が表面化したのは、こいつを大隊長に抜擢した時である。


「この際だから、あの罪で汚れたニネベの町の、悪の芽を全て摘んでしまえ」と命じられたら、ワンオーワンは町ごと廃墟にしてしまったのである。

ワンオーワンは良い芽も悪い芽も区別しなかった。いや、区別できなかったのだ。


この「ニネベ破壊」は、不適切な事この上ないが、神狐軍団のいかなるルールにも反していなかった。

ワンオーワンは命令を忠実に実行しただけだし、「悪を滅ぼしたのが悪い」とは誰も言えなかったからである。


そもそも、これは異議申し立てや反抗や意趣返しの積もりでやった事ではない。

ワンオーワンは「これが最も適切だ」と信じて不適切な事をやった。

「これがニネベにとって一番いいことなんだ」と「心を鬼して」ニネベを破壊した。

そして、それは「形式的には」不適切ではなかったのである。


こうも言える。

ワンオーワンは余りにも純粋無垢なるが故に、神狐軍団の一体性に亀裂をもたらしたのである。

軍団員たちが自らの根拠に疑いの目を向ける、自己懐疑の契機を作り出してしまったのである。

たとえば、以下のように。


神孤A「ニネベの連中は悪いヤツらなんだから殺して当然だろ。」


神孤B「いや、ホントに悪いヤツらばかりだったのか? 良いヤツも含まれていたんじゃないのか?」


神孤C「どうやって、それを見分ける? 口を開けば、みんな『オレは悪くない』と言い訳するに決まってるさ。」


神孤D「ちょっと待てよ。仮に、あいつら全てが悪党だったとして、オレたちにそれを裁く権利はあるのか? 処刑する資格があったのか?」


神孤E「そもそも悪って、一体なんだ? 誰が決めたのか?」


心の動揺は規律じゃ抑え切れない。

箝口令を敷いても疑惑は一人歩きする。

ワンオーワンの無邪気な「自己犠牲」は軍団に測り知れないほどの損傷を与えた。

まるで羊の群れに狼を放り込んだようなものだったが、この狼が自分では「人畜無害な羊」の積もりでいるのだから、周囲は手の施しようがなかったのである。

もしもワンオーワンを処刑するなり追放するなりしたら、自分で自分の傷を押し広げるようなものだった。


【3】


神狐軍団のトップは、ワンオーワンの処分に窮して、とうとうお地蔵さまに泣きついた。

軍団内部の矛盾を自分たちで正しく処理できなかったとは、よくよくの事である。


お地蔵さまは「分かった」とだけ言って、ワンオーワンを手元に引き取った。

そして、見晴らしの良い丘の上につれて行った。


お地蔵さまは、ワンオーワンの目の前で小さな穴を掘って、何かの種を埋め、そして言った。


「おまえは今日から、この種の番人になりなさい。日の光と水と風のご縁をいただき、虫にも動物にも食われなければ、いずれ芽が出るはずだ。」


「どんな芽が出るのでありますか?」


ワンオーワンは無邪気に聞いた。

自分が処罰に値するような事をしたとは思っていなかったが、つま弾きにされたのを不服にも思っていなかったのである。

そういう所も頭のネジが抜けているヤツだったのだ。


「おまえの心の中にあるものが、ここから芽吹くだろう。

おまえの心の中の、まだ目覚めていない善きものが、この種の中に閉じ込められているからだ。」


「私に、そんなものがあるんでありますか?」


「あるともさ。善き心は一つではないが、ここでは仮に『素直な心』と名付けておこう。この芽が、どうやって育ち、どんな実を結ぶかも、おまえの献身しだいなんだよ。」


「私の何を捧げれば、献身した事になるのでありますか?」


「おまえが持って居る全ての物を、この種に捧げなさい。善き物も、悪しき物も区別せずに。

決して『いい子』になろうとしてはいけないよ。飾ろうとしてはいけない。全てを捧げ尽くして、裸の心におなりなさい。

まずは、その口から出て来る悪しき言葉を封じなさい。

口にしていい言葉は、ただ一つ、『種よ、早く芽を出せ、早く芽を出せ』。

これだけを、毎日毎日、念じ続けなさい。

そうしている内に、おまえは余計な思いに振り回されないようになる。雲のように湧いて来る雑念を追わないようになる。

おまえの口から余計な言葉は出て来ず、言葉で人を傷付けないようになる。

それでようやく『素直な心』が現れる準備が整う。雑然とした部屋が掃き清められたように。」


「その間、み仏は何をしてくれるのでありますか?」


「何もしないよ。私はおまえを、ここに放置して行く。」


「ちょっとお待ちください。

千年に一度の地震で地が割れる事もありましょう。台風で土砂が崩れる事もありましょう。

そこまで行ったら、私の献身ごときでは、何の太刀打ちもできませぬ。」


「それで、いいのだ。地震や台風で種が潰え、おまえの命が、ここで終わるのも、それもまた、いただいたご縁と言うものなのだから。

考えてもみろ。

太陽は、冬にはおまえを温めるが、夏にはおまえを痛めつける。

水がなければ、おまえは乾き死にするが、水があふれたら、おまえは溺れ死ぬ。

『冬だけ日が照ってくれ。乾いた時だけ水をくれ』とは、おまえも言わないだろう?」


「つまり私が死ぬのも、宇宙のことわりの一部なのだと。死のうが生きようが、私は守られているのだと。」


「その通りだ。」


「種から花が咲き、実を結んだら、私は何をすれば良いのでありますか?

私が神狐軍団に復帰できる芽はあるんでありますか?

今の私から仕事を取ったら何も残りません。」


「おいおい、神狐軍団にも匹敵する重要任務を、私はおまえに与えた積もりだがね。

慈悲心もまた『素直な心』から芽吹く物の一つだからだ。

自分の殻を破った大慈悲心を得たら、もう道に迷う事もない。

過去のしがらみを言い訳にせず、今度こそ、まっすぐ歩いて行くんだよ。

野に咲く花もまた仏である。

石造りのお地蔵さんと同じようにね。」

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