裃の事情◆
タイトルに◆がある時は挿絵アリ
【裃本家での堅城(簧黄)捕獲の3日前】
薄城山市内の旧家が集まる山手地区。裃本家はこの地区のほぼ中心に位置する。
屋敷の一部は境内となっており、信元が管理する薄城山神社とは本社と摂社の関係にある。
摂社のため神社としての規模は大きくないが、観光客や正月を除くと薄城山市民の多くが日常的に利用することから、人の出入りはそれなりに多く、セキュリティの面でどうしても甘さが出てしまう。
裃家統主:裃 紘道。
屋敷のはずれにある和室で障子を明け放したまま、一人で酒を嗜んでいる。
室内には江戸時代のような燭台があるだけで、差し込む月明りも縁側から室内の畳の一部までは照らしているが、奥までは届かず、部屋の半分は暗い闇に埋もれていた。
「なんじゃ、一人で?しみったれとるのお」
開け放した障子の影から月明りを背に何者かが部屋に入ってきた。
その言葉の感じから気心の知れた間柄であることが知れる。だが、それにしても少々失礼ではないかと思われる物言いをしながら入ってきた人物は信元だった。
「いいから座れ」
促されるまま、信元は統主の前に用意されたもう一つの膳に向い、腰を下ろした。
信元の口調と違い、統主のそれからは親しげな雰囲気は感じられない。
「機嫌が悪いな」
雰囲気を察して、信元も少しトーンも下げる。
「何かあったか?」と訊ねる。
「大ありじゃ」
右手に盃を持ちながら乾杯をするでもなく、やはり不機嫌に統主が言う。
「今日もまた、一人消えたわい。今月に入って3人目じゃ」
苦々しい統主の言葉が事態の深刻さを表している。
信元は自ら膳の上の徳利を手に取り酒を注ぐ。
「裃が狩場になっとるな」
鉛のように重たい言葉が信元の口から漏れ出て、唇を伝い、畳の上に落ちる。
「議会の意見はどうなっている?」
裃本家のトップである議会が現在、どうなっているかを信元が知ることは出来ない。
だが、これほどまでに被害が出ているのであれば、中にはN.A.P.の情報を開示することを進言してくる者も当然いるだろう。
信元としてはなんとか耐えてほしいとは思うが、それを強要する立場にはない。
「今はまだ抑えが利いておる。だが、この状態が続けば、もう時間の問題じゃ」
「そこを何とかするのが統主であるお主の役目だろう」
苦境は理解しているが、あえて強い言葉で返す。実際、信元が頼れるのは目の前にいる統主だけで、この男が壁となって議会を抑えつけることが出来なくなれば全てが瓦解する。
「統主としての務めというならば、ワシのやるべきことは裃とその民を守ることじゃ。貴様とあの娘の安全を優先することではない」
統主も善処するなどとは言わない。
「散々ワシの能力を使って良い目を見ておきながら、いざとなれば切り捨てか⁉」
信元はいわゆる『恩を仇で返す』のかと訊いている。これは切り札で、さすがに統主も言葉に詰まり盃を膳の上に置いた。
そのまま目を伏せ、深く呼吸をしてからふたたび面を上げると
「ワシが統主でなければ、貴様との友誼を守ろうとしただろう。だが、統主である以上、どれほどの誹りを受けてもこれだけは譲れん」
断固たる言葉で言い放った。
信元はうなずくでもなく、首を振るでもなく、ただ黙ってその言葉を受け止めた。
実のところ、統主がこう言ってくることは概ね見当が付いていた。
だからこの後に切る手札も用意してきている。
「あと1年、なんとかしろ」
統主の目が信元を睨みつける。
「それが過ぎたらお主の好きにして構わん」
それだけ言うと信元は盃を傾け、一気に呷った。
「それまで裃が持つと思うか?」
左手で徳利を持ち、酒を注ぎながら静かに統主は信元に訊ねる。
「分かっとるわ、ワシがフォローに入る。それで文句はないだろう?」
この提案に盃を口元に持っていったまま統主が固まる。
「それは・・ワシとしても願ったり叶ったりじゃが。貴様でなくとも惣一郎や櫂でも構わんぞ」
想定外の申し出に驚き、統主の方が少し日和っている。
そんな統主の様子を気にすることも無く信元は続ける。
「お主も知っての通り、惣一郎が常時、警戒に当たることは無理だ。かといって櫂も優里の傍から離すことは出来ん」
そう言いながら膳の上の皿から沢庵を一切れつまむと、そのまま口に放り込んだ。
「となるとワシがやるしかあるまい」
ぼりぼりと沢庵を噛みながら話す。その行儀の悪さに
「箸を使え、それと食いながら話すな」
かなり強めの語気で反射的に統主は突っ込んでいた。
だが、そんな言葉を一切気にする様子もなく信元は黙って酒を呑む。
付き合いの長い二人は気安い仲とも言えるが、統主の前でこのような蛮行に及ぶ者は今や信元以外いない。
そんな姿に呆れたのか、もはや諦めたのか、はぁっと小さく息を吐くと
「まあ、貴様が出張るなら議会も納得するじゃろう。だがな」
「なんだ?」
「くれぐれも節度を持って行動しろよ」
ふたたび真顔に戻って信元に注意する。
「分かっとるわい」
「そう言って、幾度貴様はやらかしてきおった?よもや、覚えていないとは言わせんぞ」
「ワシもいい年だぞ。そのくらいの分別はある。いい加減、昔のことを引き合いに出すのは止めろ」
「いい年?前にやったのは確か4年前だったな。あの時も貴様は、もういい年だったと思うがの」
「あれは仕方ない。事故だ」
「事故?あれのどこが偶然だと?」
「からんだ相手が偶然ワシだったのが、アイツらにとって事故だったということだ」
「野生の獣の理屈で語るな!そこを踏みとどまるのが人間じゃ」
「大丈夫だ。相手だってプロだ。きっと回収までやってくれる」
信元は会敵した相手を逃がすことはない。
それは若い頃から、今に至るまで変わらぬ彼の信念のようなものだ。
恐ろしいことに相手が単独ではなく組織がらみだった場合、彼の攻撃はそのトップに届くまで止まらない。
要は皆殺しだ。
もちろん相手が国家のように巨大な存在であれば信元がいかに強かろうと、その頂点にまで簡単に手が届くことはない。
だが、逆に言えば手が届く範囲は容赦なくせん滅する。それこそ後には草も生えないほどに。
信元が裃の防衛を申し出た際に統主が単純に喜ぶことが出来なかったのはそういった理由もあった。
今も信元と話していると侵入してきた相手を仕留めるつもりであることがハッキリと分かる。
「出来る限り、生け捕りにしてくれ」
統主としてはこれが精一杯の譲歩だ。
裃に侵入してくる人間はほぼ100%、どこかの機関の手の者だろう。
こういった場合、送り込んでくる方も捕まるリスクを考えれば、自分たちに繋がるような素性の者は使わない。
だから仮に捕まったとしても表向きは侵入者と自分たちの間にはなんの関係もないといったスタンスを取る。
だが、裏では政治的な駆け引きが渦巻き、表に出せない分、より深く、濃く、呪いのように澱が溜まっていく。
ここで大事なのは行方不明止まりにして相手に殺したことが分からないようにすることなのだ。
つまり死体を回収させてはいけない。
生け捕りにしようとした相手が死んでいた場合は・・・残念だが仕方ない。
身元の分からない遺体は放置せず、必ず持ち帰り自分たちで火葬し、誰だか分からない人間は死んだことも知られないまま情報だけが生き続けるようにする。俗に言う『諜報員あるある』だ。
ただし最近では、堅城(簧黄)のようにチップを埋め込まれた人間が火葬されるとチップからの発信が途絶えるので、ここで死んだと認定される。これを諜報員の『労働環境改善』という者もいる。
「善処する」
そういった諸々の事情を知っているであろうに、信元の口調は軽かった。




