エージェント:簧黄1◆
タイトルに◆がある時はイラストあり
「2重スパイ⁉、あの男が?」
櫂と優里は心暖に先導され、先ほどまでの和室から今は棟を変えた8畳ほどの洋室に移動していた。この棟は全体的に洋式の造りで今は全員スリッパを履いている。
「声がデカいわ」
統主が優里をじろりと睨む。確かに密談をするボリュームではなかった。
だが、それだけ衝撃的な内容であることも確かで注意されたにも拘わらず優里の興奮は収まっていなかった。
「どういうこと?」
鋼のメンタルで今度は心暖に向かって尋ねる。
「落ち着け!」
優里マスターである心暖はいたって冷静に諫める。
「アメリカに行って体を乗っ取られたわけじゃないってことですか?」
興奮してうまく言葉が出てこない優里に代わって櫂が訊いてくる。言いたいことを先に言われた優里は少しショックを受けている。
その問いかけに心暖はすぐには答えず、間を置くようにゆっくりとコーヒーカップを口元に運ぶ。櫂と優里だけでなく統主までもが心暖を見つめるなか、コーヒーの香りと味を心から楽しんでいるようだ。飲み終えて口元がかすかに緩んだところを見ると好みの味だったのだろう。そして口を開く
「そういうこと。そもそもドライブだけセキュリティを破ることが出来たのは何故かという疑問が最初からあったのよ。だけど元エージェントであれば簡単なことよね」
「なるほど・・・でもそうなると、3年前のFibe-Aの潜入調査っておかしくない?」
優里の言葉に櫂も同意する。
「確かにな、タイミングが良すぎる」
二人のやり取りを見ていた統主は心暖に向かって
「心暖」とだけ言う。これまでの統主と心暖のやり取りから見るにこれは説明してやれという意味だと思われる。
だが心暖の方は何故か露骨に嫌そうな顔をして
「えー」
と言ってからコーヒーをテーブルに置くと
「今から話すことは依頼内容と関係しているから教えるけど、絶対に口外しないこと」
そう言って強く念押ししてきた。
この席でのことを口外しないのは当然のことなので妙に違和感のある言い方だった。
「エージェント簧黄は3年前、突如Fibe-Aの潜入調査に志願してきた。潜入調査はかなり危険な任務で彼のそれまでの実績から考えると唐突な感は否めなかった。だけど彼にはそうせざるを得ない理由があったの」
「理由?」と優里
「娘の目の病気を治すための交換条件として志願してきたのよ」
櫂と優里が固まる。
先ほどの口外しないよう言っていた言葉の意味を理解したからだった。
心暖が具体的な病名を明かさず『目の病気』とだけ言っているのも心遣いなのだろう。
「裃は彼の申し出を承認し、娘に角膜移植手術を施した。そして交換条件に従い彼は潜入調査のため渡米。ちなみに移植した角膜は彼のモノを使ったことになっている。つまり戸籍上は既に亡くなったことになっているわ」
簧黄は自らの死を偽装し娘に角膜を移植した(実際に移植したのは簧黄の角膜ではなく、裃が独自のルートで入手した第三者のもの)。だが、その理由については少々腑に落ちない点があると心暖は説明する。
角膜移植を受けるには第三者からの角膜の提供が必要となる。
一般的には登録しアイバンクからの提供を待つことになる。順番待ちをしている人数は約2000人ともいわれ1年から2年の時間がかかる。
一方で血縁者からの提供だが、こちらはたとえ譲ろうとする意思があってもドナーが存命中は出来ない。
簧黄の娘のケースはというとすぐにでも移植をしなければ失明するような切迫した状況ではなかった。つまり一般的な順番を待つという選択肢で十分なはずであったが、彼はなぜかひどく急いだ。
単純に考えれば動機は思春期の娘が苦しんでいる様子を見ていられなくなり、少しでも早く病気から解放してやりたいという親心だろう。
だが、その方法は同時に彼自身が二度と娘の前に現れることが出来ないという決別を意味する。果たして割に合う選択だったのだろうか?というのが心暖の説明だった。
「この時点では彼とFibe-Aの接点は認められない。3年間の潜入調査中に何かがあって寝返ったと裃は考えている」
統主の口元が歪み小さく舌打ちする。
櫂と優里にはその態度が裃の簧黄に対する評価を意味しているように見えた。
心暖の語気も少し荒くなり、険を含んだ感じになる。
その口調に優里はいやな雰囲気を感じ取った。小さく櫂に目配せをすると、櫂も同じことを感じていたのか小さくうなずいて返す。
「ちょっと!」と優里
「誘拐なんてやりませんよ‼」と櫂




