帰宅と新天地
ゾラ先生の背中が完全に見えなくなってから、俺はもう一度、深く息を吐いた。……疲れた。すごく元気な人だった。話してるだけで精気を吸われた気がする……。
「……うぅ眠い。」
小さく呟いて、生徒用区域へ足を踏み入れた。談話室の前を通ると、数人の生徒がカードのようなものを広げて議論している。食堂からはいい匂いが漂ってきた。訓練場の方角からは、鈍い衝撃音のようなものも聞こえる。――なんだか、まだ慣れないけど少し落ち着く気がする。自室の前に着き、扉を開けた。
「お、帰ったか」
低く、気の抜けた声。顔を上げると、ケビンがベッドに腰掛けていた。ビンテージ感のある色落ちしたジャージ姿。上着は半分開き、腕まくりをしている。タオルを首にかけていて、完全に“これから運動します”という格好だ。
「……運動するんですか」
「今日は座学ねーからな、俺」
肩を回しながら立ち上がる。動きが無駄にしなやかだ。俺の顔を見るなり、片眉を上げた。
「なんか、疲れてねぇか?」
「わかりますか」
「まあな。嵐に巻き込まれた犬みたいな顔してる」
的確すぎる。
「えっと、ゾラ先生ってわかりますか?その人に、ちょっと……」
「わかるぜー。生物魔法学の先生だろ。チョー元気な姉ちゃん。マーリン先生のところによくいるんだよなあ。マーリン先生が言い返せない人の一人なんだよな」
察したらしい。短く笑う。
「まあ、要するに捕まったわけだな」
「……はい」
「生きて帰れてよかったな」
そこまでか。ケビンは水のボトルを投げてよこした。反射で受け取る。
「飲みな。あの人と喋ると地味に体力削られる。今のうちに元気充電しといた方がいいぜ。」
「そうですね……」
水を一口飲んで、ようやく呼吸が落ち着く。ケビンはそのままストレッチを始めた。首、肩、手首。慣れた動き。
「今から訓練棟行く」
「訓練棟?」
「実践練習。今日は模擬戦の日」
軽く拳を握り、空を切る。
「見に来るか?」
あまりにも自然な誘いだった。
「見てもいいんですか」
「むしろ見といたほうがいいと思うぜ。」
即答。
「色々言われて頭パンパンだろ?実際に動いてるとこ見た方が、割と無心で見れていいぜ」
確かに、さっきから聞こえているあの衝撃音は少し気になっていた。少し迷う。けれど――。多分彼が言うなら、嘘じゃない。
「……行きます」
「よし」
ケビンは満足そうに頷く。
「上着羽織れ。夜は冷える」
準備を整え、二人で部屋を出た。外に出ると、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。橙と紫が混ざった空の下、生徒たちがそれぞれの目的地へ向かっている。笑い声、金属音、どこかで魔力が弾ける気配。
「この時間、実践組が一番騒がしい」
ケビンが歩きながら言う。
「座学派は図書室、実践派は訓練棟。分かりやすいだろ」
「ケビンさんは完全に後者ですね」
「まあな。あと、さんはいらねーぞ」
にっと笑う。しばらく歩くと、他の建物よりも無骨な造りの校舎が見えてきた。石造りの壁には、ところどころ焦げ跡や亀裂が残っている。
「……あれが?」
「訓練棟」
近づくにつれ、音がはっきりしてくる。ドン、と重い衝撃音。何かがぶつかる音。歓声。入口の前で、ケビンが一度こちらを見る。
「怖いか?」
「……少しだけ」
「いいね」
短く言って、扉を押し開けた。瞬間、熱気が押し寄せる。広い空間。床には無数の魔法陣の痕跡。中央では二人の生徒が向かい合い、周囲を囲むように観戦する生徒たち。空気が張り詰めている。さっきまでの談話室とは、まるで別世界だ。
「ここが、俺たちの庭だ。」
ケビンが小さく笑う。その目は、いつもより少し鋭かった。俺は無意識に息を呑む。鈍器や水が衝突する音がする。光が差す。――この先にまた、俺の知らない世界が広がっている気がする。




