動悸と熱発
並んで歩く、というだけのことが、こんなに落ち着かないとは思わなかった。学院の廊下は広く、静かだ。自分の鼓動と足音がやけに響く。俺は歩幅を合わせようとして、失敗して。少し早くなって、また遅くなる。――何やってるんだ、俺。横を見ると、土御門菫と名乗った少女は静かに歩いていた。背筋が伸びていて、視線は前。余計な動きが一切ない。俺は、さっきまでファウストの部屋で詰められていた。渡された大量の課題も腕の中にまだある。でもその時に芽生えた感情はもうない。頭の中は菫さんのことでいっぱいだ。
「……その」
俺が声を出すと、菫が少しだけ肩を揺らした。
「はい」
返事が早い。視線だけが少しこちらへ動いた。
「ずっとそのお人形みたいなのは一緒にいるんですか?」
俺と菫さんの後ろをただただついてくる。
「長い休み時間はそうですね」
菫は少し考えてから、ゆっくり答える。
「場所と時間によります。大きい子なのでずっと出してると邪魔になっちゃうし……」
「確かに……」
その後ろをついてくる日本人形のような何かは足がないのか、スライドするように動いていて、大体2メートルある。
「学院の外に出たときは基本出してますよ。普通人には見えないですし。」
言葉が引っかかる。
「出してる?自由自在に出し入れできるんですか?」
「はい。できますよ。一応私が使役していることになっているので。」
「へえ、すごいですね……。」
こんな大きなものを使役なんてできるのかと感心する。もしかして、菫さんってすごい人なのかな……。そんなことを考えていて足取りが遅くなる。菫さんの背中が視界の隅に見えて、慌てて思考を止め、追いかける。
「……土御門さんは、怖くないんですか」
聞いてから、しまったと思った。踏み込みすぎたかもしれない。菫は、すぐには答えなかった。数歩、沈黙。
「……今は、怖くないです。」
立ち止まって後ろについてきている人ならざるそれを見る。
「昔は怖かったです。でも、小さいころから一緒にいるし、もっと怖い存在を知っているので、怖くないです。」
それだけ言って、少し唇を噛んだ。もっと怖い存在。その日本人形のようなものでも十分に怖いのにこれ以上がいるなんて、俺には想像できなかった。俺は、何と言えばいいか分からず、頷くことしかできなかった。
また、沈黙。気まずい、というより――落ち着かない。話したい。でも、何を話せばいいか分からない。
「……マーリンのところ、よく行くんですか」
絞り出した質問。
「はい」
菫は、少しだけ首をすくめる。
「私、魔法学が苦手なんです。それでよくマーリン先生のところへ質問に行くんです。」
「マーリン先生は魔法学が担当なんですか?」
菫が、ほんの一瞬だけこちらを見る。
「はい。でも、マーリン先生はどの科目を聴いても教えてくれると思いますよ。」
「案外すごい人なんですね。あの人……。」
今までの飄々とした態度を思い返す。
「すごいなんてものじゃないですよ。去年までの首席です。しかも入学してからずっとです。」
「え……。」
思いがけない返答に驚く。めちゃめちゃすごい人なのかあんなので……。
「意外ですよね。話し方とか、色々。ふざけてそうで、実はこの業界では有名人です。実力も世界中で5本の指には確実に入りますよ。」
「マジか……。」
マーリン先生の部屋が近づいてくる。そんなことを聴くと少し身構えてしまう。扉の前まで、もうすぐだ。
「気にすることないですよ。マーリン先生はお偉いさん扱いされたり、謙遜されるのいやみたいですし。」
菫さんの言葉に心が和らぐ。この時間が終わるのが、なぜか惜しい。そんなことを考えている自分に気づいて、また落ち着かなくなる。――ドギマギしすぎだ。それでも。彼女と並んで歩くこの短い道は、ファウストの部屋より、ずっと息がしやすかった。




