追想と追憶
夜。部屋の灯りを落とすと、学院の喧騒は嘘のように遠くなった。窓の外には、淡く光る結界と、規則正しく配置された灯りが浮かんでいる。部屋の外へ出て、侑はスマホを手に取った。
――まずは、家。呼び出し音が二度鳴って、すぐに繋がる。
『侑? 着いたの?』
「うん。もう部屋にも入った」
『無事でよかった……』
母の声が、少しだけ緊張を含んでいた。
「思ってたより、普通だよ」
『普通?』
「建物も広いけど、変に堅苦しくないし。先生も……まあ、独特だけど」
『独特って?』
「うーん、部屋が……散らかってる?とか?」
『うふふ。なあにそれ?そんな人も教師できるのね』
「大丈夫大丈夫。ちゃんと教えることは教えてくれる」
笑いながら言うと、向こうの空気も少し和らぐのがわかった。
「生徒もいろんなやつがいてさ。実技好きなやつとか、勉強派とか。夕飯も普通に美味しかった」
『ちゃんと食べた?』
「山盛り」
『……本当に?』
「本当」
父の低い笑い声が聞こえる。
『無理はするなよ』
「してないって」
少しだけ、意識して明るく答える。
「なんかさ、思ってたより……やっていけそう」
その一言に、向こうが黙る。
『……そう』
母の声が、柔らかくなった。
『それなら、よかった』
「だから、心配しすぎないで」
『心配するなって方が無理よ』
「でも、ちゃんと連絡するから」
『……うん』
短い会話だったけれど、それで十分だった。スマホを置き、少しだけ深呼吸する。次の相手に、指を伸ばす。
――小春。呼び出し音のあと、少し遅れて声が聞こえた。
『……侑?』
「起きてた?」
『うん。なんとなく』
いつもの声。けれど、どこか不安のようなものが混じっている。
『学院、どう?』
「悪くないよ。上手くやっていけそうな気がしてる。」
笑ったつもりだった。
「広いし、人も多いし。変な先生もいる」
『変な先生』
「すごく」
小春が小さく笑う。
『侑がそう言うなら、相当だね』
「でも、悪くない」
少し間を置いて、続ける。
「夕飯、みんなで食べた。うるさくてさ、学生って感じで」
『……そっか』
その一言に、言葉が滲む。
『楽しそうで、よかった』
沈黙。侑は、天井を見上げた。
「……永介がいたら、絶対、もっと楽しかったんだろうな」
小春の息が、一瞬止まったのがわかった。
『……そうだね』
「絶対、俺に大食い対決しようって言ってくるぜ」
『その風景が頭にうかぶなあ」
「そう」
声が、少しだけ低くなる。
「……まだ、いる気がする」
『……私も』
夜が、二人の間に静かに流れる。
『でもね』
小春が、ゆっくり言った。
『侑が、ちゃんと前に進もうとしてるのは……嬉しい』
「前に、進めてるかな」
『うん』
即答だった。
『少なくとも、止まってない』
その言葉が、胸に落ちる。
「……ありがとう」
『無理しないで』
「そっちも」
短い別れの言葉。通話が切れ、部屋に静寂が戻る。
侑はスマホを置き、ベッドに横になった。不安も、悲しみも、まだ消えない。けれど――今日一日の光景が、少しずつ重なっていく。賑やかな食堂。笑う声。新しい場所。明日も頑張ろう。そう思いながら、侑は目を閉じた。夜は、静かに学院を包んでいた。




