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その召喚、人選ミスです!(パンダは白か、黒か。)

作者: 羽月仁子

 今週はとにかくツイていなかった。

 まず、月曜日から残業。結局そのまま週末まで残業に明け暮れることになった。お昼ご飯もロクに食べれず、痩せたというよりはすっかりやつれてしまい、目の下のクマもひどい。下ろし立ての服にしょうゆをこぼし、疲れが取れない体での出勤途中に、鳥のフンの洗礼をあびた。とにかく良いことがひとつもない一週間だった。

 さいごの、さいごまで。


『助けて、お願い、誰か』


 そんな声が聞こえたのは、長かった平日5日間と土曜日の出勤を終え、帰路に着いた時だった。

 忙しすぎて心底疲れ切っていた私は、そのか細い声にすら苛立ちを覚えた。声の感じからしてか弱い乙女なのだろうが、こちとら深夜残業6連勤目だ。見ず知らずの乙女よりも自分のバキバキの体を助けたい。


「ごめんだけど、それどころじゃない」


 こちらも負けじとか細い声で答えた。決してか弱いわけではない。単純に大声を出す元気がもうなかった。

 それが、今日が終わる、5分前の出来事だ。



   *



「……は?」


 目の前に広がるのは大草原。目印らしい目印は何もない。木の一本も立っていない。

 そして無駄に天気がいい。思ったより暑くないが、照り付ける日差しがまぶしすぎる。疲れた目にこの日差しはツライ。

 事情はよく分からない。よく分からないけれど、きっとあの声の主だ。


「だからさー……断っただろうが!!!」


 疲れすぎて頭が回っていないけれど、これはよくゲームやライトノベルで見るアレだ、アレ。そう…── 異世界転生。

 この場合は転移か。細かいことはどうでもいい。ただただ迷惑な話だ。なぜ私が顔も知らない人間のために呼ばれなければいけないのか。というか、呼ぶならせめてもっと元気なやつを呼べ。少なくとも深夜残業6連勤の人間を呼んではいけない。


「だってもはやここから動くことすら面倒くさい。もうここで寝ていたい。眠い、眠すぎる。あとお腹空いた。三大欲求恐るべし………」


 性欲は特にないけれど。眠気と食欲がいっぺんに来るのはなかなか厄介なものだ。どちらを優先すべきか。この場合、答えは簡単だ。とにかく寝よう。寝て頭をすっきりさせるのが大事だ。まずはそこからだ。

 というわけで、大草原のど真ん中で、私は深い眠りについた。

 先に言っておくが死んだわけではない。6連勤の疲れを取り戻すのにそれくらい深く眠らなければ無理だったというだけで、本当に死んだわけではない。だから、事態を把握するのに少し時間を要してしまった。

 目を覚ました瞬間、違和感を持った。なんだか少し窮屈な気がする。


(草の感触じゃない……?)


 あれからどのくらいの時間が経ったのかはわからない。まだ日は高いので、もしかしたらさほど時間は経っていないのかもしれない。わずか数時間で一体何が起きたというのか。


「………え?……棺に入ってる?」


 誰だよ。きちんと生死を確認せず棺に詰めたやつ。今すぐ出てこい。

 不幸中の幸いだったのはまだ埋葬前だったことだ。一応24時間置く、みたいな風習があるところで助かった。土葬はワンチャンあるが、火葬だったら一発アウトだ。そういうのが行われる前らしく、棺のフタも開いていた。ラッキー。


「異世界に呼ばれたばかりなのに、あやうく即退場するところだったわ……」


 それにしても誰だよ。確認せず棺に詰めたやつ。早く出てこい。大事なので二回目だ。


「なんで周りに誰もいないんだよ!! クソが」


 十分な睡眠を取ったが、やさぐれた心までは回復しなかった。もともとの性格だと言ったやつ、表に出ろ。今すぐ決闘だ。

 ちょっぴり好戦的なところがあるのは、長年剣道をやっていたせいだと思う。何かとすぐ戦って勝敗を決めようとするところが私の悪い癖だ。誰か木刀持ってきて。

 とりあえず、棺から出た。思ったよりクッション性がよく、目覚めは最高だった。これが棺でなければ。


「ひぃぃぃぃぃ! ぞ、ゾンビ? 生き返ったああああああ」

「最初から死んどらんわ!! 生死くらいきちんと確認しろや、クソが」


 うーん、と大きく伸びをしていたところ、どこかで摘んできたであろう花を大量に抱えた少年が、私の姿を見て悲鳴をあげた。ついでに腰を抜かしている。逃げようとしているようだが、這うことすらままなっていない。


「アンタ、危うく人殺しになるところだったんだからね。私が目を覚ましたことに感謝しなさいよ」

「へ?」

「だーかーらー! 私はただぐっすり寝ていただけなんだってば」

「声を掛けても全然起きなかったけど?」

「すごく疲れていたのよ。睡眠時間削って仕事してたし」

「そんな職場があるのか……」

「ここはどうかしらないけど、私がいたところではね。社畜というのよ。家畜みたいな意味合いで」

「なにそれ、ヤバすぎない?」

「アンタの行為もヤバいからな!」

「てっきり死んでいるものだと」

「確認しろや」

「死体になんて触りたくないだろ!!」

「だったどうやって棺に入れたよ?」

「それはこうして、こうやって、こんな風に」


 なるほど。魔法がある世界線か。いや、魔法があったとて。生死の確認を怠るのは絶対にダメだろう。この少年、この調子で生きている人間も棺に詰めていそうで怖い。


「とにかく、生死の確認はちゃんとして。触りたくないのなら、魔法で何かわかる方法でも考えなさい。出来るかどうか知らないけど」

「そうだね。俺もうっかり人殺しになりたくないしな。魔法は得意なんだ。何か探してみる!」


 意外と素直な子だった。ぜひそうしてほしい。うっかりで人殺しなんて、するのもされるのも嫌だ。


「それにしてもあの棺はどうするつもりだったの?」

「別にどうも。とりあえず棺に詰めておけばいいかなあと」

「雑! すんごい雑!! だったらそのまま放置していけよ」

「見てしまった以上それはなんか気が咎めるというか」

「結局置いていくんだから一緒だろうが!」

「まあ……確かに。俺の気分の問題というか、見えなければいいかなあとか、なんというか」

「大草原の真ん中に棺がある方が目立つよ……」

「それはそう」


 バツが悪そうな少年は、ポリポリと頭を掻いた。彼は見た目以上に少年だった。とりあえず〝片づける〟ことが優先順位第一らしい。だから落ちている──実際には寝ているだけだったが──私を、棺の中に片づけた。ただそれだけなのだ。死んでいるかどうかはたぶんどうでもよかったんだろう。いや全然よくないけどな。生死大事!


「まあ、俺のミスは素直に謝るよ。ごめん。謝るけど、こんなところで寝ているアンタも大概だからな!」

「それはそう。そこは反省するね。ごめん。とにかく眠くて。何をするにもまずこの眠気をなんとかしなきゃって思ったのよ」


 動くのも億劫だったことを付け加えた。元気なつもりでもやはり6連勤は正気じゃない。労基に訴えればよかった。たぶん勝てたよ、私。


「アンタのその格好……もしかして」

「やっぱりわかっちゃう?」

「奴隷か!」

「なんでだよ!!! どう見ても異世界人だろうが! 見ろよ、このヨレヨレの服……ハッ……! これか、このヨレヨレがダメなのか。ここが奴隷要素か……クソが!……髪もボサボサだし、目の下のクマもひどい。肌荒れもしてるしな……はあ……そりゃそうだよ。聖女様なんて呼ばれちゃうようなキラキラ女子高生じゃない。29歳独身、彼氏がいたのなんて遠い昔。家ではすっぴん眼鏡ジャージの干物女3点セットで過ごしているくらいだもんな。奴隷がいいところだよな」

「感情の落差! 落差がすごいから!!」


 目の前の少年がドン引きしている。わかる。私でもドン引きだわ。というか、この服下ろし立なのにほぼ座りっぱなしで仕事をしていたのと、草原のど真ん中で寝ていたせいでしわしわでくたくたになっているではないか。高……くはなかったけど、下ろし立てなのに。


「何だかよく分からないけど、元気だしなよ」

「もしかしたら家畜の方がいい暮らしをしているかもしれない」

「……そ、そんなことないよ………(たぶん)」


 まったく感情がこもっていない少年の声は、たまたま吹いた強めの風にかき消された。ついでに私のこの空しい思いもかき消してほしい、切実に。


「それよりも私を呼んだ女はどこだよ。呼ぶならちゃんと呼んでほしい。ここはどこなの? 周りに何もないんだけど?」

「アンタを呼んだ女が誰かは知らないけど、ここは王宮の裏にある死の森を抜けた先にある光の草原だよ」

「情報量が多い。それに死の森の先に光の草原……ここは天国か!」


 この場合の天国は、元の世界でいうところの死者がいく場所という意味で、だ。なんとなく死者の魂が飛んでいそうな雰囲気がある。無駄にキラキラした感じが。ちなみにキラキラして見えるのは、妙にみずみずしい草が異常なくらいまぶしい太陽の光に反射しているせいだ。


「死の森と呼ばれてはいるけど、実際はそういう怖い感じの森じゃないんだよねえ。仕切りみたいな意味合いがあって、王宮側は木が密集しているんだ。だから鬱蒼としていて、少し気味が悪く感じるようになっている。死の森というもっともらしい名前にして、迂闊に人間が入ってこないようにしているわけ。それでもまあ好奇心旺盛な人間はいるんだけどね」

「度胸試しってやつ?」

「そうそう」

「無謀な人間はどこにでもいるのね」


 まあ、実際は無謀でもなんでもないけれど。ちょっと薄暗い森を抜けたら大草原が広がっているだけだから。でも知らない人からすると大冒険をしている気分になることだろう。最終的にガッカリさせられるわけだけど。


「で、アンタを呼んだ女の話だけどさ」

「心当たりがあるの?」

「王宮の北側にある塔に、第二王女殿下が閉じ込められているという話を聞いたことがある」

「は?」

「第二王女殿下の母親である第三夫人が魔女の家系で、彼女は何かしら王宮にとっては不都合な能力を持っている、というのが理由だ。実際にどんな能力を持っているかは誰もしらないけど」


 まだ十二歳だそうだよと、少年は付け加えた。


「さらに情報が多い。え、第三夫人?」

「気になるのそこ?」

「私がいた世界では一夫一妻制だからね。一夫多妻制に慣れていないのよ」

「なるほど。でも、それは国王だけの特例だよ。世継ぎが生まれないと困るからね。とはいえ、貴族社会では暗黙の了解で愛人はいるんだけど」

「どこの世界でも男は変わらんなあ。クズばかりやないかーい!」


 思い出してしまった。それなりに長く付き合っていたパートナーが若くて可愛い職場の部下に手を出して妊娠させたことを。

 当時の私は仕事が忙しすぎて、もはやあの男のことなど本当にどうでもよかった。だからこそ浮気されたのだと思うが、浮気をするような人間はどんな理由があれ総じてクズ認定だ。彼の不運はこんな女をパートナーに選んだことだろう。それは本当に気の毒だったと思う。適当に「はいはいわかったおめでとう」とまったく気のない返事をする私を見て、彼はひどく傷ついた顔をしていた。

 彼は私を捨てたようでいて、実際は私が彼を捨てたのかもしれない。今となっては本当にどうでもいい話だ。


「えっと、それで?」

「ああ……だから、この界隈で異世界から人を呼べそうな力を持っている女の人といえば第二王女殿下くらいしか思いつかないという話」


 その声の主が本当に十二歳の第二王女殿下であるのならば、彼女は確かに何かしらの能力は持ち合わせているようだ。私をこうやって呼び寄せている。ただ、何の力も知識もないアラサー喪女を呼び寄せたあたり、この召喚は大失敗だ。


「聖女信仰はあるけど、教会や聖女には不思議な力なんてないんだよ。祈りを捧げるというのは、それらしいことを呟いて祈るだけ。信じるも信じないもあなた次第、みたいな大博打。祈りだけで魔物がいなくなったり、雨が降ったりなんてことありえないから。そんなの子どもでも知ってる」

「まあ……天候はある程度予測はできるけど……」

「え? まさかの聖女?」

「そんなわけないでしょ。こっちの世界だと天気の予測はある程度できるんだよ。専門知識はいるけど」

「魔法を使わずにしてそんなことができるなんて」

「逆になんで魔法でできないかな、そういうの」

「大抵の人間が魔法を使えるけれど、使いこなせる人はほんの一握りなんだよ。転移魔法や時空をゆがめる系の魔法は高位で、魔導士協会でも使える人がほとんどいないんだ。この国でそれが出来るのは王弟殿下くらいだと思う。あと魔法使いと魔女は似て非なるもので、よく議論の対象になるくらいややこしいんだ。上手く説明できないんだけど」


 魔法がある世界もいろいろと複雑らしい。ここに住んでいる人が説明できないことを、異世界から来た私が理解できるわけがない。とりあえず、魔法使いと魔女は別物。それだけは覚えておこう。


「塔から出してほしいのかしら、その子は」


 どっちが北なのか分からないけれど、なんとなくの方向を見つめて呟いたら、少年から「そっちは南だけど?」と言われた。強めに「知ってるし!」とそっぽを向きながら言うと「なんでそこで張り合うんだよ。素直に間違えたっていえば良くない?」と返された。知ってるよ。それが出来れば私の人生もう少し楽だったと思う。いやマジで。見つめ合うと素直にお喋りできないツンデレなんだよ、私。自分でいうのもアレだけど。


「そもそも彼女が呼んだかどうかもわからないけど」

「確かに。でも、こういうややこしいことする奴って大体が王族関係とかそれに近い偉い人とか、教会関係者とかでしょ? 知らんけど」

「偏見がひどい。でもおおむね当たってる」

「私はとにかく家に帰りたいのよ。別に社畜に戻りたいわけじゃあないけど」


 そう、社畜に戻りたいわけではない。ただ、私は根っからのシティ派なのだ。

 たまに行く自然豊かな地は悪くないが、生活するなら断然都会だ。ありとあらゆる文明の利器の世話になって生きていきたい。決してズボラなわけじゃない。そこに素晴らしい発明品があるのならば使いたくなるのが人間の性だ。

 この世界の文明がどれほどかは知らないが、もとの世界にはかなわないだろう。ここが某猫型ロボットが住んでいる世界ならいざ知らず、異世界というものは往々にしてもとの世界の文明にはかなわないものだ。

 そんなことをぼんやり考えていた私のことを、ホームシックだと勘違いした少年が少し悲しそうな顔で見つめていた。


「家族とか恋人に会いたい、みたいな?」

「あー……そういうのはないね。家族も恋人もいないし」

「まさかの天涯孤独」

「素敵なお一人様ライフと言って」

「物は言いよう!」


 とにかく、ここにいても拉致があかないので、一縷の望みをかけて第二王女殿下に会いに行くことにした。もちろん正面を切って王宮に突入する勇気はない。

 だから…──


「や、やめようよ! 絶対無理だって!」

「登れる気がする」

「なんでだよ……無理だよ。魔法を使ったとしてもこんな高い塔……ええ……」


 体力づくりのためにやっていたクライミング技術がここで役に立つとは思わなかった。なんでもやっておくものだな、うん。


「……絶対人選ミスだよ……この人が何を救ってくれるっていうんだよ」


 少年は頭を抱えたものの、私を放っておくのは良くないと思ったようで、塔に足をかけた。ちょっと魔法でズルをしながら。


「私を呼び出した奴を泣くほど問い詰めてやるんだから!」

「ねえ、止めてあげて。もし第二王女殿下だったらまだ十二歳なんだよ?」

「子供とか大人とか関係ないから! 帰す方法がないとか言った日には、帰す方法を見つけるまで絶対にまとわりついてやる!!」

「絶対人選ミスだよ……なんでこの人呼んじゃったの、エライ人おおおおお」


 少年の声が、空しく響いた。

end.(2024.8.21)

何も解決していないwww。

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