第144話 神殺しの武器
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数日後。俺たちはようやく、懐かしい街の入り口へと辿り着いた。夜中か、もう日付もよく分からない。森にモンスターがいなくて助かった。
街は、驚くほど平穏だった。ウォークアバウト紙の号外が、街角のスタンドに置かれているのが分かった。
「ブレイク、あの文字は見えるか?」
「触らないと分からない」
「分かった、読むぞ。『謎の飛翔体、カービージャンク上空に出現。しかし、被害なく飛び去る』だそうだ。奴は、一度この街に来ている」
やはり、そうか。未来の俺は、この街には手を出せなかったのだ。奴がかつて守った、名もなき人々が暮らすこの街を、絶望に染まりきった奴ですら破壊することができなかった。その事実に、俺は一筋の光を見出したような気がした。
だが、そのわずかな安堵も、限界に達した肉体の悲鳴の前には無力だった。長旅と癒えぬ傷で、俺の体力は完全な限界点を超えていた。街の門をくぐった直後、俺の意識は急速に遠のいていく。
「おい、しっかりしろ、ブレイク!」
クロガの焦った声が聞こえる。だがもう、指一本動かせない。俺が地面に崩れ落ちようとした、その時だった。
「おい、そこで何をしている!」
鋭く、しかし、聞き覚えのある声が鼓膜を震わせた。
現れたのは、国際治安維持組織の真新しい制服をきっちりと着こなした、ボルトだった。彼は、街の入り口をパトロールしている最中だった。
ボルトは、俺たちのみすぼらしい姿を見て、一瞬、眉をひそめた。そして俺の隣にいる男の顔を見て、その表情を凍りつかせた。
「……クロガ!」
ボルトは条件反射のように、腰のホルスターからハンドガンを抜き放ち、その銃口をクロガへと、正確に向けた。
「動くな! 何故お前がここにいるんだ! 国際指名手配中の、重犯罪者が!」
だがボルトの視線は、クロガの隣で倒れかけている、フードを深めに被った俺の姿を捉え、その動きをぴたりと止めた。
その佇まい。常人ではない、異様な気配。そして何よりも、その存在が放つ、プレッシャー。それはかつて、この街をラーズの襲撃から救った、あの、黒い影……ダークエイジそのものだった。
「……ボルト……頼む……」
俺は、最後の力を振り絞り、か細い声で彼の名を呼んだ。ボルトはハンドガンを構えたまま、数秒間、激しく、葛藤していた。彼の職務は、目の前の脱獄犯を即座に逮捕することだ。
それが法であり、正義。しかし、世界の危機をその身一つで告げているかのような、俺のただならぬ様子が、彼のその正義を大きく揺さぶっていた。
「……チッ」
やがて、彼は大きく舌打ちをすると、その構えていたハンドガンをゆっくりとホルスターへ収めた。
「今日は非番だったことにする、俺は何も見なかった、よし」
ボルトは、自身を納得させるようにそう吐き捨てると、俺とクロガの両腕をその肩に担いだ。
「親しい友人の家が近くにある。そこまで、歩けるか」
彼のぶっきらぼうで温かい言葉に、俺はただ、小さく頷き返すことしかできなかった。
親しい友人の家、それは閑静な住宅街に建つ、ごく普通の一軒家だった。彼が合鍵を使って乱暴にドアを開けると、中から迷惑そうな顔をした一人の男が現れた。
「おい、何度言ったら分かるんだ、こんな夜更けに人の家に、勝手に入ってくるな……って」
そこにいたのは、新聞記者のハードだった。彼は俺たちの姿を見て、驚愕に目を見開いた。特に隣にいるのが、世界を裏切った大罪人・クロガであることに気づいた時の彼の表情は、言葉にできないほど険しいものだった。
「説明しろ、ボルト! 何故こいつが脱獄している!」
「俺も知らない! とにかく、こいつらを匿う。いいな!」
ボルトとハード。この世界で二人は、顔を合わせれば憎まれ口を叩き合う、いわば犬猿の仲のようだった。だがその棘のある言葉の裏側には、その生き様を心の底から尊重し合っている深い信頼関係が、確かに存在していた。
ボードの方に意識を向けると、そこには大量の文字が書かれた紙が貼り出してあった。文字は認識できないが、何度も同じ文字を書いたのか、その文字の形に机が傷ついているのが分かる。その文字とは、アポカリプス。
警察組織と報道、立場の違う二人はそれぞれのルートで情報を集め、この一週間、世界を恐怖に陥れていた謎の襲撃者・アポカリプスの正体について、独自に考察を重ねていたのだ。
しかし、俺は彼らの前で、自らの正体が、ブレイク・カーディフであることを明かすことはできなかった。そしてアポカリプスが、未来の自分であるという、あまりにも荒唐無稽で信じがたい事実を告げることも、もちろんできなかった。
ただ、奴は世界の理そのものを歪める、危険な存在だ……とだけ伝えるのが、精一杯だった。
ハードは文句を、百も二百も言いながらも、結局は俺たちを匿い、その妻と共に手厚く介抱してくれた。そこで俺の意識は、完全に途切れた。
…………
………………
……………………
深い、深い、眠りの中で、俺は夢を見た。
それは、ただの夢ではない。俺の胸の奥深くで、再びその力を取り戻し始めた石が、俺に直接見せている、啓示の夢だった。
夢の中で俺は再び、あの黄金の槍バルカと、白銀の槍ハンニバルを手にしていた。その二本の槍は俺の意志に応え、一つに融合していく。かつてラーズを倒した、螺旋状の、神雷の槍。だが、夢の中のビジョンは、そこで終わらなかった。
神雷の槍は、更にその形を変え、凝縮され、やがて一本の、純粋な光の奔流そのもののような剣へと、その姿を変えたのだ。
そして夢の中の声が、あるいは、石そのものの意志が、俺に直接語りかけてきた。
その剣の名は、星雷の剣アークセイバー。
神雷の槍をも遥かに凌駕する、究極の、神殺しの武器。だが、その剣をこの世に創造するためには、一つの絶対的な条件があった。
この星に生きる全ての生命の、善なる意志。諦めない心。誰かを愛する心。明日を信じる心。その、無数に存在する、生きようとする、人々の生命エネルギーのその全てを、俺というただ一つの器に集め、束ねること。それによって、初めてこの究極の剣は、創造されるのだ……と。
夢から覚めた俺は、そのあまりにも壮大で、そして無謀な啓示に、ひたすら愕然とした。
(全世界のエネルギーを集める、だと……そんな馬鹿なことが、できるはずもない……)
それはもはや、奇跡という言葉ですら生ぬるい、神の領域のことだった。だが他に、あの神の力を手にした、未来の俺・アポカリプスを倒す手段があるというのか。
ない。
俺は、覚悟を決めるしかなかった。
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