第143話 世界の終わり
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「人類は、為す術なく滅んでいった。街が、いとも簡単に焼かれ、人々が家畜のように食われ、俺たちが命懸けで築き上げてきたはずの文明が、あっけなく崩れ去っていくのを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。俺はその地獄の中で、必死に、ただ、必死に、彼女一人だけを守ろうとした。だが結局……それすらも守れなかったんだ」
奴の声が、苦痛に震える。
「俺があの時、強大なモンスターに敗れたのなら、まだ諦めもついたのかもしれない。だが、彼女を殺したのは、ただのチンピラだ。飢えに狂った、ただの人間だった。ほんのわずかな食料を奪い合うなんて、くだらない事で、彼女は、あっけなく……世界の終わりというのは案外、そんなものなのかもしれないな」
そして奴は、俺の胸ぐらを掴み上げた。
「この無力感が、お前に分かるか。世界を救ったはずの力を持ちながら、たった一人、愛する女一人さえ、救うことができなかった。その身を裂くような地獄の苦しみが、今のお前に、分かるかと聞いているんだ!」
奴の魂からの絶叫が、夜明け前の静かな森に虚しく響き渡った。
「……もう、時間がない」
未来の俺は感傷を振り払うように、その表情を再び、無機質な破壊者のそれに戻した。奴は俺を地面に捨て、光雷の剣バエティスをもう一度構える。
「お前と、そして、お前が愛したこのくだらない世界には、ここで消えてもらう」
奴は、ボロボロになって、もはや一切の抵抗ができない俺にとどめの一撃を振りかぶった、その瞬間。
カンッ!
甲高く、そしてどこか懐かしい音が、響き渡った。
未来の俺の振るった光雷の剣バエティスが、見えない壁に阻まれたかのように、寸前で止められていた。意識を下に向けると、なんと俺の胸から、俺の意志とは全く関係なく、黄金の槍バルカと、白銀の槍ハンニバルが自動的に出現し、まるで盾のように交差して、渾身の一撃を防いでいたのだ。
「まさか、石の自動防衛だと……!」
胸に眠る石が、自らの存在基盤である現在の俺を守るために、最後の力を振り絞り、防衛機能を発動させたみたいだ。
「チッ……エネルギー切れか!」
未来の俺は、忌々しげに舌打ちをした。時間跳躍と、度重なる戦闘。そして石の抵抗によって、奴のエネルギーは遂に限界点に達してしまったらしい。この石の自動防衛を無理やりこじ開けるほどの力は、もう奴には残っていなかった。
「……運のいい、奴め」
奴は光雷の剣バエティスを、背中に戻しながら吐き捨てた。
「だが次はない。次に会う時が、お前の、そしてこの世界の本当の最期だ。それまでせいぜい、残された僅かな時間を、存分に楽しむがいい」
未来の俺は、そう、一方的に、宣戦布告すると、その体が、陽炎のように、ゆらりと、歪み始めた。そして、次の瞬間には、跡形もなく、その場から、姿を消していた。未来へと、一時的に、退却したのだ。
後に残されたのは、血と泥にまみれボロボロになった、俺とクロガ。そして、重苦しく絶望的な沈黙だけだった。俺の胸から現れた二本の槍もまた、その役目を終えたように、静かに光の粒子となって消えていく。
しばらくしてクロガが、掠れた声で口を開いた。
「とんでもねえ未来だな、俺たちの世界は」
「ああ。最悪だ」
俺は吐き捨てるように、そう答えた。だが、たちの瞳には、もう先ほどまでの絶望の色はなかった。
倒すべき敵が、そして守るべき未来が、はっきりと見えたからだ。未来の俺がどんなに絶望的な過去を語ろうとも、それはまだ、確定した未来ではない。俺たちが今ここで諦めない限り、未来は変えられるはずだ。
「クロガ」
「……なんだよ」
「もう一度、俺に力を貸してくれ。今度は俺の、独りよがりな正義のためじゃない。俺たち自身の、そして、俺たちの未来のために」
俺は血と泥に汚れた、動くはずのない右手を、最後の気力を振り絞って持ち上げ、クロガに差し出した。クロガはその俺の手を、しばらく黙って見つめていた。やがて、その絶望に歪んでいたはずの口元にニヤリと、かつての不敵な笑みが蘇った。
「……まあ、未来のブレイクに殺されるなんて悪夢みたいなものだ」
彼はそう言うと、俺の出した手を力強く握り返した。
「仕方ない、今だけ昔を忘れよう。お前がしてきた仕打ちとかどうでもいい、今は未来からやってきたお前を、二人で倒してやろう」
朝日が、森の木々の間から差し込み始めた。その新しい希望の光の中で交わされた、固い握手。それは利害関係も、過去の忌々しいしがらみも、その全てを超えた、真の共闘の始まりを告げる、誓いの儀式だった。
未来の絶望した自分自身を殺すための、俺たちの最後の戦いが、今、この瞬間、始まったのだ。
だが、どうすればいい。未来の俺を、あのアポカリプスをどうすれば倒せるというのか。答えのない問いが、疲弊しきった俺の頭を支配する。その時だった。
俺の胸の奥深くで、あの石が再び、微かに脈動を始めた。そして石は一つの方向を、コンパスの針のように指し示していた。その方角に、何があるのか。俺には、分かっていた。
「カービージャンク……」
そう、ハードやボルトがいる、ダークエイジを生んだ、あの街。
「まさか、あそこに行けっていうのかよ」
クロガが、吐き捨てるように言った。
「今更あの街に行ったところで、何をするんだ」
「……分からない。やめるか?」
「何も言うな、アテがないんだ、行くしかない」
クロガの言う通りだった。今の俺たちは、この、か細い蜘蛛の糸にすがるしかない。俺とクロガは、ボロボロの体を引きずり、互いの肩を貸し合いながら、カービージャンクへの果てしない道のりを、歩き始めた。
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