第129話 最終決戦「いい、それでいい」
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「好都合だな、ブレイク、まだ分からないのか。お前が守ろうとした、その不完全な世界は、苦痛と争いに満ちている。個として存在する限り、人は互いを理解できず、傷つけ合い、憎しみ、その連鎖は永遠に続いていく。貧しさ故に盗み、孤独故に心を病み、異なる正義を掲げては血を流す。なんと愚かで、醜く、そして悲劇的なシステムだろうか。私の計画こそが、その全ての苦しみから生命を解放する、唯一絶対の救済だったのだ」
ラーズの言葉は、完璧な論理で構成されていた。事実だけを切り取れば、その通りなのだろう。世界は、彼女が言うような悲劇に満ちている。それでも俺の心は、少しも揺らがなかった。
「お前の言う通りかもしれないな」
俺は、静かに答えた。
「世界は不完全で、悲劇に満ちている。奪い合いも、憎しみも、決してなくなりはしないだろう。だが、世界は……それだけじゃない」
俺は脳裏に浮かぶ光景を、一つ一つ言葉にしていく。
「自分の身を挺してでも、誰かを守ろうとする、馬鹿げた勇気がある。大切な誰かを失った悲しみを知るからこそ、他人の痛みに寄り添える優しさがある。くだらない冗談で腹を抱えて笑い合える、何気ない時間がある。不完全だからこそ、欠けている部分があるからこそ、そこに生まれる、かけがえのない輝きがあるんだ」
モンタージュの兵士たちが、命令に背いてまで、街を守ろうとしたあの決意。ハードが、亡き妻への想いを胸に、戦い続けたその愛。ボルトが、理屈を超えた直感で、俺を信じてくれたあの行動。
ダークエイジを信じた人々、ブレイク、アーク、名前が何であれ、みんな俺を信じて戦った。俺も、みんなを信じたし、みんなを守るために戦った。
何よりクロガは、歪んではいても、俺との絆に必死に縋ろうとした。その哀れなほどの、人間らしさ。
「お前が非効率だと切り捨てようとした、そのぐちゃぐちゃで、格好悪くて、矛盾だらけの感情こそが、俺たちが生きる意味そのものなんだ。完璧な調和の中で永遠に続く平穏など、死と同じだ」
俺の言葉には、俺一人の想いだけではない。俺が出会ってきた、全ての人々の想い、そして、俺に力を託した魔王の意志が、確かに乗っていた。
「個々が、それぞれの色で、それぞれの形で輝くからこそ、世界は美しい。それが、俺の、そして、お前が殺した魔王の答えだ」
目の見えない俺に、色は感じ取れない。それでも、各々の輝きとその色は、いつだって分かる。そして色が個々に存在するこそが、生きるってことだと思う。
俺の言葉は槍のように鋭く、ラーズの論理の鎧を貫いた。奴は初めて言葉に詰まり、その表情をわずかに歪ませた。彼女の理想は、あまりにも完璧で、そして、あまりにも生命の実感から、かけ離れていたのだ。
言葉で追い詰められたラーズは、次の瞬間、表情を一変させた。それは、静かな狂気によるものだった。
「ハハ……ハハハ……アハハハハハハッ!」
ラーズは突然、腹を抱えて、甲高い声で笑い始めた。純白の空間に、その不気味な笑い声だけが、こだまする。
「いいだろう、ブレイク・カーディフ! お前の言う、その虫けらのような、ちっぽけな個の輝きとやらが、これからどうなるか、その目に焼き付けてやるといい!」
笑い終えたラーズは、顔を上げ、勝利を確信した罪人のように、言葉を吐きかけた。
「お前は私を倒したつもりでいるようだが、大きな間違いを犯した。私が死んでも、私が集めた魂は、決して解放されることなどないのだ!」
「……何だと?」
「私の体は、ただの器に過ぎない。私が死ねば、その器は消える。だが、中に囚われた、国一つ分の魂は、出口を失い、混沌としたエネルギーの渦の中でぶつかり合い、完全に消滅する」
ラーズは、恍惚とした表情で続ける。
「ブレイク、お前は世界を救った英雄などではない。これから、永遠に救われることのない魂たちを生み出した、史上最悪の破壊者になる! 素晴らしい結末だとは思わないか! お前の信じた個は、永遠の苦しみの中に閉じ込められるのだ!」
その言葉は、確かに絶望的だった。もしそれが真実なら俺の勝利は、街の人々にとって、死ぬよりも残酷な結末を意味することになる。
ラーズは、俺が絶望に打ちひしがれる顔を期待して、俺の反応を待っていた。
だが、俺の表情は、変わらなかった。
「……その可能性は、何となく予想していた」
俺は、静かに答えた。ラーズほどの力を持つ者が、自らの死と共に、全てが元通りになるような、間抜けな仕組みを作るとは思えなかったからだ。俺は自らの胸に、そっと手を当てる。そこにある石が、俺の意志に応え、温かく、そして力強い光を放ち始めた。
「ラーズ。お前は石の力を、半分しか理解していなかったようだな」
俺は、石の力で、一つのイメージをラーズの意識に直接見せた。それはエネルギーを操る、破壊と創造の力だけではない、この石が持つ、新たな可能性だった。
「時の石で世界をリセットし、力の石でお前を倒した。残された空間の石の力を、ここで使う」
俺はラーズの瞳を真っ直ぐに見据えて、宣言した。
「お前の死と共に消滅する器を、空間の石で作り直して解放し、個々の体に戻す。そうすれば、彼らは復活する」
俺の言葉によって、ラーズの顔から遂に余裕の色が消え失せた。奴の完璧な計画に、唯一、想定外の変数があったとすれば、それは魔王が遺したこの石の真の力だったのだ。
ラーズは、驚愕に目を見開き、一瞬言葉を失った。だが、奴は最後の最後まで諦めなかった。すぐに頭を切り替え、俺を揺さぶるための最後の悪あがきを始める。
「しかし、その石の封印を解く方法を知っている可能性があるのは、この宇宙で、この私だけだ。どうだ、ブレイク。私を生かせば、いつかお前は、再びこの全能の力を手にできるかもしれない。さあ、選ぶがいい。このまま私を殺して、永遠にただの盲目の人間に戻るか? それとも、私を生かして、力の復活という、輝かしい可能性を残すか?」
それは、究極の選択だった。神にも等しい力を手放し、元の無力な自分に戻るか。それとも、悪魔に魂を売り渡し、再び力を得る可能性に賭けるか。
俺の答えは、決まっていた。俺は静かに、しかし、心の底からはっきりと答えた。
「いい、それでいい」
その言葉はラーズにとって、完全な予想外だったらしい。奴は、狼狽を隠せずに後ずさった。
「石の力がなくたって、世界は続く。お前が言うように、また争いも、悲劇も、繰り返し起きるんだろう。だがな、その度に、俺たちが、俺たちの手で、乗り越えてみせる」
俺は、自らの両手を見下ろした。傷だらけの、戦い抜いた男の、ただの人間の手。見えなくても分かる、感じ取れる。
「さよならだ、ラーズ。お前は、きっと、強すぎたんだ。そして……あまりにも、孤独すぎた」
俺はラーズに、最後の言葉を告げる。これは、断罪でも憐れみでもない。ただ、事実として。そして、この白い精神空間の中でも、自らの意志の力で、黄金の槍バルカを生成した。その輝きは、先ほどよりも、さらに純粋で、力強い。
そしてその槍を、今度こそ一切のためらいなく、ラーズの少女の姿をしたその心臓に、深々と突き刺した。
「あ……」
ラーズは、最期に何かを言いかけたが、その言葉が音になる前に、奴の体は、足元から、さらさらと美しい光の粒子となって崩れ始めた。その最後の表情は、驚くほど穏やかで、どこか安らかなものに見えた。
奴の存在が、完全に消滅したのと同時に、俺が作り出したこの白い空間もまた、ガラスのように砕け、崩壊を始めた。白い世界の破片が、無数に舞い散る。崩れゆく空間の中で、俺は最後の力を振り絞った。胸の石が、その生涯で、最も強く、そして、最も美しい輝きを放つ。
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