第124話 最終決戦「長すぎる」
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「なんだ、これは」
ラーズが、信じられないといった表情で、ゆっくりと振り返る。その美しい顔が、初めて純粋な驚愕と、裏切られた怒りと、そして明確な痛みによって醜く歪んでいた。彼女はよろめき、祭壇の石段に手をついた。
クロガは、背中に突き刺した刃の柄を、震える両手で強く握りしめたまま、絞り出すように叫んだ。
「ラーズ、お前の独裁はここで終わりだ!」
その声には、正義を成す者の力強い響きだけではない、何か必死で、切実で、懇願にも似たような響きが混じっていた。彼は突き刺した刃を捻りながら、俺の方を振り向いた。その瞳は、狂気的な熱を帯びている。
「ブレイク! 俺は……俺は、ずっと待っていたんだ。もう一度、こうしてお前と共に戦える時を!」
その言葉に、俺は眉をひそめた。
「俺たちは仲間だったはずだ。一度目の世界では、俺は奴に屈した。しかし今度こそ、今度こそ二人でやり直せる! この女さえ倒せば、忌まわしい過去も全て清算して、二人で生きていける。もう、全てを終わりにしよう!」
その言葉に、俺は少しだけ違和感を覚えた。彼のドクン、ドクン、と鳴る鼓動そのものは、生きている人間の正常なリズムだ。だが、その音の裏に、僅かなノイズが混じっている。一定であるべきリズムが、コンマ数秒の単位で揺らぎ、乱れている。
それは、真実と嘘を巧みに織り交ぜて語る人間が、自らを騙し、相手を騙そうとする時に発する、精神的な動揺の不協和音。
「俺はこの時を待っていた、この刃なら背中を貫ける……そしてブレイクの死に際なら、貴様も油断するだろう!」
「……ッ! この裏切り者が!」
ラーズが、地を這うような声で、強くうめいた。
「私に依存しなければ、孤独で野垂れ死んでいたというのに……この私を、裏切るかッ!」
激昂したラーズから、凄まじい念動力の衝撃波が爆発した。俺は咄嗟に身を伏せたが、クロガは真正面からその衝撃を受け、吹き飛ばされる。だが、彼は空中で体勢を立て直し、着地すると同時に、再びラーズへと切りかかった。
「黙れ! 貴様の歪んだ理想などもうたくさんだ!」
クロガの振るうエネルギーの刃が、ラーズの放つサイコキネシスの見えない壁と衝突し、バチバチと激しい火花を散らす。
「ご主人様に楯突くとは、良い身分だな」
遺跡の内部で、激しい戦闘が繰り広げられる。クロガが刃を振るえば、ラーズは遺跡の柱を念動力で引き抜き、巨大な槍のように投げつける。クロガがそれを切り裂けば、ラーズは床の石畳を絨毯のようにめくり上げ、津波のように襲いかからせる。
俺は負傷した体を引きずりながら、柱の陰から二人の戦いを凝視していた。このままクロガと戦えばラーズを倒せるか、いや、そもそも今の俺に、この戦闘に割って入る力があるのか。
二人の戦いは、徐々に遺跡の中央部へと移っていった。そこには、地殻変動か何かで生まれた巨大な裂け目があった。底は見えず、ただ不吉な風が、地の底から吹き上げてくるだけだ。
「これで、終わりだ!」
クロガが決死の叫びを上げた。同時に彼はラーズの念動力をかいくぐり、その懐へと飛び込んだ。そして奴の背中に回り、後ろから首を掴む。
「離せ、貴様!」
ラーズはもがくが、至近距離で組み付かれた状態では、強力な念動力も効果的に使えない。クロガは、ラーズの首筋にエネルギーの刃を突き刺した。
「消えろ、ラーズ」
「ぎゃああああああああああ!!」
声にもならない声を上げたラーズはふらつき、そのまま奈落へと倒れていった。あっという間に、その姿は地の底の暗闇に吸い込まれて見えなくなる。遺跡には、奈落から吹き上げてくる風の音だけが響いていた。
クロガは、奈落の闇をしばらく見つめていたが、やがて、やり遂げたという安堵の表情を浮かべ、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
「ブレイク、無事だったか!」
彼の声には、安堵の色が浮かんでいるように聞こえた。俺は瓦礫の上で身を起こそうとしたが、全身のダメージがひどく、力が入らない。そんな俺を見て、彼はごく自然に手を差し伸べてきた。
パシッ
その手を、俺は取れなかった。
手を振り払う乾いた音が、静かな遺跡に響く。
「えっ」
「長い、長すぎるぞ。クロガ」
クロガは味方になった。ラーズを倒し、俺を救ってくれた。彼は、ずっとこの時を待っていたと言った。ラーズに従うふりをしながら、反逆の機会を窺っていたのだと。
だが、心のどこかで、まだ彼を信じきれていない自分がいた。
「この戦いまで、多くの命が失われた。その間、お前は何をしていた……反逆を待っていたのか、だとしたら他にも手段はあったはずだ。罪のない人の命が奪われるのを、お前はずっと黙って見ていただけなのか」
世界が滅んでから、今日まで。それは、決して短い時間ではない。その長い間、ずっと屈辱に耐え、心を殺し、この一瞬のためだけに生きてきたというのか。それは、人間が耐えられる精神の負荷を超えているように思えた。
「……その通り、俺はずっと、自分を押し殺してきた。可能なら、ブレイクを追放することも、視力を奪うようなこともしたくなかったんだ」
「……そうか、なら」
「でも、今日しか無かった。奴の魔力で作られた刃じゃないと、奴の体に触れられない。そして何より、君の死に際のタイミング、これこそが奴の油断する唯一の瞬間だった」
「なるほどな、分かった」
俺は、彼の気遣いを無視する形で、瓦礫に手をつき、自らの力でゆっくりと立ち上がった。二人の間に、ぎこちなく、そして決定的な溝を感じさせるような沈黙が流れる。
「……それで、本当に倒したのか?」
俺は、その空気を断ち切るように、奈落を覗き込みながら尋ねた。底は見えず、ただ不吉な風が吹き上げてくるだけだ。
「ああ、この刃で奴の首を切った」
そうか。なら、終わったんだ。俺は、ひとまず彼の言葉を信じることにした。いや、信じたかった。この悪夢のような戦いが、ようやく終わったのだと。そう、思った矢先だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
遺跡全体が、まるで巨大な生き物が目覚めたかのように、激しく身震いを始めた。壁からパラパラと石屑が落ち、地面に走る亀裂が、音を立てて広がっていく。
「なんだ、これは……地震か!」
クロガが叫ぶ。違う、揺れの震源は、一つしか考えられない。奈落の底だ。
すると、地の底から、禍々しくも神々しい、巨大な青白い光が溢れ出してきたのだ。それは奈落の闇を完全に駆逐し、遺跡全体を真昼のように照らし出す。俺はその光の圧力を、肌で感じていた。
地響きは、もはや揺れというより、星そのものの悲鳴に近かった。奈落の裂け目が、ミシミシと音を立てながら、左右に、上空に、凄まじい力で押し広げられていく。
そして、そこから現れたのは、もはや人間の姿を留めていない、"何か"だった。
「そんな……馬鹿な!」
それは、透き通るようなエネルギーで構成された、巨大な、巨大な少女の姿をしていた。その身の丈は、数十メートルはあろうか。天を衝くほどの巨体は、遺跡の天井を紙屑のように突き破り、空の下にその異様な全身を晒した。
これは、ラーズだ。
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