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潺の鈴 御庭番怪異禄  作者: 霞花怜(Ray)


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第六章 真の終焉に、新たな今日が始まる《四》

 忠光への報告を終え、善次郎は江戸城を出た。

 温かな気持ちを胸に、皓月堂へと向かう。道中、白猫を見かけた。


(あれは、以前に声を掛け損じた、猫又か)


 鈴のついた朱の首輪を下げ、悠々と歩く姿には、見覚えがあった。声を掛けるか迷いながら歩いていると、猫が突然、善次郎に眼を向けた。

 どきりとして、立ち止まる。


「にゃ~ん」


 一鳴きして、白い猫又が善次郎の足にすり寄る。足の間をすり抜けて、ぴょん、と後ろに飛んだ。

 振り返ると、猫又が善次郎を見上げていた。目を細め、ぱっと裏路地へ消えて行った。


「笑ったように、見えたな」


 ぽそりと呟いたら、笑みが零れた。一つ一つ、自分の周りが変わり始める。

 眼界に、明るい光が見えるようだった。


「善次郎様! おけぇりなせぇまし! 如何でごぜぇやしたか?」


 後ろから、長七の声が響く。

 振り返るより早く、善次郎の横に並んだ長七の腰には、月白の鈴が揺れていた。


「今日の仕事は、滞りなく終わった。長七は、どうだった」

「長ぇこと長屋を空けておりやしたからねぇ。埃を払うのに、骨が折れやしたよ」


 ははっと眉を下げて笑いながら、頭を掻く。

 これは長七の癖らしいと、最近、気が付いた。


「そうそう、皆さんが、戻られましたよ! お鴇も、すっかり気を戻して、いつも通りだ。皆さんも息災です」


 長七が、ぱっと表情を明るくする。


「皆、皓月堂で善次郎様を待っておりやす。早く戻りやしょう!」


 善次郎の袖を引き、長七が走り出す。


「待て、待て。斯様に急かさずとも、皓月堂はすぐそこだ」


 長七の張り切った気持ちに釣られて、善次郎も早足になる。

 通旅籠町の人混みを抜け、大丸呉服店手前の細い路地に入る。

 奥に進むと、立派な鏝絵の施された朱塗りの壁が、見えてくる。

 新しい看板を掲げた皓月が、二人の姿に気が付いた。


「善次郎様、長七、おけぇりなせぇまし」


 平素の皓月に、善次郎は内心、ほっとした。


「それは、何をしておるのだ? まさか、看板も壊れたか?」


 何事か遭ったのかと、辺りを見回す。

 皓月が、口の端を上げて笑った。


「こんだけ立派な壁と戸を拵えてもらったんだ。看板も新しいのがいいと思いやしてね」


 かたり、と掛かった看板には真新しい≪皓月堂≫の文字が彫られている。


「これで店先が、見違えるほど立派になりやしたでしょう」


 皓月の嬉しそうな声に、善次郎は、頷いた。


「ああ、何とも良いな。実に、良い」


 壁に施された白い月と龍の鏝絵。戸と、新たに掲げた看板には、彫り文様が刻まれる。生まれ変わった店先に、善次郎は満足な心持で、見入った。


「あ! 善次郎様、おけぇりなせぇ!」


 環と円空が、戸口から顔を出した。


「二人とも無事か。怪我などないか?」


 善次郎の憂う声に、円空が頷いた。


「一番に怪我をしそうな環が無傷ですので。全員、息災です」


 環が、きっと円空を睨む。気に留めない円空から、ぷいっと顔を逸らして、店の中に声を掛けた。


「お鴇ちゃん、善次郎様と長七が、お戻りになったよ!」


 どきり、と胸が高鳴った。ととっと聞こえる小さな足音に、動悸が早まる。

 戸口から、ひょっこりと、お鴇が顔を出した。


「善次郎様、兄ちゃん、お帰りなさい」


 お鴇が、にっこりと笑む。

 平素と変わらぬ柔らかな笑顔と声に、体中に安堵が広がった。

 帯留めに結わえた鈴が、りぃんと、一つ、音色を流す。

 顔が緩み、気が付けば、微笑んでいた。


「ただいま、帰った」

「たでぇま!」


 善次郎と長七の声が、重なる。

 お鴇の目が、壁の龍に向いた。善次郎と長七の目も、つられて龍に向く。

 龍の目が、にっと細まり、黒目が左右に動く。

 お鴇が、ふふっと、笑みを零した


「心太ちゃんも、おかえりなさいって。善次郎様と兄ちゃんが帰ってきて、嬉しいみたい」


 善次郎は龍に手を伸ばした。頭の辺りを撫でてやる。


「此度は心太にも世話になったな。これからも皓月堂を、守ってくれよ」


 黒目が上下に動く。燥ぐ童のような気を感じた。


「また金平糖が欲しいそうです。あの金平糖、美味しかったから、きっと気に入ったんですね」


 善次郎は、ははっと笑った。


「では、心太に金平糖を上納せねばな。お鴇も気に入ったのなら、また買うてくる」


 何気なく振り返る。お鴇が、ほんのりと頬を赤らめた。


「……はい。私も、善次郎様の金平糖、楽しみにしていますね」


 小首を傾げて、お鴇が嬉しそうに笑む。

 お鴇の口に金平糖を放り込んだ時を思い出し、少しだけ顔が熱くなった。

 二人のやり取りを眺めていた環が、にやりとする。隣の円空も微笑んで見える。

 善次郎は、はっと、表情を整えた。

 皓月が、くっくと、笑いを噛み殺す。

 むっと見上げる善次郎の肩を、皓月が軽く叩いた。


「さぁって、今日は祝いの宴だ。ぱぁっと飲んで、美味いもんを食いやしょうや」


 善次郎が、首を傾げた。環が、ししっと笑った。


「御役目が無事に終わった祝いと、長七を迎える宴さね!」


 善次郎と長七が、顔を見合わせる。長七が、腰の鈴を、じっと見詰めた。


「ほぅら、さっさと来ねぇと、あたしとお鴇ちゃんで、飲み尽くしちまうぜ。長七、酒を運ぶのを手伝ってくれよ」


 環が長七を手招きした。


「待ってくれよ、環さん! お鴇に、あんまり飲ませねぇでくれよな!」


 長七が慌てて、店の中に飛び込んだ。

 その後ろを円空が、楽しそうな顔で、付いていく。

 皆の姿を微笑ましく眺めていた善次郎の背中を、皓月が押した。


「行きやしょう、善次郎様。長七が加わった新しい潺の、最初の宴だ」


 宇八郎のような顔で、皓月が笑む。

 真新しい看板の文字を眺めて、善次郎は、頷いた。


「これから増々、賑やかになりそうだ」


 未来に膨らむ胸に踊る気持ちを抱えて、善次郎が店先に向かう。

 仲秋の白い風が、看板を揺らす音がする。

 鏝絵の紅葉が、風に翻って見えた。


「善次郎様ぁ! 早く来てくだせぇ! 環さんを、止めてくだせぇよ!」

「ああ。今、行く。環、まだ酔うには早いぞ」


 笑んだ声で返事して、善次郎は皓月と共に店の中に入った。

 真新しい戸が、とんと、小さく音を立てて閉じる。

 御庭番・明楽善次郎と潺の、新しい今日が始まっていた。

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