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潺の鈴 御庭番怪異禄  作者: 霞花怜(Ray)


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第五章 枯尾花の入舞に、別れを告げる《五》

 森の中の開けた場所に、龍が降りていった。

 馬を降りた善次郎は気を張り巡らせ、辺りを注意深く探る。

 善次郎たちは、鳥居の前に立っていた。


「ここは、神社か?」


 鳥居の奥には、古い社が、寂として建っているのが見える。

 長七が、眉を顰めた。


「ここぁ、久伊豆大明神でさ。岩槻城郭の中にある社で、町人が容易には入れねぇ。俺も仕事で入る時、鳥居の脇にある番所で調べを受けたんだ」

「城郭内に? しかし、それらしい門や人は見当たらなかったが」


 善次郎は、更に気を尖らせた。

 最奥に鎮座する社の中から、じんわりと光が溢れ出す。


(神の結界か。既に現の隙間に、入り込んでおったようだ)


 久伊豆大明神の御神の加護なのか、乗邑の罠か。


「考える暇はないな。行こう、長七」


 頷く長七と共に、善次郎は鳥居を潜り、本殿へと走った。

 境内を見渡して、気を探る。榊の木々に囲まれた広い敷地は、簡素ながらも綺麗に整備されている。

 突然、社から溢れ出る光が、強さを増した。善次郎と長七が、最奥の本殿を振り返る。

 途端に、風が止まった。


『神の怒りは、心地良いのぅ。何度味わっても良い。癖になるのぅ。実に愉快じゃ。我が獅子も、喜んでおる。神の怒りを吸うて、強うなる我が獅子よ』


 背後から、低く笑う声が聞こえる。善次郎が振り返った。

 高い能舞台の上で、乗邑が寝転び、杯を傾ける。そのすぐ傍に、お鴇が倒れていた。


「お鴇! お鴇! 俺の声が聞こえるか! 返事しろ! お鴇!」


 長七が懸命に呼びかけるも、お鴇は硬く目を瞑り、微動だにしない。

 乗邑が、下卑た笑みを一つ、漏らした。


『大声で喚くな、小者。酒が不味うなる。案じずとも、まだ殺しておらぬ。殺してしまっては、犬どもが寄ってくるまい。それでは、詰まらぬからな』


 蒼顔だった長七の顔が引き攣り、赤に変わる。怒りで肩が震えていた。


「長七、聞くな。あれの言葉に惑わされるような、お主ではなかろう。お鴇が生きておれば、充分だ」


 長七の怒る肩を諫め、善次郎が前に出る。

 能舞台の下で、獅子が、こちらを睨み据えていた。

 長七が、息を飲んだ。


「善次郎様、あの獅子は、何か妙だ。俺らを襲った獅子だが、何か、違う」


 ぶるりと身を震わせる長七を横目に、善次郎は獅子に眼を凝らした。


(長七らを襲った時分より、他の社の獅子の荒魂を吸い、力を増したのは事実だろうが)


 三社権現で対峙した時とも、違っている。体から火のように気が噴き出ている。


(確かに、何かが違う。獅子も、源壽院の怨霊も。纏う恨みの念も増しているが、それだけではない。この違和は、いったい何だ)


 探りながら善次郎が、じりじりと躙り寄る。その様を、乗邑が笑い飛ばした。


『臆病な輩よ。斬り懸かってくれば良いものを。儂に獅子を寄越した神官崩れも、ごちゃごちゃと抜かした挙句、好きにしろと手放しおった。本に勝手な死霊よ。無能は皆、そうじゃ。手に追えぬ事体になると人に押し付け、捨てやる』


 乗邑の表情が、すっと抜けた。


『これだから、能無しは好かぬ。要らぬ智恵ばかり回し、場を搔き乱す。無能がどれだけ足掻こうが、儂の足元にも及ぶまいに』


 眉間の皺が深まり、乗邑の顔が怒りに歪む。持っていた杯が、割れて散った。


(縫殿助殿が、源壽院に獅子を預けたのか? 好きにしろと手放した、とは。まるで、これまで相見しておったような言廻しだ)


 触れたくなかった至悪の想念が、善次郎の頭を過る。

 ばりっ、と、空が割れる音がした。

 見上げると、真っ黒な重い雲が天空を覆いつくしていた。雲間に、稲光が走る。


(三社権現の時と、同じだ。この雷は、源壽院の恨みが形を成したものか)


 思案する善次郎の足下に、雷が落ちた。

 長七を庇いながら、後ろに飛び退く。


「奥の手は、変わらぬようだ。獅子の荒魂が本復しても、障りないな」


 善次郎の煽りに、乗邑が怒りの表情を深めた。呼応した雷鳴が、轟きを増す。

 乗邑は表情を変えて、善次郎を見下げた。


『宇八郎を先に刻む算段であったが、まぁ良い。弟の斬り刻まれた亡骸を見れば、宇八郎も、さぞ嬉しかろう』


 乗邑が、のっそりと起き上がる。


『ここで最初に、宇八郎を殺した。懐かしいのぅ。何度でも、何度でも。魂がすり減り消えるまで斬り刻んでくれる』


 立ち上がった乗邑が、刀を抜く。

 善次郎は刀を構え、乗邑を睨み据える。足元に横たわるお鴇の身を、ちらりと伺う。

 乗邑が目を見開き、片眉を上げた。


『どうした、飼い犬。斬り懸かってこんのか。つまらぬのぅ。ああ、この小娘が邪魔か』


 わざとらしい言廻しをしながら、乗邑がお鴇の肩を蹴った。

 善次郎は目を剥いた。背中に痺れるような怒りが走る。明らかに顔が強張ったのが、自分でもわかった。

 乗邑が、ほくそ笑む。


『小娘が、それほど大事か。ならば、ほれ。こうしては、どうだ』


 胸座を掴み、お鴇の体を引き上げる。


「お鴇! ちきしょう! お鴇を、離しやがれ!」


 今にも飛び出しそうな長七を、龍が尾を体に巻き付けて、止めた。

 乗邑は気にも留めず、引き上げたお鴇の身を腕に抱く。


『乳臭い小娘に関心などないが、神社の境内で生娘を犯すのも一興じゃ』


 お鴇の顎を引き寄せ、乗邑が顔を寄せる。

 気が付いた時には、善次郎の足は地面を蹴っていた。刀を振り翳し、能舞台に飛び上がる。


『そう来なくてはなぁ! 飼い犬! 怒れ、怒れ! 我を失うほどに、怒り狂え!』


 お鴇の体を投げ捨て、乗邑が刀を構えた。

 飛び込んだ正面で、片足を突く。真横に飛んで、大きく刀を薙ぎ払った。鋭い閃光が一筋、走る。乗邑の首が胴から離れ、転がり落ちた。

 乗邑に構わず、善次郎はお鴇の身を抱き上げ、能舞台から下りた。本殿の近くで長七を守る龍の元に走る。

 気の戻らないお鴇を、長七に預けた。


「お鴇! お鴇! 目ぇ、開けろ。なぁ!」


 長七が声を掛けても、お鴇は目を開かない。口元に手を当て、息を確かめる。


「眠っておるだけだ。大事ない。むしろ、この場をお鴇に見せたくない。このまま心太の傍で、お鴇を守ってくれ」


 善次郎の声を聞いた長七の目に、力が戻る。頷いて、お鴇の身を強く抱いた。

 長七の様子に頷いて、善次郎は能舞台に向かい、走る。

 目の前を、獅子が遮った。善次郎は、刀を構え直す。


『躊躇なく首を落としに来るか。人を殺す、良い剣じゃ。余程に、その娘が大事と見える』


 舞台の板の上に落ちた首が、笑う。

 首のない胴が手を伸ばす。自らの首を拾い上げると、体に捻りつけて戻した。


(斬った手応えは、確かにあった。やはり、あの核を斬らぬ限り怨霊も退治できぬか)


 獅子の体の内で、鈍く光る青い灯火。核となっている御霊を斬らねば、乗邑の怨霊は何度でも蘇る。

 善次郎の刀の切っ先が、獅子に向く。

 能舞台から、ひらりと降りた乗邑が、獅子の隣に並び立った。


『たった一人で、獅子と儂を相手にする気か。驕りが過ぎるのぅ。大岡の飼い犬は、やはり無能じゃ。小便公方の小姓上がりでは、是非もない』


 乗邑の言葉に、善次郎はやはり、違和を持った。


(つい先日まで、紀州の飼い犬と呼んでおったはず。怒りの矛先が、出雲守様に定まったか? 力も増しているように見える)


 三社権現での、宇八郎の言葉を思い返す。


(恨みに飲まれ狂い、より我を失ったか? いや待て、怒りがどうのと、先ほど……)


 思案する善次郎に、獅子が容赦なく牙を向く。受けずに横に逃げる。待ち構えていた乗邑の刀が、降ってくる。

 低い構えから、乗邑の足を払う。滑り込んで反対に逃げ、立ち上がる。振り向きざまに、構える。すぐ目の前に、獅子の顔が迫った。

 獅子の顔を斬りつけ、後ろに飛び退く。


(これでは、埒が明かぬ。無駄に衰弱するだけだ。潺が着くまで、時を稼ぐ策を……)


 獅子の後ろから、乗邑が飛び出した。


『いい加減、飽いたわ。さっさと死ね。兄と同じく、死霊にでも成り下がれ』


 逃げ場がない。振り下ろされた刀を受け止めようと、構えた時。

 左右の両側を、白と黒の影が、すり抜けた。

 乗邑の刀を、皓月が受け止める。動きが止まった乗邑の腹に、宇八郎が一太刀を浴びせた。


「……皓月……兄上!」


 白い気を纏った宇八郎が、善次郎を振り返った。


『怨霊は儂と卯之助で止める。その隙に獅子の核を砕け、善次郎!』


 死霊となった宇八郎が大声で叫んだのを、初めて聞いた。


(兄上だ。あれは生前と同じ、兄上だ)


 善次郎の胸に、熱いものが込み上げる。

 思わず、後ろを振り返った。

 本殿から、神々しい光が溢れる。

 その前で、長七とお鴇を龍が尾で包み、守っている。


(三社権現の神々と同じだ。久伊豆大明神の御神も、兄上に力をくださっておる)


 目の先を、乗邑に戻す。

 皓月の見えない右を庇いながら、宇八郎が剣を振るう。ぴったりと息の合った二人の剣技に、思わず見惚れそうになる。

 三社権現の時とは、比べ物にならない。生きていると思い違えるほどに、宇八郎の動きは活気に満ちていた。


(斯様な二人を、見られるとは……)


 目頭を押さえた善次郎は、すぐに刀を構えた。


『鬱陶しい、鬱陶しいぞ、宇八郎! 兄弟とも、息の根を止めてくれる! 無に帰せ!』


 焦心を露わにして、乗邑が怒声を上げる。


「兄上と皓月が作った隙を、徒労には終わらせぬ」


 善次郎は獅子に眼を向け、睨み据えた。


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