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潺の鈴 御庭番怪異禄  作者: 霞花怜(Ray)


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第四章 怨霊の、正体見たり《五》

 同じ日の、昼九つ。

 江戸城吹上御庭で一人、善次郎は竹箒を持ち、掃除をしていた。秋の深まる庭は、どれだけ掃いても、すぐに落葉が舞い落ちる。

 忙しなく箒を動かしても一向に庭が片付かない訳は、大量の落葉だけではなかった。

 ここに来る前、皓月堂の壁に鏝絵を施す長七を観察した。目の当たりにした姿が、頭に焼き付いて、離れなかった。

 壁に漣の文様を塗っていた時とは比べ物にならない、覇気を帯びた眼。瞬きも忘れるほどに気鋭に満ちた眼の先では、沈静で澱みない気を纏った手指が繊細に動き、絵を紡ぎ出す。

 塗るだの描くだのと表すより、生み出している、と感じた。


(迷いなく確かな手から流れ込んだ気の濃さ。まだ半ばなのに、あの絵は、生きておった)


 長七の技も、形を成していく鏝絵も、ぞっとするほどに、美しい。背筋が寒くなったのは、それだけでない。


(あれは、長七にしかできぬ技だ。模倣できる代物ではない)


 同じ技が使えれば、などと考えていた自分が、如何に浅はかだったかを、思い知った。

 長七が何年も掛けて辿り着いた境地。しかも本人にすれば、まだ道半ばの心情だろう。

 考えれば、皓月の砥ぎも環の刺青も、円空の仏像も。気の使い方や技は、個々に違う。だが、すべて一流だ。


(儂にしかできぬ法が、きっとある。それさえ見付ければ、心剣を扱える)


 長七の技が、善次郎に心剣を思い出させた。最も大事な父の教えだ。糸口を掴むきっかけになった長七の鏝絵から得る学びは、きっと、もっとある。

 漠然としながらも確かな思いは、善次郎の胸から消えていなかった。

 急く気持ちと高まる気概で、竹箒を持つ手に力が入る。思わず勢いがつき、集めた葉が風に攫われる。空に舞い上がった枯葉が、はらはらと再び庭に降り散った。


「それでは掃除にならぬな。竹箒の扱いを忘れたか、善次郎」


 はっとして、振り返る。忠光が、平素と変わらぬ相好で、善次郎を眺めていた。

 竹箒を左手に持ち替え、走り寄る。善次郎は低頭した。


「お姿に気が付かず、申し訳ございませぬ」

「気にせずとも良い。それより、顔を見せてくれ」


 忠光の指が、やんわりと善次郎の顎を持ち上げる。促されるままに、善次郎は顔を上げた。


「まるで、別人の変わりようだ。この三日で、何があった」


 忠光の顔には、満足げな色が浮かぶ。しかし目は、いつになく鋭い。善次郎は再び頭を下げた。


「神社の狛犬が壊される真相を、掴みました。犯人は、御公儀に牙を剥かんとする怨霊と、然有る社の獅子で、ございます」


 二人の間に、沈黙が降りた。枯葉が地を舞う、からからとした音が、やけに乾いて響く。


「大儀であった。怨霊の名と、社の名は?」


 善次郎は忠光に歩み寄った。忠光が扇子を開き、耳元に寄った善次郎の口元を隠す。


「怨霊は、五年前に逝去された源壽院(松平左近将監乗邑)様にございます。獅子のあった社は、日本橋瀬戸物町に鎮座する福徳稲荷神社で、ございます。怨霊は獅子を従え、大きな社の獅子を壊し荒魂を集め、力を蓄えておる様子です」


 掠れそうに小さな声で、善次郎は答える。


「宇八郎は、おったか」


 忠光の唐突な問いに、善次郎は一度、口を噤んだ。


「……我が兄、明楽宇八郎は死霊と化し、怨霊と獅子の荒魂を抑えております。衰弱が激しく、怨霊を抑え込むは困難。このままでは怨霊が力を増します」


 私情を挟まぬように心掛け、淡々と事実だけを告げた。


「そうか」


 声を震わせたのは、忠光だった。たった一言に籠った憤りは、善次郎にさえ、感じ取れた。

 気後れしそうになった身を律する。喉の奥に力を籠め、息を飲み込んだ。


「無礼を承知で申し上げます。この善次郎に、怨霊討伐の御役目を御指示くださいませ。必ずや、武功を上げて御覧に入れます」


 腹から湧き出た言葉を聞いて、忠光が静かに身を離した。善次郎の顔をじっと見詰める。その顔は、最初に御役目を指示された三日前と同じ。御庭番の先達が噂する、冷淡な忠光だ。

 善次郎は口を引き結び、忠光を見詰め返した。


「本に、良い面持ちになったものだ、善次郎」


 忠光の表情が、和らいだ。幼い頃から善次郎が見てきた、柔らかな忠光だ。


「心構えは眼に現れる。其方の決意、しかと受け取った。公方様に上申の後、新たな役目を下す次第となろう」


 善次郎の胸中に、三日前とは違った発憤が湧き上がる。


「二刻後、谷中の≪鍵屋≫に来い。其方に伝えねばならぬ話が、ある」


 そっと囁いて、忠光は城内に戻った。

 発憤が湧いたばかりの胸中に、不穏なざわめきがもたげていた。


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