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クロレキシ  作者: 赤森千穂路
序章 戦いの予兆
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第9話 持田と優子

 夕方の6時。最終下校時間を知らせるチャイムが校内に響き渡る中、涼真と舞、持田は保健室のベッドの側で並んで椅子に座っていた。未だに目が覚めない地縛霊、優子を見守るためだ。

 4月でもまだこの時間は薄暗い。保健室内の電気を点けに行こうと涼真が立ち上がった時、持田がそっと口を開いた。


「……彼女は私が用務員をやり始めた頃に、この学校に通っていた生徒なんだ」


 涼真はパチリと電気のスイッチを押す。蛍光灯のフィラメントが古くなっているのか、天井の白い光は瞬きをするかの如く点滅した後に、パッと明るく保健室内を照らした。


「私が彼女の相談に乗っていた、という話はしたよね。彼女とそうやって言葉を交わしている内に段々と彼女に惹かれていった。もちろん、お付き合いとか、そういう関係には発展しなかったけれどね」


 薄く笑い、持田は話を続ける。やや前屈みになった彼の顔には翳りが差し込み、どこか悲しげな顔に見えた。


「だから彼女が死んだと聞いた時、思わずその場で大泣きしてしまった。後から考えてみると、少し恥ずかしい話だけどね」


「そんなことないですよ」


 舞が持田の話を遮った。

 その声色には、どこか強い気持ちが込められているように聞こえた。


「誰かのことを想ってこぼした涙は、恥ずかしくなんかありません」


「……ありがとう」


 持田は舞に向かって優しく微笑むと、再び視線を白いゴム素材の床へ落とした。しかし、その顔はどこか、先ほどよりも明るげだ。


「今、彼女が目の前に居ることがまだ信じられないよ。けど、彼女は当時の姿のままで、私は随分と老けてしまった。目覚めた彼女は、私に気付いてくれるだろうか……」


 今の持田は、優子と長年の時を経て再会できた嬉しさと、自分だけ歳を重ねてしまい変わってしまったという恐怖を抱えているのだろう。

 好きな人や大切な人に自分が自分だと認識されないことが、どれだけ心を抉られるか。

 その恐怖を涼真も想像したことがあるから。だから、その時の自分に言い聞かせた言葉を、涼真は持田に掛けた。


「気付いてくれますよ、きっと」


 持田にとってはほんの気休め程度にしかならないかもしれない。けれど、その言葉が彼の心情に少しでも変化を及ぼすことを願って。

 持田はハッと目を見開き、閉じて。そして、再び開いてから、口元をふっと緩ませた。


「……そうだね。一方的な要求はダメだ。まずは、私が彼女のことを信じないと」


 どうやら、涼真の願いは届いたようだ。

 今までの弱気な持田の目に、強い光が差し込んだのを見て、涼真はそう思った。


「……んん」


 その時、小さな呻き声とともに、優子の瞼が薄らと開かれた。持田は椅子からガバッと立ち上がり、心配そうに声を掛ける。


「ゆ、優子ちゃん……!?」


 優子はゆっくりと瞼を開くと、天井を見つめたまま、パチパチと瞬きをした。黒目を右、左に交互に動かした後、彼女から見て左側、つまり持田の方へ黒目を動かした。


「持田……さん?」


「優子、ちゃん……!!」


 優子の自身の名を呼ぶ声を聞きホッとしたのか、持田はベッドに突っ伏し、子供のようにわぁわぁと声を上げて泣き出した。






◇◆◇◆◇






 しばらくして持田が泣き止んだ後、涼真は優子に彼女自身の未練を聞き出そうとしていた。彼女を成仏させるには彼女の生きていた頃の後悔を知り、未練を取り払わなければならないからだ。


「じゃあ、まず1つ目。優子さんは、なんであのトイレに現れたんですか?」


「それは、あの教室が私の記憶の中で1番印象に残ってた場所だったから。まぁ今はトイレになっちゃってるみたいだけど……私が現れた場所は、私の机が置いてあったところなんだ」


「なるほど、そういうことだったんですね」


 涼真は数度頷いた後、頭の中で情報を整理し、考えを纏める。パズルのピースが上手く嵌まっていくような感覚。しかし本物のパズルとは違って、何故か完成したところを見たくはならなかった。嫌な胸騒ぎがするからだ。

 胸のザワつきに見ないフリをして、涼真は優子への質問を続ける。


「じゃあ2つ目、なんでトイレのドアを幻覚で消したんですか?」


「あれは私の意思じゃないの。私がいつも見ていた景色っていうのかな? あの現象は、生きてた時の心を閉ざしていた私を表しているんだと思う。あの壁は、私が周りの人たちに対して身勝手に作っていた心の壁。私はあの壁を自分の意思で通り抜けることができなかった」


「だから僕の横を通り過ぎた時、変に壁の前で急停止したのか……」


 涼真は恐ろしい姿だった時の優子との戦闘を思い返す。

 またパズルのピースが嵌まった。しかし、未だに胸のモヤモヤは晴れない。


「そう。でも、君が押してくれたら、私も通り抜けられたでしょ? 昔も自分の意思では通り抜けられないだけで、誰かに引っ張られたり押してもらえたら、私も、心の壁の中から出られたのかな……」


 切なげな顔をする優子の横で、涼真は顔を引き攣らせた。押したのではなく思い切り蹴った、などとは口が裂けても言えない。

 頭をブルブルと振り、気を取り直す。


「じゃ、じゃあ、持田さんが通り抜けられなかったのはなんでですか?」


「私は誰にも心配をかけたくなかったの。だから私の大切な人達との心の壁を作った。ボロボロになっている本当の私を見せないために。だから、私の大切に思ってる人は通り抜けられなかったんじゃないかな」


 優子は顔を少し俯けると、口元が見えなくなるまで掛け布団を引っ張った。


「ずっと心の中から出たくなかった。ずっと閉じこもっていたかった。そうすれば誰にも迷惑をかけないし、心配もかけない」


 雑音にかき消されてしまうような小さな声で、優子は言った。

 彼女の塞ぎ込みたい気持ちは涼真にもよく分かる。辛いことがあればストレスが溜まって、大切な人に八つ当たりをしてしまうかもしれない。けれど、自分だけの世界で塞ぎ込んでいれば、そんなことをしなくても済む。

 しかし、どれだけ辛いことがあっても、涼真は塞ぎ込んだりしなかった。

 塞ぎ込むことが、どれほど周りの者たちからすると迷惑なことで、どれだけ自分勝手なことか理解していたからだ。


「……でも、それはーー」


「優子さん」


 涼真の優子を嗜める声は、舞の優子を呼ぶ声によって遮られた。

 舞の顔は、笑っていなかった。ただ真っ直ぐに優子のことを見つめ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……それは自分勝手だと思います。優子さんが死んで、優子さんの家族や大切な人は悲しんだはずですよ」


 優子はハッとしたように目を見開くと、持田の方を向いた。持田は何も言葉を発さなかったが、彼の顔は、優子に何かを訴えかけたがっているように見えた。


「それに、あなたのことを救ってあげられなかったことを、その人達は一生後悔し続けるんですよ? それは、迷惑をかけてるんじゃないですか?」


「そ、そんな……!!」


 優子はヒュウっと息を吸い込み、舞の言ったことを否定するように、顔を小刻みに横に振る。


「わ……私は、そんなつもりじゃ……!」


「いや、舞ちゃんの言う通りだよ、優子ちゃん」


 青褪めた顔を少しずつ落としていく優子の肩に、持田がそっと手を添えた。

 片膝を床につき、目線を優子に合わせた持田は、彼女を諭すように語りかける。


「君が死んで、私は後悔したよ。どうして君の辛さに気付けなかったのかって、ずっと自分を責め続けた。それほどに君の死は大きかったんだ」


 目を伏せる持田に対し、彼を見つめる目がどんどん潤んでいく優子。

 しかし、持田は胸の奥に封印する筈だった優子への想いを1つずつ吐き出していく。その口調は、まるで優子を叱っているようだった。


「今更過去の事を言ったって仕方ないけれど……これだけは言わせてくれ」


 持田は哀しげな笑顔を浮かべて、非情にも優子へとその顔を向けた。


「……頼ってほしかったよ」


「っ……!!」


 持田が言い終わるのと同時に、優子の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ始めた。その涙は彼女の白い頬を伝って掛け布団の上に落ち、薄い跡を残す。

 優子はその掛け布団をギュッと握り、嗚咽を漏らし始めた。


「持田さん……ごめんなさい、ごめんなさい……! 私っ……!!」


 優子の泣き声が、夕暮れの静かな保健室に響く。

 そんな優子の震える背中を、持田は彼女の涙が止まるまで優しく撫で続けていた。






◇◆◇◆◇






 目を赤く腫らした優子は、涙を拭いながら持田にペコリと頭を下げた。


「ごめんなさい、持田さん。私……」


「いいんだ、分かってくれれば。それに、私も少し意地悪だったしね」


「へ? どういうことですか?」


 顔をきょとんとさせる優子に、持田はくつくつと笑いを漏らす。

 優子は持田の「意地悪」の意味も、笑顔の意味も分からず、混乱しているようだった。

 少し温かくなった空気にホッと安堵の息を吐きつつ、涼真はタイミングを見計らって優子に声を掛けた。


「すいません優子さん、あと2つだけ、質問いいですか?」


「あ、うん。いいよ」


 優子の了承を得て、涼真は残っていた疑問を質問にして彼女に投げ掛ける。


「それじゃあ早速。トイレの中で見た姿と今の姿と、差が凄いんですけど……それはなんでですか?」


「あー……なんでだろうね?」


 優子は腕組みをし、少し何かを考える素振りを見せた後、困ったような笑顔を浮かべた。


「え?」


「あの姿になってた時の記憶はあるんだけど、どうしてあんな姿になったかは分からないの。ごめんね」


 優子が申し訳なさそうな顔をしたので、涼真は慌てて胸の前で手を振る。分からないことを責めるつもりなど一切無い。


「いえ、分からないならいいんです。じゃあ最後の質問。なんで舞や僕を襲ったんですか?」


「あー……ごめん、それも分からないや。でもさっき、トイレの中は私の心の中って話をしたでしょ? だから心の中に入って来られて気が立ってたのかも。襲ってごめんね」


「あ、いや、気にしないでください。……そっか」


 涼真は手を顎に当て、考え事を始める。

 涼真は優子の質問の答えに少し疑問に思ったことがあった。それは優子の記憶がところどころ抜けていることだ。先の3つの質問にはしっかりと答えられていたのに、後の2つの質問には答えられなかったり、あやふやな部分があった。

 その原因は何なのか、と涼真が思慮に耽ようとした時。


「あ、あれ?」


 優子の発した声で涼真はハッとした。

 優子の方を見ると、彼女の体が光に包まれ、透け始めていた。


「ゆ、優子ちゃん!? どうしたんだ!?」


「優子さん!?」


 持田と舞が焦りながら椅子から立ち上がる。持田は優子の手を握りしめようとしたが、既に優子に触れることは叶わず、彼の右手は宙を切った。


「な、なんで……どうして、こんな……!?」


「たぶん、成仏しようとしてるんです。地縛霊や怨霊は、この世での未練が消えると成仏するから……」


 目元に涙を滲ませ項垂れる持田に、涼真は優しく告げる。

 せっかく再会できたというのに、もうお別れの時間がやってきてしまった。持田は運命を恨むように歯噛みする。

 やがて顔を上げ、涙を作業服の袖で拭った持田の顔は、柔らかいものになっていた。


「成仏……そうか、未練がなくなったのか……」


 椅子に座り直し、優子の顔を見つめながら、持田はもう半透明になってしまった彼女に尋ねる。


「君の未練は、何だったんだい……?」


「私の未練は……」


 優子は穏やかに微笑むと、精一杯の愛を持った視線を持田へ向けた。


「持田さんと、もっと話をしたかったってこと」


「……そう、だったのか」


 持田は顔を俯け、痛々しいほどに眉間に皺を寄せる。


「すまなかった。君が苦しんでいたことに気付けなかった……」


「ううん。私も……あの時、あなたを頼っておけば……今頃……」


 優子は少し頬を赤く染め、視線を持田から逸らした。しかし、そうはさせまいと持田は優子の顔を覗き込む。


「今頃……何だい?」


「いや、あなたと……その……つ、付き合えてたりしたのかなっ……て」


 その言葉を聞き、持田は口をポカンと開けると優子を見て固まる。涼真と舞は2人して頬を真っ赤に染め、持田と同様に固まっていた。


「アッハハ。そうか。君は、私のことを……」


 持田が思い出したかのように笑うと、優子は恥ずかしそうに掛け布団に顔を埋める。しかし、彼女は透け始めているというのに、ハッキリ分かるほど顔を真っ赤にしている。


「え、えっと……ごめんなさい。今更こんなこと……言っちゃって……」


「いや、いいんだ。私も、いや……俺も、君のことが好きだから」


 その場にいた全員が、今度は持田の言葉にしばし固まった。

 優子は口元を両手で覆ったが、先ほどよりもさらに顔を赤くしており、今にも蒸発してしまいそうだった。


「え、えぇーーーっ!? えぇーーーっ!? ウソぉ!?」


「ふふ、本当だよ」


 持田は優子の驚きっぷりが面白かったのか、静かに笑う。


「そっか……じゃあこれで、本当にこの世に未練がなくなっちゃった……」


 優子は一滴の涙を頬に伝わせながら、ニッコリと微笑んだ。それが合図だったかのように、優子の姿が透明がいよいよ見えなくなってきた。持田は光に包まれる優子に向かって、大声で呼び掛ける。


「ゆ、優子ちゃん!!」


「ありがとう、持田さん。最後にあなたと話せて、嬉しかった……!」


 優子の涙が掛け布団にこぼれ落ち、跳ねた瞬間、彼女の姿は完全に消えた。まるで雪の結晶のように、儚く。

 持田は少しの間、俯いて肩を細かに振るわせていたが、やがて天を仰ぎ、呟いた。


「あぁ……俺も、嬉しかったよ……!」


 彼の頬に、一粒の涙が伝う。

 涙は蛍光灯の光を反射しながら、重力に従い床に落ちて、その熱を失った。






◇◆◇◆◇






 翌日。涼真と舞は今日も並んで登校した。今日は一昨日とは違い、少し早めに自宅を出発したので、明日香とは出会わなかった。


「そうだ、舞。絵理に今回のこと、伝えてくれた?」


 下駄箱で靴を履き替えながら、涼真はふと思ったことを舞に尋ねる。舞はつま先をトントン、と跳ねさせて靴を履くと、首を縦に振った。


「うん、電話で話したよ。バッチリ解決したってね」


 そう言って、ニッと白い歯を見せて笑う舞の顔に完全に不意を突かれた涼真は、思わず顔を赤く染める。


「う……」


「どうしたの涼真? 顔赤いよ?」


「な、なんでもないよ。ただ、今日は4月のわりに暑いから」


 涼真は慌てて舞から顔を背ける。

 火照った顔がしばらく元に戻ることはなさそうで、涼真は舞と逆の方向を向きながら彼女と並んで歩く。

 今は周りに誰もいないが、傍から見れば涼真は完全に変な奴だろう。


「えー、そんなに暑いかなぁ。あ、ごめん。私ちょっとトイレ行ってから教室行くね。先に行ってて」


「うん」


 そう告げると、舞は保健室の横にあるトイレに入って行った。

 昨日この場所で色々あったよな、なんて思い、涼真はトイレの前を過ぎ去ろうとする。


「わあ!?」


 しかしその時、トイレの中から舞の悲鳴が聞こえた。涼真はビクッと肩を跳ねさせた後、すぐに戻り、扉を激しくノックする。


「ど、どうした舞!? 大丈夫か!?」


 少しの間をおいてから、舞が女子トイレの扉を開け、トイレの奥の方を指さした。


「りょ、涼真、アレ……」


「あ、涼真くんもいる! 昨日ぶり〜!」


 舞が指差した方向には、トイレの個室からひょこっと顔を出し、にこやかに手を振る優子の姿があった。個室から出てきた彼女は、タタタっとこちらへ駆け寄ってくる。


「えっ、な、なんで!? 成仏したんじゃなかったんですか……?」


「私もそう思ったんだけどねぇ、気が付いたらまたここに戻ってたの。多分この世に新しい未練ができちゃって成仏できなかったんだと思う」


「その未練って、まさかまた持田さん関係なんじゃあ……」


 涼真はなんとなく予想できた未練の正体を優子に尋ねると、彼女はとびっきりの笑顔を浮かべ、大きく頷いた。


「そう! 持田さんともっともーっと色んな事話したいの!」


 ルンルンで持田と話したいことの内容を語り出す優子を見ながら、涼真はガックリと肩を落とす。昨日と一昨日の涼真たちの頑張りは一体何だったのか。

 しかし、今の彼女は楽しそうだ。1人の霊の心を救えたのなら、これはこれで良かったのかもしれない。


「まったく、困った地縛霊だなぁ……」


「あはは……」


 未練を新しく増やし、まったく成仏しようとしない地縛霊に、2人は苦笑いを浮かべるのだった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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