第79話 英雄の片鱗
深夜の2時。
涼真と舞は持田に裏桜中学校の鍵を開けてもらい、校舎の中に入っていた。
持田と優子は校門前で2人を待っている。
「持田さん……あの2人、大丈夫かなぁ……」
優子が不安げな顔を見せると、持田はコクリとハッキリ頷いた。
「大丈夫さ。あの2人なら……」
「うん、そうよね……」
2人は横に並び、校舎の4階を見上げた。
一方、涼真と舞は、明日香が現れるという4階の視聴覚室の前に来ていた。
「ここに明日香ちゃんが来るんだよね……」
「ああ、優子さんの見間違いじゃなければな」
「でも、優子さんは間違いないって言ってたし、きっと明日香ちゃんだと思うよ」
優子は明日香と話したことがないとはいえ、明日香が学校内にいる間は何度も彼女の顔を見ているのだ。それ故に、深夜の学校で彼女の姿を見た時は驚いたという。
「ま、ここでしばらく待ってみますか」
涼真がそう言って壁にもたれかかった時だった。
「……こんな深夜に何してんだ、お前ら」
3階と4階を繋ぐ階段から男の声がした。
涼真は舞の前に守るように立ち、身構える。
「誰だっ!?」
タン、タン、と階段を登ってくる足音が聞こえなくなった後、声の主が姿を現した。
声の主の姿を見て、涼真と舞は「あっ」と声を漏らした。
「「八神先生!」」
声の主は2人の担任の八神だった。彼は呆れた様子で2人を見て、はぁ、とため息をついた。
「涼真がいるってことは……ったく、どこからこの情報を嗅ぎつけた」
「いや、ちょっと友人から……ね」
涼真が苦笑いで返した。
「……夕方にあれほど言っただろう。【黒神】ができなくなっていいんだな?」
「でも、先生からは情報を聞いてない」
涼真の言葉に、八神は呆れて再びため息をついた。
「ああ言えばこう言う、か……まぁ、来ちまったもんは仕方ないな……」
八神は後ろの階段を親指でさした。
「2人とも、今すぐ帰れ。これはお前ら子供が関わっていいレベルじゃない」
「じゃあ明日香もダメじゃないですか!」
「ああそうだな。だが、彼女は俺たちの関わり方とは違うんだ」
八神の言葉に、舞は首を傾げる。
「関わり方が、違う……?」
「そうだ」と八神が頷き、話を続ける。
「だから帰れ。ここから先は危険だ」
「……先生は、なんでここから先が危険だなんて分かるんだ?」
涼真が訊くと、八神の眉がピクリと動いた。
「今は僕たちに関わるなって言ってるけど、今朝は僕たちに『明日香について何か知らないか?』って訊いてきた。だから、少なくとも朝まではここが危険で、明日香が関わってるなんて知らなかったはずだ」
涼真は一度唇を舐め、話を続ける。
「僕たちは優子さんからだけど……先生はいつ、誰から明日香について訊いたんだ?」
「……お前たちには関係のない話だ」
「関係あります! 明日香ちゃんは私たちの親友で、八神先生は私たちの担任です!」
舞がそう言うと、八神は観念したかのように目を伏せた。
息をフゥと吐き、口を開く。
「……俺が、この話を知ったのは……」
八神がそこまで言った時、涼真と舞の後ろから女の声がした。
「2人とも……何してるの?」
涼真と舞は聞き覚えのある声にハッとし、バッと後ろを振り向く。
「……明日香!!」
「明日香ちゃん!!」
そこには茶髪のミディアムボブヘアの少女、井出明日香が立っていた。
しかし、彼女から感じられる妖気は別人のものかと思うくらい、普段のそれとは程遠いものだった。
「あ、明日香ちゃんこそこんな時間にここで何してるの?」
「質問してるのはアタシだよ、舞。ねぇ、2人は何してるの?」
明日香は舞の言葉に食い気味に質問を重ねてきた。
彼女の黒目は2人を交互に見た後、八神の方に向けられた。
「それに、先生も一緒に……」
八神は表情を変えずに明日香の方を見つめる。
「わ、私たちは明日香ちゃんが心配で見に来たんだよ! 学校にも登校しないで、夜中にこんなところで、いったい何してるの!?」
「ああ、心配して来てくれたんだ。ありがと。でもね、大丈夫」
明日香は両手を広げると、バッと悪魔の翼を展開した。
「アタシのことなんか、もう忘れてくれていいから」
彼女は自身の体の前に槍を出現させた。その槍は空中で浮かび、ゆっくりとクルクル回転している。
「あ、明日香ちゃんっ!?」
「舞! 下がれ、来るぞ!!」
涼真が腕で舞を自身の体の後ろに押しやった時、明日香が腕を大きく後ろへ振りかぶった。
「っ……!! はぁあっ!!」
腕を前にやると同時に、ビュンッと槍が涼真と舞に向かって放たれた。
「明日香ちゃん!!」
「舞、じっとしてろ!」
涼真は舞に向けてそう言うと、右手を槍の方へ向けた。
「“神堕呑”っ!!」
涼真の手先の空間が裂け、ブラックホールのようなものが生まれた。
放たれた槍はアッサリ“神堕呑”にズオォッと吸い込まれていった。
涼真は右手を下ろし、“神堕呑”を消滅させると、明日香を睨み付ける。
「明日香……なんでこんなことをした」
明日香はそれに返事せず、小さく呟く。
「……そりゃあ、無理か」
次の瞬間、ダッ、と明日香は涼真たちに向けて駆け出した。
「ねぇ涼真! 分かった!? さっきの槍、アタシがどこから出したのか!」
「ああ、異空間にしまってたんだろ? それがどうし……」
「なら気付かない!? 異空間から取り出したものを、涼真はわざわざ異空間に吸い込んだんだよね!?」
そこまで言われて、涼真はハッとする。
「まさか……!?」
「そう! あの槍はアタシの視界に入っている場所からならどこからでも取り出せる! つまり……」
明日香が涼真と舞とすれ違う瞬間、先ほどの槍が舞の背後に現れた。
「なっ……!?」
「……こんなこともできるわけ」
槍はグルグルと激しく回転しながら、舞に向かって放たれた。
「あっ……!?」
槍が舞の身体を貫く寸前、パシッと槍を受け止めた者がいた。
「……明日香、そこまでだ」
八神だった。
彼は明日香の腕を掴み、槍を片足で踏みつけ固定した。
「……さぁ話してもらおうか。わざわざこんな仕掛けまでして夜中の学校に侵入する理由を」
彼は上着の右ポケットから輪っかが作られた糸を取り出し、明日香に見せた。
明日香はそれを見て驚いたのか、目を見開いた。
「……なるほど。どうりで今日は鍵が開いてると思った。事前に先生が回収してたんだね」
彼女は少し悔しさを滲ませながらニヤリと笑った。
「先生、それは?」
舞が八神の持っている糸を指さした。
「これは窓の鍵を開ける仕掛けさ。この学校の窓の鍵はクレセント錠という種類のものを使っている。クレセント錠の特徴は、鍵をいちいち鍵穴に差し込んで回す必要がなく、ツマミを上げ下げするだけで施錠開錠が可能だということだ。だが、この手軽さゆえに、セキュリティが普通の鍵よりも少し甘い。特に、施錠にツマミを固定できないこの学校のものはな」
八神はそう言うと、近くの窓のツマミを下げ、窓をガララと開けた。そして、窓のツマミに持っていた糸の輪っか部分を引っ掛け、窓と窓の交差部分からもう一方の糸先を外に出し、窓を閉め、そのままツマミを上げて施錠した。
「涼真、舞。これで明日香がどうやって侵入していたかが分かっただろう」
八神に訊かれ、舞は頭を捻っていたが、涼真はすぐにピンときたようだ。
「そのまま糸をツマミの位置より下から引っ張れば、ツマミが下がって窓が開く……ってワケか」
涼真の言ったことに八神が「そうだ」と頷き、続けた。
「しかも、この糸はわざわざ透明に近いものを選んでいる。用務員さんがいくら几帳面でも、夜で視界の悪い中ではパッと見では気付かれないだろう」
「で、でも、その細さじゃ糸を引っ張った時に糸が千切れるんじゃないですか?」
舞が首を傾げて訊いた。
「そう。太くて丈夫な糸を使えば、窓の交差部分から糸を出せないし、用務員さんに見つかる可能性も高まる。だから明日香はあることをしたんだ」
「あること……?」
首を傾げる舞の横で、涼真が答えた。
「糸を引っ張る際、自身の妖気を付与して糸の強度を上げた……ってことだよな、先生」
「ああ、俺も糸に付着していた妖気で侵入していたのが明日香だと気が付いた。学校の周りに設置してある監視カメラに、深夜に忍び込む人影が映っていたから、誰かと思って待ち構えていたら……」
八神は呆れた顔で明日香を見た。
「ぷっ……くく……あはははは!」
今まで黙って八神の話を聞いていた明日香が、突然声を上げて笑い出した。
「なーんだ、監視カメラなんてあったのか、この学校。初めて知ったよ」
明日香は愉快そうに言うと、八神が踏みつけている槍を異空間に吸い込み、再び自分の手元へ出現させた。
「なるほどね……でもさぁ、ここに来たのがアタシだけだと思ってるんじゃあ、やられちゃうよ」
「「なに?」」
涼真と八神が同時に明日香に言った時、涼真は後方に何者かの妖気を感じた。
ノシリ、ノシリという音を立てて階段の方から異形の姿をした怪物が現れた。
「メ……ひゅあ……おボボボボ」
「な……何、あれ……」
舞が怯えた様子で怪物を見た。
すると、明日香が得意げに解説し始めた。
「あれは魔界に生息する、魔獣キメラ。あれはたぶん……ヤギとヒョウと……何か分かんないけど、何かを合体してるね」
「メゴゴごゴゴおごゴゴ」
キメラは6本の足で真っ直ぐ八神に向かって駆け出した。
「「先生っ!」」
「大丈夫だ」
八神は落ち着いた声で返すと、両手を合わせ、揃えた指先をキメラに向けた。
「五つ首目」
ビシャアンッ!!
「アごバババばばババガがあ」
八神の指先から雷のようなものがもの凄い速さで飛び出し、キメラを丸焦げにした。
「なっ……!?」
それを見た明日香は予想だにしていなかったのか、声を上げて驚いた。
その隙に八神は明日香の方を振り返り、彼女に向けて左手を向けた。
「一首目」
ズオオオオオッ!!
彼の左手から大量の黒い蛇が飛び出し、明日香を拘束した。
「な……なに、これ……!?」
明日香はジタバタともがくが、その蛇たちはびくともせず、彼女を絞め続ける。
「……そういえば、お前らに俺の固有術式、言ってなかったな」
八神はそう言いながら明日香に近づく。
「俺の術式は“八岐大蛇”。かの有名な大蛇、八岐大蛇の使っていた術を使える術式だ」
八岐大蛇とは、かつて英雄に滅ぼされた伝説の大蛇である。八岐大蛇には8つの首があり、その1つ1つが別の固有術式を扱えたのだ。
「つまり、俺には固有術式が8つある。この意味……分かるか?」
八神は蛇に絞められている明日香の前に立つと、彼女を見下ろした。
「明日香、お前は俺に敵わない」
「っ……そんなこと……ないねっ!!」
明日香は指先をクイッと動かし、槍を操作した。
槍はヒュッと八神に向けて放たれる。
しかし、八神はそれを先程と同じようにパシッと掴んだ。
「……槍の速度が俺に当たる寸前でガクッと落ちてるのは分かってるんだよ。本当は誰も傷付けたくないんだろ? なのに、学校を休んでまでお前は何がしたい? お前は、何を目論んでいる?」
悔しそうな顔をする明日香を、八神は厳しい目で見つめていた。
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