第65話 VSラグル -変-
7年前。
「クルルゥ……」
トサッ、と私はごく普通の狐の姿でへたり込んでしまった。
人間界で迷って体内妖気が尽きかけていたのだ。
もう本来の姿や人間の姿を保つだけの妖気はない。
(このまま力尽きるのか……この大妖怪、玉藻前が……)
そう言い、未来を諦め目を閉じた……
その時だった。
「おい、大丈夫か?」
うっすらと目を開けると、人間の子供がいた。
(いや……違う。ただの人間ではない……この妖気量……神、か……?)
朧げな意識の中、そんなことを考えていた。
「お前、妖怪だろ。こんなになるまで……何してたんだ?」
ボロボロの私を見て眉を顰めた子供は、私に向かって手を伸ばした。
抵抗しようとするも、もう体が動かない。
(どうせ死ぬんだ……もう何をされてもいいか……)
そう思い、私は再び目を閉じた。
「よっと」
という子供の声が聞こえ、微かに温もりを感じた。
私が目を開くと、子供が私を抱えてどこかに向かっていた。
私が不思議そうに子供の顔を見ると、視線に気付いたのか、子供も私のことを見た。
「大丈夫。ただお前に手当てをするだけさ。お腹も減ってるだろ? 家でご飯食べてけよ」
そう言い、ニカッと笑った。
私は彼のその顔から、何故か目を離せなかった。
◇◆◇◆◇
「来てくれたんだな、タマキ!」
涼真が玉藻前を見て、笑顔になった。
「おい涼真。その呼び方は止めろと言ったはずだが」
玉藻前ーータマキは顔を顰めて、涼真に返した。
「タマキ?」
哲人が首を傾げながら言った。
「ああ。玉藻前のキツネだから。上の文字を取ってタマ・キで、タマキさ」
「「はぁ……」」
安直すぎる名前に哲人と雪が半ば呆れた様な顔で頷いた。
「よそ見してる場合なのかネ!?」
ラグルは涼真たちに向かってそう言い、パチンと両手を合わせた。
「“井蛙之見”」
彼がそう唱えると同時に、涼真たち4人は暗く何も見えない所へ飛ばされた。
「っ! またこの技!」
「くそ……このままじゃまた水を流されて終わりだ!」
雪と哲人が焦った様に言った。
涼真の近くでボウッという音が聞こえた後、タマキが口を開いた。
「なるほど……この空間内では、どんな攻撃妖術も通じない様だな」
どうやら炎を放ったらしい。
「異空間らしいからな。そりゃそうだよ」
涼真は落ち着いた口調でそう言い、哲人と雪の声が聞こえた方へ呼びかける。
「テツ、雪! 落ち着け! すぐに脱出するから!」
「脱出って……どうするんだよ!?」
哲人の困惑した様な声が返ってきた。
涼真はフッと笑い、徐に右手を上に向けた。
「どんな攻撃妖術でも破れないんだったら、攻撃妖術以外の妖術で破ればいいんだよ」
涼真がそう言った時、ザァァ……という音が聞こえてきた。
「もう水が……!」
雪は水音を聞き、少し不安そうな声を出した。水に呑み込まれた時の事を思い出したのだろう。
「大丈夫だ、雪」
涼真はしっかりとした口調でそう言い、掲げた右手から技を放った。
「“神堕呑”」
涼真がそう唱えた瞬間、上方から光が差し込んできた。
その光は段々大きくなっていき、涼真たちを包み込む。
「うわっ……!」
「キャ……!」
哲人と雪が眩しさに目を細めた時、パァンという音がし、目の前にラグルが現れた。
彼は信じられない物を見たような顔をしている。
「やぁ。ただいま」
涼真は口角を上げながらラグルに言った。
ラグルは涼真と対照的に、口角を下げ、ムスッとした顔になった。
「……なんで破られたんだネ」
ラグルにそう尋ねられた涼真は得意げに説明し始めた。
「あの異空間に閉じ込める技、視覚と一部の触覚を奪う効果があるのはすごいと思うよ。でも、異空間を部屋状にしたのが勿体無いな」
「……どういう事だネ?」
「異空間を使う技は、無制限に物を閉じ込めるから強いんだよ。僕の“神堕呑”みたいにさ。けど、お前はそこに水を流し込んで窒息死させる戦法に頼りすぎて、異空間の強みを活かしきれてないんだ。だから僕はそこに目を付けた。技の大体の概要は雪のスマホを通して知っていたからな」
涼真が得意げに説明をしている間、ラグルは段々と不機嫌そうな顔になっていった。
「僕の“神堕呑”は質量、密度、体積、妖気量に関係なくなんでも呑み込む。でも、流石に異空間に異空間を飲み込むことはできない。だから、異空間を包んで部屋状に象っているお前の妖気だけを呑み込んで、技を破ったって訳さ」
涼真が説明を終え、ラグルは少しの間悔しそうな顔をしていたが、次第に口角を上げ、ヒッヒッヒ……と笑い出した。
「何がおかしい」
涼真が落ち着きのある口調でラグルに問うた。
「いやぁ……もう小細工は……止めにしようと思ってネェ!!」
ラグルは両手を広げ、全身に妖気を纏った。
「この僕の本来の姿を誰かに見せるのは、実に100年ぶりなんだネェ……」
ラグルは今までにないほど狂気的な笑顔を見せた。
「“変身”、解除ぉ!!」
ラグルがそう唱えると、彼の身体がボコボコと変形し始めた。
今までの身体は何だったのかと思うほど大きく、強靭に。凄まじい威圧感を纏って。
涼真はラグルの変形を見て、冷や汗が首筋を伝うのを感じた。
「まったく……何なんだよ、弱体化の“変身”って……聞いた事ないぞ」
涼真の隣でタマキがフッと笑う。
「ウグルルルルルルルァア!!!」
ラグルは本来の姿ーー大蝦蟇の姿になった。
その図体はビルの5階を越し、涼真たちを見下ろす。
「本当に蛙だったのね……」
雪がそう呟き、手に妖気を溜め始めた。
「や、ヤベェだろ、こんなの……妖気量が俺たちの比じゃないぞ……」
哲人はラグルの発する威圧感と妖気に思わずたじろぐ。
「そんなにビビんなくても大丈夫さ、テツ。4人なら、勝てる」
涼真がそう言い、自身も身体から妖気を発する。
「来るぞ」
タマキがそう言った瞬間、
「グルルルルァァアア!!」
ラグル、いや、大蝦蟇が叫び声を上げ、涼真たちに向かってきた。4本足をドス、ドスと動かしている、
「雪!」
「分かってる!」
雪は涼真の方を見ずに応え、右腕を大きく振るった。
ズォォォッ!!
巨大な氷壁が出現し、大蝦蟇を呑み込む。
「足止めのつもりかネェ!?」
大蝦蟇はそう言うと、グググと手足を動かして氷から脱出した。
バキィン!
氷が砕かれ、バラバラと氷片が落ちてくる。
大蝦蟇は両手で地面をバァンと叩いた。
その反動で地面が大きく揺れる。
ゴゴゴゴ……!
「ぐっ……!」
「上手く……立てない……!」
哲人や雪はヨロつき、地面に膝をついてしまった。
「グルルルルアア!!」
大蝦蟇は2本足で立つと、前足を大きく上から下へ振り下ろした。
ドオッ!!
上空から天の底が抜けたと思うほどの大量の水が降ってきた。
「凍ら……せる!!」
雪は揺れの中、なんとか上方に向けて手を掲げる。
「いや、大丈夫!」
という声が雪の後方から聞こえた。
涼真だ。
「“神堕呑”!」
ズオォォッ!!
涼真の右手から放たれた“神堕呑”は、大量の水を余す事なく全て呑み込んでゆく。
「すっげぇ……!」
哲人や雪がその光景を見て目を見開いていた。
「タマキ!」
「ああ」
涼真がタマキの呼びかけると、タマキが激しい揺れの中、タタタタ、と軽やかに大蝦蟇に向けて駆ける。
ゴウッと両手に炎を宿し、大蝦蟇に向けてそれらを放った。
ボウンッ! ドウンッ!
「グアアアアァァ!!」
大蝦蟇は炎を回避することができず、炎が直撃した左腹を押さえて苦しみもがく。
「やはり、火には弱いか」
彼女は苦しむ大蝦蟇を眺めてニヤリと笑いながら、次の一手を既に両手に宿していた。
「フッ!!」
パキパキパキ!
雪が大蝦蟇の手足を凍らせ、動きを封じた。
「雪! そのまま氷の強度を保っててくれ!」
「分かった!」
涼真は雪にそう告げると、大蝦蟇の方に向けて駆け出した。
「今だ! 畳みかけろ!!」
涼真の掛け声に合わせ、哲人とタマキが大蝦蟇に猛攻を繰り出した。
「らぁっ!!」
ドッ!!
哲人が大蝦蟇の腹に拳を打ち込んだ。
「らぁっ! おらおらおらおらおらぁ!!」
ドォッ!! ドドドドドド!!
哲人が連撃を打ち込む度に大蝦蟇の腹がボコボコと変形する。
「ぐあぁぁ!! くっ……氷……がぁ……!!」
大蝦蟇は自身の四足を凍らせている氷を忌々しそうに見た。
その間にも哲人の猛攻は続いている。
間髪入れずにタマキが炎を放つ。
「ふぅっ!!」
ボボボボォッ!!
「グルギャァア!!」
炎が直撃し、大蝦蟇が苦しそうな叫び声を上げた。
「ふっ、ここらで特大を食らわせてやるか」
タマキはそう言い、右腕を天に掲げた。
彼女の右手に妖気が集中する。
「“煉獄乱舞”」
タマキがそう唱え、右手を大蝦蟇に向けて振り下ろした。
その瞬間、右手の妖気が唐紅の炎に変わった。
ゴウオオオオッ!!
その炎は大蝦蟇に直撃すると同時に爆発し、辺りの道路を焼き尽くす。
しかし、大蝦蟇にだけは点火し続け、激しく燃え盛っている。
「グギャアアァァアア!!!」
大蝦蟇は今までで最も悲痛そうな声を上げた。
「威力を抑えたとはいえ、炎の温度は800度を超えている。かなり苦しい筈だ」
タマキが炎をなんとか回避した哲人の側に降り立ち、そう説明した。
「おい……あんな攻撃するなら言ってくれよ!! もうちょっとで死ぬとこだったぞ!!」
と、尻もちをつきながらタマキに向かって怒る。
「それはすまなんだ」
タマキはそう言いつつ、涼真の方を向いた。
「さぁ、後はやってくれて構わんぞ」
「ああ、んじゃあ遠慮なくっ!」
涼真はそう言うと右手に妖気を溜め、構えた。
しかし、
ドォンッ!!
苦しんでいた大蝦蟇が突如、その場で大きく跳ねたのだ。
「くっ……!」
手足を拘束していた氷が弾け飛び、涼真は思わず腕で顔を覆う。
大蝦蟇は空中でラグルの姿に“変身”し、近くの建物の上にスタッと降り立った。
彼は身体のあちこちを火傷しており、息をはぁはぁと荒くしていた。肩で大きく呼吸しているのが涼真の位置からでも確認できる。
「ぐぐぐ……お前ら……よくもやってくれたネェ!!」
ラグルが涼真たちを指差して悔しそうに怒鳴った。
「なんだ? もう終わりか。かつてのあの威厳はどこへやら、だな」
そう言いながらタマキが肩をすくめ、ラグルを煽る。
「フヒヒッ! そんな挑発には乗らないネ」
ラグルはそう言うと、自身の腕を身体の前に持ってきて、グッと足を踏ん張り始めた。
妖気が高まっていくのが分かる。
「あの姿は力は強いが素早い動きが取れないんだネ。でもネ、今から見せるのはその素早さの問題を解決し、パワーもある僕の究極形態なんだネ」
「わざわざご説明どーも! そんなこと聞かされて素直に“変身”させる奴がいるかよ」
涼真がそう言い、“神速”を発動させようとした時だった。
「はっはあ!」
ラグルが口から、紫色の液体を涼真たちの方へ吐き飛ばしてきた。
「うわっ!? 何だこれ!?」
涼真は思わず、その液体に怯んでしまった。
「隙ありぃ!」
ラグルは腕をバッと広げる。
その瞬間、妖気の煙が発生して彼を包み込んだ。
少しして煙がだんだんと晴れると、ラグルの究極形態が露わになった。
「うへぇ……」
「何と言うか……」
「キモ……」
「キモいとはなんだネ!!」
涼真、哲人、雪に究極形態を散々に言われ、ラグルは憤慨した。
彼はスラッとした長身の男性のような姿であるが、首の上には蛙の顔に近い何かが乗っかっていた。
そんなラグルの姿を見たタマキがククク……と笑い出した。
「ほう……先ほどの大きな身体の妖気が圧縮しているのか。しかも、ただ圧縮しただけではなく、体内妖気量が増加している……素晴らしい変身だな。大蝦蟇」
「ふん……この姿の素晴らしさを理解できるのは、玉藻前だけのようだネ」
と、ラグルは得意げにそう言った。
「この姿になったんだ……もうお前らのデータなどどうでもいいんだネ……あの方の邪魔をする奴は、何人たりとも消し去るんだネ!!」
そう言うとバッと両手を広げる。
「さあ! 第3ラウンドのスタートだネェ!!」
ラグルはニヤリと笑いながら、高らかに言った。
お読みいただき、ありがとうございます。




