第6話 黒神の日常
この世には人間界とは違う世界が存在する。
多くの天使が住む『天界』。悪魔たちが暮らす『魔界』。様々な種類の妖怪が存在する『物怪界』。数多の神が他の世界を観察する、『神界』。そして、主にそれらの世界から逸れた者たちが住む世界、『裏世界』。
涼真の自宅は裏世界に存在する。
裏世界には多数の種族の生物が住んでおり、神、天使、悪魔、亜人、妖怪が主な住人だ。裏世界は一見、人間界と何の変わりもないように見えるが、そこには妖気が満ち溢れており、妖気を持たない普通の人間は居るだけで急激に気分を悪くしたり、体調不良を引き起こす。
なので、裏世界と人間界との出入り口には妖気を体内に保持していないと入ることができない結界が張られている。
その出入り口は日本に数ヵ所在り、涼真はよく東京に在るものを通って裏世界と人間界を行き来する。
涼真たちは健生の学校から去ると、真っ直ぐに帰宅した。
「ただいまー」
「涼真さま、ナギ。お帰りなさい」
涼真とナギを出迎えたのは涼真の家の執事、バトラーだった。
身長が180cmもある爽やかな金髪高身長イケメンだ。毎日の家事は大抵彼がやってくれている。戦闘力もかなりのもので、涼真が小さい頃から彼に戦い方の稽古をつけてくれている師匠でもある。
バトラーは丁度夕飯の支度をしていたのか、黒のスーツの上からピンクのフリフリが付いたエプロンを着けていた。
「お2人とも、手を洗ってきてください。丁度夕食の準備が済んだところです」
「「はーい」」
2人は揃って返事し、洗面所へと向かう。それを見届けたバトラーはガチャリと扉を開け、リビングへと戻った。
「黒神さま、お2人が戻られましたよ」
バトラーはキッチンに戻る際、リビングのソファにもたれて新聞を読んでいた少年のような姿の人物に声をかけた。
その人物は広げていた新聞を閉じ、テーブルに放ると、新聞紙の横にあるコーヒーのカップに手を伸ばした。
「あぁ、聞こえてたよ。っていうか随分と遅かったな。どこかで寄り道してたんじゃないか?」
と、怪訝な顔でバトラーに返した者の名は黒神。涼真の祖父だ。
彼は涼真の前の代に【黒神】で人々の願いを叶えていた、初代【黒神】である。
彼は数千年にわたり、人々の願いを叶えていたが、30年ほど前から妖力が衰え、依頼をこなせる頻度が格段に減ってしまった。
そこで、自身が行なっていた【黒神】の後継を涼真にし、自身はバトラーと共に涼真を鍛え、6年前に【黒神】を引退していた。
涼真はナギとこの2人と共に裏世界の一軒家で暮らしている。今日は夕飯の前にバトラーとの戦闘訓練を行う予定だったのだが、瘴鬼の出現は予定外だったので、帰りが遅れてしまったのだ。
「どこにも寄ってないよ。ただ、ちょっと瘴鬼と戦ってただけさ」
洗面所からリビングに戻ってきた涼真は祖父に自分が寄り道せず戻ってきたことを伝えた。黒神は気怠げな目で涼真のことを見つめていたが、新聞を再び手に取り、読み出し始めた。
すると、バトラーがエプロンを脱ぎながら、ニヤリと笑った。
「そうだったんですね。なら、体は十分温まっている訳だ」
バトラーの含みのある笑みを見て、涼真は彼の考えていることが容易に想像できてしまった。思わず嫌な顔をしてしまう。
「えー……特訓の前にご飯食べさせてよ。お腹減った」
「以前夕食の後に特訓したら、お腹が痛くなって動けなくなったじゃないですか。夕食は温め直せば良いんですから、先に今日の特訓をしますよ」
「でもあの時は『横っ腹に大ダメージを食らった体でやりましょう』って言って続行したじゃん」
「あの日は仕方なく、です。本来であればあの状態での特訓は望ましくありません。万全な状態で動かなければ完全燃焼できず、変なストレスに繋がる可能性もありますからね。ただ、たまにはああいった特訓もしておいた方が良いんじゃないかと思っただけですよ。ですが、事前にあんな状態にならずに済むならそれが1番ですから」
バトラーは冷静な声で言うと、エプロンを脱ぎ、綺麗に畳んでキッチン横の棚の上に置いた。
「さ、行きますよ。涼真さま」
「……はい」
涼真は肩をガックリと落とすと、グ〜と鳴る腹をさすりながら、バトラーに続いて家の奥にある稽古場へと向かった。
「……涼真さま。貴方さまは、一刻も早く強くなりたいんでしょう? 仮面を着けた黒装束の男たちを見つけ、復讐するために」
電気が点いていない薄暗い廊下の真ん中で、涼真の体がバトラーの言葉にピクリと反応し、硬直した。それに気付いたのか、涼真の前を歩いていたバトラーも足を止めて涼真の方を振り返る。
「奴らの強さは未知数。特訓を怠ってはいけません。それに、黒神の仕事をする身なのですから、鍛えておいても損はしないハズですよ」
「ああ……そうだな」
涼真の目が真剣なものになった。特訓をする気になったのだ。
バトラーは満足そうに頷くと、再びゆっくりと両足を動かし始めた。涼真も彼に続く。
廊下の突き当たりにあるスライド式の扉を右に開くと、道場のような場所が涼真の目に飛び込んできた。
そこは一見、普通の道場のようだが、実は強力な妖術にも耐えられるように部屋中に結界が張り巡らされている。全て涼真の祖父である黒神が張った結界だ。
2人は稽古場に長方形に引かれた白線の両端に立つと、互いに身構えた。
「涼真さま、今日は妖術無しでやりますか?」
「いや……有りで頼むよ。秘術を使った相手に対する戦い方をイメージしておきたい」
「ではそのように。ふぅっ……!」
涼真の注文通り、バトラーは体内の妖気を練り上げて秘術を発動した。彼の見た目は変わらないが、全身の妖気の質が大幅に上昇したのが涼真には分かる。
「さぁ、いつでもどうぞ」
「ああ、いくぞっ!!」
涼真は“神速”を発動し、一切大気を揺らすことなくバトラーの眼前まで迫った。
捉えたーー。
振り上げた拳に薄い黒色の妖気を付与し、バトラーに向かって全力で突き出す。しかし、その拳はいとも簡単に受け止められてしまった。バトラーの手中に収まった右手を引き抜こうとするが、ビクともしない。
「あらー……止められた」
「まだまだ私が目で追える速度でしたよ。それにこの状態では、敵から反撃を受けて終わりです」
「うーん……後ろを突けば良かったかな」
手を解放された涼真はバックステップでバトラーと距離をおき、再び“神速”を発動させた。
しかし、同じ失敗をしたくはないので、涼真は先ほどとは違う攻め方を取ることにした。
ダンッ。ダンッダンッ。ダンダンダンダンッ! ダダダダダダダダダンッ!!
“神速”を発動させたまま、稽古場の壁や天井を縦横無尽に跳び回り始めたのだ。まるで地面に思い切り叩きつけたスーパーボールのように俊敏に、予測不能に。
その途中で拳に妖気を付与した。右手に纏う妖気が鋭くブレる。妖気は跳ねる度にブレが大きくなり、やがてーー、
「“神速拳”!」
自身の顔を覆うバトラーの左腕を高速で殴り付けた瞬間、役目を果たして煙のように消え去った。
シュウウ……と上がる薄い白煙の向こうで、金髪のイケメンがニヤリと笑った。服から煙が上がるほどの威力で攻撃したというのに、ノーダメージだという証拠だ。
「くっそ……結構良いの入ったと思ったのに……」
「今のはなかなか良いですね。ただ……助走無しでももう少しスピードを上げる練習をしましょう」
「……はいはい!」
結局この後、2人は特訓に夢中になってしまった。狭いとも広いとも言えない稽古場での涼真とバトラーの特訓は、日付けが変わる直前まで続いた。
一方その頃、黒神家のリビング。ソファに並んで座っていた黒神とナギは、仏頂面で天井を眺めていた。
今日の夕食はおでんだ。良い出汁の匂いがキッチンの方から漂ってきていたのだが、先ほどおでんの鍋を確認したら中身が冷たくなっていた。涼真とバトラーが特訓に行ってから2時間半ほどが経過しているので、その直前に出来上がったおでんが冷えているのは仕方ないだろう。
しかし、4人全員が揃ってから食事を開始するという黒神自身が決めたルールにより、涼真とバトラーが特訓から戻ってくるまでは我慢するしかない。
今日の分の新聞も読み切ってしまい、テレビも大して面白くない番組ばかり。空腹の限界値を迎えてしまった黒神は、隣で自分と同じく天井を阿保面で眺めているナギに話しかけることにした。
「……なぁナギ」
「……にゃんだ?」
「俺らさぁ……忘れられてるよな。晩飯のおでん、冷えっ冷えなんだけど。っていうか、おでんが冷えっ冷えって、何?」
「……オイラは大人しく魚肉ソーセージでも食べてようかにゃ」
「え。俺、これでも神様だぞ? 5000年は生きてるよ? 無視しちゃうの? もっと崇めるべきじゃないの?」
黒神の言葉を完全に無視した後、ソファから滑るように降りたナギは、テクテクと二本足で歩き、冷蔵庫に置いてあった3本セットの魚肉ソーセージを手に取り、そのうちの1本を食べ出した。
ぐうぅ〜……。
その時、黒神の腹が盛大に鳴った。ナギは口を止め、手にあった魚肉ソーセージを1本、黒神に向けて差し出した。
「……食う?」
「……食う」
1人と1匹は再びソファに並び、天井をボーッと眺めながら魚肉ソーセージを頬張るのだった。
◇◆◇◆◇
翌朝。玄関のドアを開けて空を見ると、見事な晴天だった。空に遮るものが無いせいで朝日が眩しい。寝不足のショボショボの目には痛いほどだ。涼真は片手を顔の前に持ってきて日光から目を守る。
家の前の石段をゆっくりと降り、自宅の右隣の家の前に立つ。ある人を待つためだ。
1、2分が経った頃、隣家の玄関の扉がガチャリと開いた。涼真は扉の音がした方を見る。
「じゃあお母さん、行って来まーす」
1人の少女が黄色いリュックを背負って家から出てきた。
ポニーテールにした艶のある黒髪、潤んだ唇、長い睫毛、そして中学2年生にしては大きめの胸。美少女の特徴をいくつも兼ね備えた彼女の名は、桜庭舞。涼真の幼馴染みだ。彼女の種族は悪魔。父が悪魔で母が亜人の混血であると涼真は記憶している。
「あ、涼真おはよう!」
舞は涼真の方を向いた途端、軽く手を振りながら彼の元に駆け寄って来た。家の前の段差をピョンピョンと1段ずつリズミカルに降りてくる。彼女が小さく跳ねるたびに、頭の後ろのポニーテールがファサッと舞った。
涼真も彼女に向けて軽く右手を振り、朝の挨拶を交わす。
「おはよ、舞」
「ゴメンね、遅くなって」
舞は顔の前で両手を合わせて、涼真に軽く頭を下げた。眉尻が下がっており、申し訳なさそうにしている。そんな彼女に涼真は笑いかけ、手を横に振る。
「全然構わないよ。でも珍しいな、舞が待ち合わせに遅れるのって。何かあったの?」
「うん、ちょっとね。でも、それは学校に行ってから話すよ」
「あ、ああ……分かった」
舞は涼真に困ったような笑みを見せると、ゆっくりと歩き出す。
涼真は舞の少し話しにくそうな口調が気になったが、彼女の横に並んで学校へ向かうことにした。
「あ、そういえば涼真。昨日ってまた依頼だったの?」
「うん、そうだけど……学校で何かあったのか?」
「何かあったって程じゃないんだけどね、哲人くんと洋平くんが昨日学校で喧嘩して、先生にこっ酷く怒られちゃって……」
哲人と洋平とは、涼真の友人の狼谷哲人と三間洋平のことである。彼らは本当はとても仲が良いのだが、よくくだらないことで喧嘩をする。涼真は喧嘩するほど仲が良い、と2人の喧嘩について日常茶飯事のように思っていたのだが、それがとうとう先生に怒られるほどになってしまった。
涼真は2人に呆れ、大きくため息を吐いた。
「怒られたって言っても、ただ単にいがみ合ってただけじゃ『こっ酷く』とまではいかないだろ? 怒られた理由は?」
「2人が喧嘩して殴り合いになりそうになった時に雪ちゃんが仲裁に入ったんだけどね、その時に思わず雪ちゃんに酷いこと言ったんだって。私はその時の状況を直接見てないからなんて言ったかまでは知らないんだけど……」
雪とは、これまた涼真の友人の氷浦雪のことである。彼女は涼真たちにとってお姉さん的存在であり、よく涼真と一緒に哲人と洋平の喧嘩を止めていた。
涼真は再び大きなため息を吐いた。今度はガックリと肩を落とした。
「まぁ、2人のことだし、雪を本気で傷付けるようなことは言ってないだろうけど……」
「私もそう思う。このことは全部雪ちゃんに聞いたんだけど、話してる時の雪ちゃん、傷付いたっていうより怒ってたっぽいし」
「やれやれ……」
問題児2人の顔を思い浮かべ、涼真は頭をポリポリと掻いた。
すると、
「うぇぇ〜ん……!」
前方から子供の泣き声が聞こえた。
泣き声のした方をよく見ると、道端に座り込んでいる1人の少年と困った顔をした少年の母親と思しき女性がいた。
「どうしたんだろ……」
「ねぇ涼真、あの子……怪我してない?」
その少年は膝から赤いものを流していた。女性が慌てた様子でハンカチのような淡い色の布を少年の膝に押し当てている。
涼真と舞は急いで子供に駆け寄った。
「この子の怪我、どうしたんですか?」
舞が女性に優しく尋ねると、女性は驚いたような顔で舞のことを見た後、すぐに少年の方に向き直って事の説明を始めた。
「実は、この子が走っていたら石に躓いて転んでしまって……その時に擦りむいてしまったみたいなんです」
「うぅっ……グスッ……」
傷が痛むのか、少年は涼真たちを無視して泣き続ける。そんな少年に舞は笑いかけ、
「ねぇ、ボク? ちょっとだけ我慢して、私にその腕、見せてくれるかな?」
優しい口調のまま少年に訊いた。
少年は舞の方を赤く腫らした目で見た後、ゆっくりと膝を舞に向けて差し出した。
「ありがとう。もう少しの辛抱だからね。ちょっとだけじっとしててね」
舞は少年にニコリと微笑んだ後、自身に向かって差し出された彼の患部の近くの肌にそっと触れた。
そして目を閉じ、固有術式を発動する。
「“浄化”」
舞が固有術式を発動させると共に、優しい光が少年を包んだ。
すると、あっという間に少年の腕の傷は癒え、すっかり元通りになった。
「どう? まだ痛いところはある?」
舞が訊くと、少年は涙目でフルフルと首を横に振った。
傷の治った少年の膝を見て、母親は驚きを露わにする。
「す、すごい……!」
「いえいえ、ただ術式を使っただけですから」
舞は母親に向かって手を横に振った後、「治ってよかったね」と少年に笑いかけた。
「う、うん……ありがとう」
涙目の少年に舞は微笑み、少年の頭を優しく撫でた。その姿はまるで聖母のようで、涼真は舞の横顔をぼーっと眺めていた。少し頬が赤くなっていたことには気付かなかった。
「本当にありがとうございました。何かお礼を……」
「いいですよ、お礼なんて。私たちこれから学校なんで、これで失礼します」
ペコリと頭を下げた母親と少年に軽く会釈し、舞と涼真は学校へ向けて再び歩き出した。その途中、彼らは見えなくなるまで舞に手を振り続けていた。
「……相変わらずすごいなぁ舞は」
「ああ、術式のこと? まぁ攻撃系とか自強化系じゃない珍しい種類の術式だとは思うけど」
舞の固有術式は奇術、“浄化”。怪我や傷、状態異常を治せる術式である。
回復系の術式は覚えようと思って覚えられるものではないので、彼女の言う通り、とても珍しい種類の術式なのだ。
しかし、涼真はそのことを「すごい」と言ったのではない。
「まぁそれもそうだけど、僕が言ったのはさっきの人たちに対する対応。怪我してた子に対する対応が完璧だった」
涼真が先ほどの彼女の少年たちに対する対応を絶賛すると、舞は頬を少し赤く染め、照れ臭そうに笑った。
「えへへ、ありがとう。でも、当然の対応じゃないかな? 私の固有術式はああいう時のためにあるんだし」
「いやいや、僕なら泣いてる子を見たらまずは考える時間がいるね。だから、パッと完璧な対応ができる舞はすごいよ」
「ほ、褒めすぎだってば」
舞はさらに顔を赤く染め、恥ずかしそうに小さく笑った。
そんなことを2人で話していると、後ろから誰かが上空を飛んで来た。
2人の少し後ろに降り立ち、小走りで2人に寄ってくる。
「2人とも、おーはよっ!」
「うぉっ」
「わっ」
その人物は、2人と肩を組むような体勢で2人に勢いよく抱きついて来た。振り返ると、とびっきり明るい笑顔が涼真の目に飛び込んできた。思わず頬が緩む。
「おはよ、明日香」
「おはよう、明日香ちゃん」
今2人に抱きついている少女は井出明日香。赤みがかった茶髪をミディアムボブヘアにした笑顔が良く似合う美少女だ。2人の幼馴染であり、彼女は舞とは違って純血の悪魔である。
「今日は涼真も舞も登校すんの遅いじゃん。どしたの?」
「ちょっとトラブルがあって……それと、あの子と電話してて私が遅れちゃったの」
「あー、なるほどね。それで結局、涼真に相談することにしたんだ」
「うん。だから学校に行って直接あの子から涼真に話してもらった方がいいんじゃないかなって思ってるんだ」
舞と明日香は揃って意味ありげな目で涼真のことをチラリと見た。
2人の視線に涼真は全身がむず痒くなるような感覚を覚え、
「なぁ、あの子って誰のことだよ?」
と再び訊いた。しかし、舞と明日香は口を揃えて、
「「学校に着いたら教えるから」」
と言った。先ほどからそればかりだが、そんなに勿体ぶるような内容なのだろうか。
2人からあの子の正体を聞き出すことは困難だと悟り、涼真は自分の頭であの子について考えてみることにした。
だが、誰のことだかさっぱり見当がつかない。何しろ、候補者が300人近くいる全校生徒のうちのたった1人なのだ。「あの子」と言っているので彼女たちよりも年下であると仮定して、唯一の先輩である3年生を候補から外してみても候補者の残りは200人近くいる。
ヒントが少なすぎるうえに、候補者を絞り切れないと思った涼真は、「あの子」について考えることを放棄した。
そうこうしている間に、いつの間にか学校に着いていた。
涼真たちの学校、裏桜中学校は4階建てだ。創立されたのは数十年前だが、5年前に改装されたばかりなので、校舎が綺麗で居心地は悪くない。
毎年秋に行われる体育祭や文化祭は、いつも大変な盛り上がりを見せる。
また、この学校に限らず裏世界の学校では、体育の時間に妖術の基礎である属性妖術を生徒たちに教えている。
涼真たちのクラス、2年3組は3階にある。
3人は靴を履き替え、西校舎にある自分の教室を目指してグレーの廊下を歩く。
「あ、桜庭先輩だ」
「ほえー、相変わらず可愛い……」
「桜庭先輩も可愛いけど、俺は井出先輩のがタイプだなー」
「ほー、お前貧乳がタイプだったのか」
「おい誰だ今アタシのこと貧乳つったヤツ出てこい」
「ヒィィィィィィ!!」
「俺じゃないです井出先輩!! コイツです! コイツ! こい」
と、教室へ向かう途中に男子生徒からの舞と明日香への憧れ(?)の眼差しと台詞を見聞きするのはもう慣れっこだ。
舞は週3、4のペースで男子生徒から告白されており、明日香は舞ほどのペースではないものの、それなりに放課後、校舎裏に呼び出されているらしい。ちなみに、2人がOKしたという話は未だ聞かない。
そして明日香はよく貧乳イジリをされている。「これから大きくなるんだ」と彼女はイジられる度に憤慨しているが……。
その一方で、
「毎日毎日何なんだよ、あのチビ……桜庭先輩と一緒に登校しやがって……」
「知らねーのか、黒神先輩だよ。桜庭先輩の幼馴染の」
「は!? あんな美人と幼馴染とか……人生勝ち組じゃねーかあのヤロー……呪術部員の力を今ここで行使してやろうか……」
「やめとけバカ、相手は神族だぞ。何し返されるか分かんねぇ」
舞や明日香と仲良くいるせいか、涼真は一部の男子生徒から妬まれている。去年は黒板消しを扉にセットされたりバケツの水をかけられそうになったりと、軽いイジメを受けそうになっていたが、そのトラップの全てを見事に回避、または逆に食らわせてやり続けた結果、涼真にちょっかいを出す者はいなくなっていた。
舞たちを一目見ようと廊下に並んでいた男子生徒ゾーンを抜け、その先にある階段を上って2年3組の教室に入った。
机に自分の荷物を置くと、舞が神妙な面持ちで話しかけてきた。
「ねぇ涼真、さっきの話なんだけど……」
「例のあの子の話だな。それで、あの子って誰のことなんだよ?」
「それは……」
「この子のことだよ!」
明日香が教室の隅っこの席に座っていた1人の少女を連れて来た。その丸メガネをかけた三つ編みの少女の姿を見て、涼真は首を傾げた。
「絵理?」
舞の言うあの子とは、涼真のクラスメイトの生実絵理のことだった。彼女は涼真たちの小学生の頃からの同級生でもある。
「え、えっと……涼真くん……」
絵理は手をモジモジさせて、話し出すのを少し躊躇しているようだった。
しかし、何かを決心したようにギュッと目を瞑った後、口を開いた。
「と、トイレの花子さんを見たって言ったら、信じてくれる!?」
「と、トイレの花子さん!?」
思いもよらない言葉が出てきて、涼真は素っ頓狂な声を上げた。
お読みいただき、ありがとうございます。