第42話 メタトロン
「あ、あれ……私……いったい……?」
舞がゆっくりと瞼を開けると、夕焼けの光が目に差し込んできた。思わず目をギュッと瞑ってしまう。
もう一度瞼を開け、辺りを見回してみる。自分は木にもたれかかっているようだ。
「ここは……学校……? 私、セラフィエルに殺されたんじゃあ……」
ふと、左隣を見てみる。そこには梨恵と知らない少女が自分と同じように木にもたれかかって眠っていた。
「り、梨恵ちゃん!」
立ち上がり、梨恵の側に行く。彼女からは規則正しいリズムで、スゥ、スゥという声が聞こえてきた。
「よかった……生きてる……!」
梨恵が生きてることを確認し、一安心する。
しかし、自身と梨恵の身体を見て、あることに気が付いた。
(傷が完治してる……ってことは……)
舞は辺りをもう一度見回した。すると、崩れた筈の生徒会室が元に戻っていることに気付いた。こんなことができるのは舞が知る限り1人しかいない。
辺りを探してみたが、どうやらその人物は校庭にはいないようだった。
舞は裏庭に回り込む。
「っ! 涼真ぁ!!」
目的の人物、涼真は裏庭にうつ伏せで倒れ込んでいた。舞は涼真に駆け寄り、声を掛ける。
「涼真、涼真! しっかりして、涼真!!」
「ま、舞……よかった……体は大丈夫か?」
涼真は苦しそうな笑顔を見せながら舞にそう訊いてきた。
「私は大丈夫。それより涼真は……!?」
「僕も大丈夫……ただ、校舎全体を直したからね。かなり疲れた……」
やはり、“クロレキシ”の反動で動けなかったそうだ。どうやら、“クロレキシ”で校舎の「壊れた」という記憶を消したらしい。しかし、校舎を修復するには校舎全体を炎で包む必要があるらしく、それにかなり妖気を使ってしまったそうだ。
「よかったぁ……本当に、よかった……!」
舞は安堵のため息をつくと同時に、綺麗な瞳からポロポロと涙をこぼした。
「ま、舞……!?」
涼真は舞の涙を見てギョッとしたようだったが、ゆっくりと体を起こすと、彼女の涙を右手の人差し指でそっと拭った。
舞は驚き、涼真を見つめる。
「りょ、涼真……」
すると、涼真が照れ臭そうに笑った。
「ほら、この間のお返し。舞も僕に同じことしてくれただろ?」
涼真はそう言い、右手で舞の頭をポンポンと優しく撫でた。
「舞が生きててくれてよかった。ありがとう」
止まりかけていた涙が、再び溢れ出した。
「うっ……うん……! 涼真、こそ……! 生きててくれて、よかった……! よかった……!!」
舞は自身で涙を拭うが、一向に止まる気配がない。
それを見た涼真は困ったような笑顔になった。
「まったく……舞は昔から泣き虫だなぁ。ほら」
涼真は再び舞の涙を優しく拭う。
「あ、ありがと……」
「もう解決したんだから泣くなよ〜」
「だ、だって、安心して……」
目を赤く腫らした舞の顔を見て涼真は微笑み、彼女の頬に手をそっと添えた。
「涙なんていつでも拭ってあげるから、今は泣き止んでくれ。な?」
舞は心臓が高鳴るのを感じた。目だけでなく、自身の頬まで真っ赤になっていることが容易に想像できた。
「……! わ、分かった……」
舞は涼真にパッと背を向けた。真っ赤になった自身の顔をあまり見られたくなかったからだ。
「あ、舞……ちょっとお願いがあるんだけど……」
「な、何?」
舞は顔を両手で覆いながら涼真の方をチラリと見た。
「あの……肩、貸してくんない?」
◇◆◇◆◇
「あ、黒神くん!」
「涼真くん、もう大丈夫なの〜?」
舞に肩を貸してもらってなんとか歩いていると、美香と愛梨がこちらへ駆け寄ってきた。
「は、はい……なんとか。それより、お2人は大丈夫なんですか?」
「はい。黒神くんのおかげで、この通り」
「もうバッチリよ〜」
そう言って、2人は元気アピールをした。
「そりゃあよかった」
涼真は元気そうな2人を見てニッコリと微笑む。
「美香さんと愛梨さんの怪我も治してたんだね」
「ああ。実は梨恵よりこの2人の方が重症だったんだよ」
「え、そうだったの?」
「ああ。首の骨が折れかけててさ……」
「ちょ……ちょっと、生々しいのは……」
舞が苦笑いになった。舞はそういう話が苦手なのだ。
「あ、そう。じゃあやめとく」
その時、クスッと美香が笑った。
「……お2人は仲良しですね」
美香にそう言われ、2人は顔を見合わせた後、頬を赤く染めた。
◇◆◇◆◇
「それで、彼はどうなるんですか?」
舞が天使たちに運ばれていくセラフィエルを見ながら美香に訊いた。
「とりあえず、天界の牢獄に収容します。黒神くんの話だと、今回のこと以外にも色々と罪を背負っていそうですから」
美香がそう言うと、舞はあからさまに落ち込んだ様子になった。
「私が……地球を危険にさらすくらいの妖気を持っていたから……セラフィエルは……」
「あー、そのことなんだけど、たぶん大丈夫。舞の妖気が爆発する心配はないよ」
と、涼真が目線を合わせず、舞に言った。
「えっ、本当!!?」
「どういうことですか!?」
「説明して〜? 涼真く〜ん」
3人が涼真に詰め寄ってきた。涼真は苦笑いを彼女たちに向ける。
「えーっと……実は……」
そう言って涼真が話を続けようとした時だった。
『おい、小僧』
突然、涼真の頭の中に聞いたことのない女の声が響いてきた。
「だ、誰だ!?」
涼真は驚いて辺りを見回す。しかし、辺りには天使たちが作業をしているだけで、声の主と思われる者は見当たらない。
『我だ。アザトースだ』
「な……なんでお前話せるんだよ!? だって、今は……」
涼真は舞を見る。彼女は不安そうな顔をしてこちらを見つめていた。
「涼真? どうしたの?」
舞が心配そうに訊いてきた。彼女の横で美香と愛梨も怪訝な顔をしている。
「え? ああ、なんでもないよ。大丈夫」
涼真は笑顔を作って見せた。そして、彼女たちに背を向け、すぐに真剣な表情になる。
『声を出さなくてもよい。我とは念じるだけで会話ができる』
(それなら先に言ってくれ。不審に思われただろ。お前、さっきと声違うし……)
涼真が念で話しかけてきたアザトースに文句を言った。
『これが本来の我の声なのだ。そのうち慣れる』
(ああ、そう……それで、何の用だよ?)
『……貴様、天使たちに我の話をする気だったのか?』
涼真はアザトースの言いたいことを読み取った。
アザトースは天界を滅ぼそうとしている。舞がそんなモノを身体に宿していると天使たちに知れれば、再び舞は天使たちに狙われることになるだろう。
もっとも、アザトースの名を聞いた後で、舞を狙おうとする勇気がある者は天使の中にはいないだろうが。
しかし、万が一の場合を考えて涼真はアザトースのことを美香たちに話す気はなかった。
(そんなわけないだろ。そんなことしたら、舞がまた狙われるかもしれないからな)
『そうか、ならよい。話の邪魔をして悪かったな』
アザトースは全く申し訳なく思っていなさそうな口調で言った。
(まったくだ……でも、お前のことが天使たちにバレたらどうする?)
『そこはお前が頑張れ。我のことを最重要に考えろ。誰にも話すなよ』
(うーわ……なんか面倒くさいな。話してもいい?)
『貴様……この娘と天界とどちらが大事なのだ?』
(冗談だよ、冗談。言うわけないだろ)
『ふん……いいか? 絶対に天使たちには話すなよ。そうしたら……』
(あのさぁ)
涼真がアザトースの話を遮る。
(天界を滅ぼすって言ってるけど、アンタは1番厄介な奴にそのことを話したことを自覚した方がいい)
『……なに?』
涼真はフッと笑い、アザトースにまた話しかける。
(アンタがこのまま本当に天界を滅ぼそうとするなら、僕はどんな手段を使ってもアンタを止める。舞の身体でそんなことはさせない)
『……ふん、我にそこまでモノを言える者は、奴ら以外に初めて見たぞ。やはり貴様は面白いな』
(奴らって……さっき言ってた裏切り者のことか?)
『ああそうだ。……小僧、最後に1つ良いことを教えてやろう』
アザトースは何かに気付いたのか、短い沈黙を挟んで言った。
(なんだよ?)
『先ほどの我の妖気を、奴らの一部が感じ取ったようだ。いずれ……来るぞ。舞を殺しにな』
その一言を最後に、アザトースの声は聞こえなくなった。
「……」
「涼真! 涼真!!」
「え? ああ、ごめんごめん、ちょっとボーッとしちゃってて……」
「まだ“クロレキシ”の反動が残ってるの?」
舞が心配そうな声で訊いてきた。
「いや、大丈夫だよ。気にしないでくれ」
「それならいいけど……それで、私の妖気が爆発しない理由はなんでなの?」
「それは、僕が舞の妖気の大半を消したからだよ」
もちろん、涼真はそんなことをやっていない。舞の身体にアザトースが宿っていることを隠すための嘘である。
「えっ、消してくれたの!?」
「ああ。舞を怪我を消した時、一緒にな」
涼真は胸がチクリと痛んだ。また舞に隠し事をしてしまった、と。
「うわぁ〜! ありがと涼真ぁぁ!!」
彼女は涼真の肩を掴みブンブンと前後に揺らす。
「では、そのように上に報告して構いませんか? 黒神くん」
美香が涼真に訊いてきた。美香の言う上とは、おそらく天界の神のことだろう。
「はい。大丈夫ですよ」
(天界の神にバレたらどうしよう……)
美香は涼真の返事を聞くと、愛梨とともに去っていこうとした。
その時だった。
「あ、いた」
フードを被った、銀髪の背丈の低い少年が、こちらに向かって歩いてきた。その少年の姿を見た美香と愛梨が、声をあげる。
「「め、メタトロン様!?」」
メタトロンとは、天界の神の次に高位の存在、熾天使の1人である。
涼真たちも以前、美香から彼の話だけは聞いていた。
2人は慌てて頭を下げようとする。
「んや、いい」
その少年、メタトロンは2人に軽く手を振ると、涼真と舞の前までやってきた。
「キミが黒神涼真。キミが桜庭舞だな」
メタトロンは2人を交互に指さした後、頭を深く下げた。
「本当に悪いことをした。謝っても許されないことは分かってる。でも、謝らせてほしい。これはオイラたちの責任だから」
メタトロンは頭を下げたままそう言った。
「あなたの責任って……これは全部セラフィエルの仕組んだことじゃないんですか?」
舞が戸惑い気味にメタトロンに訊いた。
「たしかにそうだ。でも、他に悪いヤツがいる。セラフィを裏で操っていたヤツがな」
メタトロンは頭を上げ、涼真と舞の顔を交互に見ながら言った。
「セラフィエルが……!? それってどういう……」
舞は驚いた様子でメタトロンに訊いた。
「そのままの意味だ。詳しく説明する」
そう言ってメタトロンは話し出した。セラフィエルに何があったのかを。
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